クリア

小林勤務

第1話 決着

「ボス」


「ああ」


「奴はもう死んでいます」


 そうか。それだけ言うと、自分の背後に控える武装兵二名に対して合図を出した。合図とともに二人は構えた銃をゆっくり下げる。目の前には血に染まり頭をたれた彼女がいる。



 彼女は統合情報機構に所属する女スパイ。通称KO。



 彼女を支援する協力者とともに、俺の属する組織に仇なす明確な敵である。


 彼女には散々に苦しめられた。彼女は常に我々の先を読み、罠をしかけてくる。時としてそれは甚大な被害をもたらした。部隊の半数以上がやられてしまうような全滅の憂き目にまみえたことも一度や二度ではない。


 我々の最近の成果である某国プラント工場爆破事件の際にも、彼女の周到なる妨害により撤退路を阻まれ、危うく自分の身までもこの地上から消え失せてしまう危険に襲われた。


 彼女を消す。

 いつからか、この目標は組織の最重要課題となった。


 そんな彼女の根城は昼夜を問わない諜報の積み重ねにより、ついに特定するに至る。


 その場所は欧州。


 中世の香りが色濃く残り、西と東が交わる欧州の中核都市。


 優美なゴシック様式の建築群、それらの間を縫うように建設された近代的な高層ビル。その足元には行き過ぎたグローバリズムによって産み落とされた犠牲者、いわゆるホームレス、浮浪児、それを食い物にする犯罪組織が夜の闇とともに蠢く。


 明と暗、富める者と貧しい者が目に見える形で、明確に線引きされるこの地に彼女は息を潜めている。


 混沌とした都市の一角にひっそりと佇む、老朽化著しい背の高いアパートメントの一室。そこが彼女のアジトである。


 この隠密作戦を指揮するにあたって、部隊を引き連れて作戦を決行するよりも俺は信頼できる精鋭に絞った。コードネームME、Iの二人を選ぶ。寡黙であり内に秘める感情を決して表には出さず正確に任務を遂行する、何度も死線を超えてきた仲間である。


 統制不足が即、死につながる任務遂行にあたって最適な人選であり、万に一つも撃ち漏らすことはない。


 作戦は深夜三時に決行された。


 ナイトスコープを装着して息を潜め、Iの合図とともに突入する計画だ。決行の時が迫る。いつものように心臓の鼓動を機械のような正確な秒針へと変えて、刻一刻と迫る合図を待つ。



 賽は投げられた。



 音をたてずMEの肩に触れる。


 突入。


 Iによって開錠された鉄のドアを静かに開けて、覗き込んだ銃の照準を先頭に部屋に忍び込む。部屋の詳細は事前に把握していた。この国ではごくありふれたアパートメントであり、構造も至ってシンプル。誰もここがアジトだとは思わない。だからこその彼女の選定なのか。


 通称KO。出生、年齢、趣向全てが不明。唯一判明しているのが女性であること。


 彼女はどこで生まれて、どのような人生を経て我々に仇なす存在へと成り得たのか。


 頭の中を様々な感情が錯綜する。任務完了を前に作戦以外に考えを巡らすのは愚かである。思考が決断を鈍らせ、重大なエラーを生じさせる。人間が持つ感情を精密機械のように変化させる必要がある。


 彼女を消す。


 この絶対的なルールに神経から筋肉に至る全ての機能が従うように、互いに背を守りながらひとつひとつ生活感のない居室を確認していき、彼女へと迫る。


 そして。


 タン、タン、タン、タンと四つの乾いた音とともにわずかな薬莢の匂いが流れてきた。



「クリア」



 先に侵入したMEは一切の感情を交えずにこう告げた。


 彼女は浴室にいた。


 シャワーノズルから熱い湯が流れ続けている。バスタブにはられた湯は血で真っ赤に染まり底が見えず、裸体の彼女が半身を露出させ首を垂れていた。長い黒髪は赤い液体によって顔に張り付きその表情はうかがい知れず、毛先は彼女の血で染まるバスタブの上を虚しく漂っている。


 終わった。


 一つの任務が完了するとともに、長きに渡る彼女との戦いに終止符が打たれた瞬間でもある。


「よくやった」


 振り返ることなく背後の二人に労いの言葉を投げかける。


「彼女は死んだ」


 MEがつぶやく。


「ああ、そうだ。終わった」


 ここにきて様々な思いが押し寄せる。

 道半ばで先立った仲間の影がちらつき胸を焦がす。


「行きましょう」普段は寡黙なIが口を開く。


「そうだな。早くここを出た方がいい」MEが応える。


 終わった。そうなのだが……。


 未だ流れっぱなしのシャワーの音に二人の声がかき消されそうになり、俺の心がざわつきだす。俺はひとつの違和感を覚えた。



 果たして本当に終わったのか。

 彼女はこんなものなのか。

 彼女は……。




「待て」



「どうしましたか?」


 MEが応える。


 何かが引っかかる。このまま、この場を去ってはいけない。


 長年この業界に身を置いてきた経験と勘が俺に何かを知らせてくる。俺は未だ緊張を解かず、底が見えない程に真っ赤な血で染まるバスタブにうずくまる彼女に注視する。


 彼女は微動だにしない。我々の息遣いと未だ流れるシャワーの湯がバスタブに叩きつける音のみが反響するこの空間。


「何か気になる点でも」


 Iは言った。


 その言葉を発端として、俺の中に芽生えた黒い疑惑が徐々に鮮明になっていく。


「I」


「……どうしましたか?」


「今日はやけに饒舌だが、どうした?」


 Iは突然の問いに困惑した様子で、


「特に……理由はありません」


「そうか。ならば、なぜ急ぐ。なぜ急いでこの場から立ち去ろうとする?」


「彼女の仲間が応援にくるかもしれないため、早くこの場から出た方が良いと判断しました」


「判断するのは俺の役目だ。お前は黙って従うのが仕事だ」


「はっ……」


 今度はMEの方を向く。


「最初に突入したのはお前だな」


「はい」


「お前が排除した。そう考えていいのか?」


「はい。その通りです」


「そうか。彼女は応戦したか?」


「いえ、彼女はバスタブに浸かったまま、俺に不意を突かれる形でその場で絶命しました」


「……なるほど、わかった」


 二人の意見を訊き、疑惑は確信へと変わった。そして、勢いよく振り返り、二人の前に銃を突きつける。



「動くな!」



 二人は咄嗟のことに身動きひとつできず、その場で交互に向けられた銃口を凝視している。


「いつからだ!」


「い、いつからとは……?」


 MEは荒い呼吸のまま答える。


「とぼけるな!」


 俺はMEの膝に向けて何の躊躇いもなく一発の引き金をひく。


 タンと乾いた音とともに、MEの絶叫が狭い浴室に響き渡る。膝から勢いよく噴き出す血しぶきをおさえてMEはうずくまった。


「うおおおおおおおおおお!」


「ボス! 気でも狂ったのか!」


 Iは取り乱した様子で俺に銃口を向ける。


 睨み合う二人。


 静寂と暴力が支配するこの空間で俺は叫んだ。




「彼女は死んでいない!」




「ば、ばかな……」


「なぜ、先ほど死んだばかりの奴の血が、バスタブの底が見えないぐらいに溜まっているんだ!」



 その時、



 背後のバスタブから激しい水飛沫があがった。


 それはまるで水面から羽ばたく白鳥のようであり、血に染まった黒鳥の化身でもあった。生を受けた姿そのままの彼女は不死鳥の如く蘇る。


 振り返り銃口を向けることすら許されず、彼女は濡れたガーターに装着された銃を抜き取り、俺に素早く銃口を向けた。



 タン、タン。


 その乾いた音を最後に俺の意識は飛んだ。


 全てが無に帰すその刹那、聞こえたのは彼女の、



「クリア」



 という冷徹な三文字だけであった。



 了

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