『そして君たちに女神アヴローラの祝福があらんことを!!』

 足を踏み入れると、夜のような薄暗い空間が広がっている。

 天井にちりばめられた、星を思わせる輝きが屋内をわずかにともす。

 おそらくは隙間からもれた日差しなのだろうが、夜景にしか見えない。しかしそこに月はなかったけれど。

 どんよりとした静けさがしばし流れ……


「「「…………」」」


 どのくらいたっただろう。なのに何も起きない。神官は現れず、彼らの声も聞こえなかった。どういうことなのか?

 みんながざわめきはじめた、そのせつな――


「「「――っ!?」」」


 驚きとともに、まばゆさに目がくらむ。ついで子どもたちが息を呑む。

 しかけは不明だが、天井から日差しが注がれ、中を照らしたのだ。

 明るさにすぐには目がなれず、けどルーナはふむ、とうなずく。


(なるほど……夜を終わらせる太陽、ね)


 動揺した頃合を見計らっての派手な演出。心理的な主導権をとられたらしい。幼児を手のひらで転がすなど造作もないということか?

 しばらくして視界がもどり、神殿内が姿を現した。


「「「……」」」


 その景色に、誰もが嘆息たんそくをもらし、見入ってしまう。心ここにあらずとばかりに。

 白亜の壁に床、そして天井。階段状にくぼんだ、劇場を思わせる造りに目が吸い込まれていく。

 その中央には神官だろうか、初老の男がたたずんでいた。

 ゆったりとした金色の法衣をはおり、長いあごひげを一部編んでいる風貌だ。

 白髪頭が陽の光をはじき、琥珀こはく色の目が子どもたちへと向かう。


「ようこそ、洗礼の儀へ。私はアンドレイ、ここの神官長をしている」


 まず自分の名を告げ、


「そして君たちに女神アヴローラの祝福があらんことを!!」


 決まり文句を述べていく。


「では……さっそくだが、はじめるとしよう。まずは――アナトリー・ニキートヴィチ!」


 名前を呼ばれ、た少年が、びくりと身をちぢませた。


「こちらへ来なさい」


 ついでうながされ、神官の下へとおもむいて行く。


「では、靴を脱ぎこの上に立つのです」


 骨ばった指が示すのは、足元にデンと置かれた円形の石版だ。これに乗れということらしい。

 はだしとなり、少年が石版へと立つと、天井からさす陽が彼を包みこむ。

 幻惑的な絵に目がくらむ。

 幼い体が、あたかも光を放つかのように見えたからだ。

 洗礼とはある意味、生まれ変わりといえる。そう信じてしまうような迫力さえあった。

 この儀式をとおして、別人となるかのような。


「ふむ……」


 年季を感じさせる声がうなずく。


「ほう……長剣の才能か。それに雷と炎と、二つも魔法の素質を授かるとは!」


 琥珀色の双眸そうぼうがかがやき、息をはずませる。実に楽しそうに。

 当の少年はというと、ほっとした様子で胸をなでおろしている。


「では次……アセル・ミハイロヴナ、こちらへ来なさい」


 そんな感じで、次々に名を呼ばれた子どもたちが洗礼されていく


「やったぁ! わたしのは、ちゆまほおだ……」

「おれも、だいけんのさいのうをさずかれた!」

「あたしはひかりまほーだったよ」


 祝福という名の才能を授かった彼らは、口々に喜びをあらわにしていった。

 そして――


「ルーナ・ドミートリエヴナ、こちらへ来なさい!」

「は――」


 自分の番となる。初めて聞いた自分の父称にぎこちなくほほ笑む。

 ジーマとはドミトリーの略称だったのか、と今更ながらに思って。


「そ、その……うまくいくと、いいね……」


 そう背中を押すのはもちろんディアナだ。が、彼女の表情はあきらかに固い。

「う、うん……さ、さきにいくね」


 なぜ?

 と内心首をかしげる。


(だって……)


 ディアナのほうが姉のはずだ。文字順であれば、ДデーよりЛエルが後にくる。


(いや、ちがう……のか?)


 何かの手違い?

 あるいはランダムなのかもしれない。いぶかりながらもアンドレイの下へと進んでいく。


「では、この上に乗るのです」


 もはやルーチンな台詞を聞き、ルーナがそれに従う。

 靴を脱ぎ、素足で石版の上へ立つと、光が体を包み――


「………………」


 なぜか沈黙が流れた。心配になるほどに静けさがただよう。


「えっと……」


 何かまずいことでもあったのか?

 神官長の顔を覗きこむと、冷や汗を浮かべていた。肩や指先までもふるわせ、息も乱れている。


(祝福を授からなかった、とか?)


 その場合どうなるのかが、逆に気になってしかたがない。胸がざわつき、鼓動こどうが急かすように鳴りひびく。

 と、その瞬間、かすかな声が静寂をやぶる。


「す……すばらしいっっっ!!!!!」


 ついで歓喜の叫びがこだました。


「ほとんどあらゆる魔法の素質をそなえている!! 何より膨大ぼうだいな魔力の量!! しかも大剣を除く、全ての剣の才まであるではないか!!!」


 我を忘れるほどに興奮したアンドレイの絶叫が耳をつんざく。


「こんなのは私が神官になって初めてのことだ!」

「……?」


 ルーナはキツネにつままれたような顔をして、初老の神官を覗きこむ。

 が、すぐに気を取り直し、ディアナへと目配せした。

 自分には剣と魔法の才能があるらしい。その二つがあれば人生は順風満帆だという。

 そして彼女は双子の姉――つまり同等かそれ以上の祝福を授かれるのだ、と。


「ふぅ……」


 水を口に含み、初老の神官はどうにか落ち着きを取り戻す。まだ洗礼を受けるべき子どもが一人、残されていたからだ。


「では……ディアナ・ドミートリエヴナ、こちらへ来なさい」


 ようやく名を呼ばれた。おぼつかない足取りで、彼女はアンドレイの下へ駆けていく。

 胸の動悸が激しいのか、息をつまらせながら。

 それから、ゆっくりと石版へと足を乗せる。

 期待にみちた琥珀色の目がそそがれ、はげますようなすみれ色の瞳が向かう。

 と、そのせつな。


「――っ!?」


 日差しがさえぎられ、わずかな間だが暗闇に呑みこまれたのだ。

 なぜに…………?

 これまでなかった反応なのか、神官は怪訝そうに首をかしげる。

 ルーナもまた、奇妙なできごとにいぶかしむ。

 ディアナにいたっては凍りついてさえいた。

 意味が分からない――と。

 しばらくしてから陽が差し、照らされた赤みがかった銀髪が光をはじく。

 大きなタメ……だったのか?

 不安と期待が入り混じった目がディアナを映し――


「っ!!?」


 アンドレイの表情が豹変ひょうへんした。

 ただし、ルーナの時とは正反対に。


「し……」


 彼の口から出たのはかすれた声。あまりに低く、しゃがれて、不気味なトーンがひびきわたる。

 顔のしわがより深くきざまれ、すさまじい形相でディアナをにらむ。その瞳に憎悪をやどして。


「神官長アンドレイの名において命ずる! この魔性のガキを、今すぐに殺せ!!」


 そしてとんでもないことを叫んだ。

 突然のことに、彼を除く誰もが固まる。まるで世界が停止したかのように。

 何がどうしたらこうなるのだろう。

 ディアナがへなへなとして、床にへたり込む。呆然として、目の焦点すら合っていない。


「え……あ?」


 うろたえて、言葉すら出せずにいた。

 ルーナも理解できず、混乱があたりを包みこんでいく。


「ええい、何をしている! 衛兵! このガキを今すぐに処分するのだ!!!」


 語気を荒げ、憎しみをむき出しに、彼はどなりちらす。

 狂気じみたほどの態度に、子どもたちはみな、なす術もなくおびえている。

 たった一人、ルーナを除いて。


(殺せ? 今、確かにそう……魔性がどうとか……)


 いきなりすぎて、理解が追いつかない。

 しかしこれだけは分かる。

 この神官長が本気だということは!

 つまり、ディアナを冗談じゃなく殺す気でいるのだ。


「ちょ、ちょっとまってよ!」


 だからルーナは反射的に声を上げた。

 すみれ色の瞳が、非難するようにアンドレイをにらみつけて。


「ころすとか、しょぶんとか、ぶっそうなことをどうしていうの!」


 彼女は自分の姉だ。大切かどうかなんて、聞かれるまでもない。

 それを軽々しく殺すだの処分しろだのと彼は侮辱した。

 目の前に、あの夜の光景がよみがえってくる。

 そう――唯一の家族を、オリガを失った瞬間を!

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