喫茶店の男女

常陸乃ひかる

男女関係

「――では、あの緑色の帽子を被った男性は?」

「たぶん、運送業じゃないかな」

「では、その後ろのお財布を持った女性は?」

「えっと、普通のOL?」

 町外れの喫茶店。ふたりの男女がボックス席で向かい合い、今日も道行くひとたちをガラス越しに眺めては、会話を弾ませていた。ふたりにとってはその行為自体が、コーヒーの茶請ちゃうけになった。

「今度は、あのダボダボのズボンを穿いた男性の職業はなんでしょう」

 女はガラスの向こうにやった目線をキョロキョロさせ、いたって真面目に男に尋ねる。気になる人間が居れば、その者の性別と特徴を挙げ、こういったやり取りを三十分も続けていた。

 要するに人間観察ゲームである。

「おそらくとび職」

「え、すごい。なんでわかるのですか?」

 ボックス席――女の見た目はハタチに届くくらい。しかし女は今まで、わけあって家の中でずっと生活してきたため、まだまだ知識が浅く、保護者のような男と一緒にお出かけしては、浮世に触れているのだ。

「恰好……? かな」

「貴方って力がすごいです。わたしなんて全然ダメ」

「いや、直感というか……だろ。それに最たるは視覚情報だよ。お前は、徐々に慣れていけば良いさ。その辺は、インターネット経由でも頭に入るだろうし」

 運送業の人が荷物を運んでいたり、財布を小脇に挟んだ女性が軽装でコンビニに入っていったり、鳶職の人がボンタンを穿いていたり――どれもこれも、推理が不必要なくらいの情報量が含まれていた。女の質問は、中学生男子でも容易に答えが導き出せるものばかりだったのだ。


 コーヒーの香りとか、茶色が基調とか、小気味良いボサノヴァとか――とりあえず五感で感じる『喫茶店』は、別段取り立てるところはない。どこにでも存在する普通の店である。それでも女にとっては、『日々』自体が新奇しんきそのものだ。

「なあ、人を当てるゲームは飽きたよ。別の話をしよう」

「では、こういうのはどうでしょう。貴方とわたしは、ほかのお客様にどう思われているかを考察する、というお話です」

「あんま変わらん気がする……。要は人当てクイズの逆バージョンか」

「では、わたしから見て斜め左にいらっしゃる老夫婦。あの方々は、わたしたちをどう思っているでしょうか」

 男は右後ろを振り返り、ふたり席で向かい合って、仲睦ましく会話している客に目をやった。ランチを食べ終えたのだろうか、皿の上にはなにも残っていない。

 ――時に、推理小説に出てくる主人公の私立探偵は、人間観察が得意だ。洞察力に優れ、ことあるごとに事件に巻きこまれ、持ち前の推理力で犯人を捕まえる。が、いくら頭脳が優れていようと、相手の心の中まで読めるわけではない。

 また小説家はボサボサ頭と和装をやめ、会社の社長がラフなTシャツとパンツ姿で出歩き、書道家がスーツを着る。

 タレントがインターネットで活動し、声優が顔を出し、どっかの人間が、2Dおよび3Dのハリボテに乗り移ってゲームの実況プレイをする。

 今や、イメージで物を語れない時代になっている。

 小説家も代表取締役も書道家も――タレントも声優も美少女も――

『自称』で誰でもなれてしまう時代だ。


 つまり、どういうことかというと、

「えっと、恋っ――いや、兄妹、あるいは仕事仲間? もしくは――って、ちょい待ち。俺が予想したとして、答えの確かめようがないじゃないか」

 このゲームは、当人から答えを直接聞くでもしない限り、結果がわからないのだ。

「でしたら、わたしが直接聞いてきます」

「や、やめろ……! 変人だと思われるから」

 女の行動力と、男の抑止力。ふたつがぶつかってすぐ、テーブルに手をついて立ち上がろうとした女は、一口も水が減っていないコップを倒し、中身をこぼしてしまった。床にこぼれてゆく液体を眺めながら、女は「ごめんなさい。拭きますね」とテーブルの下に潜ろうとした。

 男は、「あーぁ良い良い、店員さん呼ぶから」と行動を制すると、目が合った店員に声をかけた。

「それでは、わたしはあのご夫婦に答えを聞いてまいります」

 そんな一瞬の隙をつき、女は老夫婦が座る席へ移動してしまった。恥ずかしさやら焦りやらで、男の心がざわついた。すぐに男は冷静を装い、スマートフォンを操作しながらワイヤレスイヤホンを片耳につけた。


『――お食事中、失礼します。わたしはあちらの席に座っている一般客です。少しの時間、お話よろしいでしょうか?』

『あら、なにかしらお嬢さん』

『あちらの男性とわたしが、ほかの方にはどのような関係に見えているか、を考察する調査を行っておりまして。よろしければご意見を聞かせていただきたいのです』

『面白いことをなさっているのね。そうねえ、私には純粋に、ふたりは仲の良い恋人に見えるわよ』

『そうじゃな。ワシもお似合いだと思うぞ。で、実際のところどうなんじゃ?』

『そんな、滅相もございません。正解は、彼はわたしをお作りになった科学者。わたしはあの方と暮らすヒューマノイドです』

『ハハハ、愉快なお嬢さんね。では、そのマスターにもよろしくお伝えくださいな』

『そうじゃな、うちにも一台作ってくれとな。ガハハハ』

『ん? はい、ありがとうございます。では、失礼いたします』


 波風立てず、無事に帰ってきて女は席につくなり、

「なぜか笑われてしまいました」

 と無表情で言い放った。

「……でしょうね」

 男はイヤホンを外し、おおよそ予想どおりになった結果を苦笑いするしかなかった。いやはや、ここは居辛い。そろそろ――

「お知らせです。わたしのバッテリー残量が少なくなっています。二十分以内に店を出た方がよろしいかと思います。帰りはわたしが運転しましょうか?」

 男が帰宅を巡らせている最中、幸いにも女の――ヒューマノイドの、限界稼働時間が近づいてきたようだ。

「お前、免許持ってないだろ。というかヒューマノイドが車を運転するってどういう構図よ。事故られたらかなわんから俺が運転するよ」

「道路交通法や、車の運転の仕方はすべて学習済です」

「いや……だとしても、制限速度40kmのところを、本当に40kmで走られたら、後続車がたまったもんじゃないからね……」

 浮世では、セオリーとリアリティは相反あいはんする。機械にはまだ、本音と建前が理解できるだけの柔軟性はない。

「しかし、お前を直観する人はまだ居ない。俺もそれだけ自信を持って良いのかな」

「わたしは、貴方が天才であると直観いたします」

「は、はい……」

 しかし、己で作ったAIに励まされるほど虚しいことはない。

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喫茶店の男女 常陸乃ひかる @consan123

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