神木蒼真は知っている

吉岡梅

蒼真の左腕

「斃れし戦槌の主よ。汝、終の番犬の牙を引き抜きその怒りを天に轟かせよ。――天灼轟雷撃トール・ハンマー


 蒼真そうまが詠唱を終え左腕をひと振りすると、戦場の一角に数多のいかづちが降り注いだ。攻勢をかけていた反乱軍の隊列が乱れ、戦場の空気が一変する。


「今だ! 門を開けろ! 姫君の戦士達よ、今こそお前らの力を見せる時だ!」


 蒼真の隣で指揮を執っていたホンが叫ぶと、戦士達から応と歓声が上がる。防戦一方であった官軍は三方の城門を開け放ち、反乱軍へと向かって突撃を開始した。激しい攻撃を耐えに耐えた鬱憤を爆発させ、見る間に反乱軍を駆逐していく。


「どうやら勝ったようだな。苦しい戦いだった」


 紅は大きく息を吐いた。


「蒼真、礼を言う。お前の魔道の力が無ければ我が国は――」


 蒼真の方を振り返った紅の言葉がぴたりと止まる。視線の先では蒼真が苦しそうにうずくまり、左肩を押さえている。その左腕は肘の少し先あたりから真っ黒く腐食し、嫌な臭いを伴う煙のような物を発している。


「蒼真! どうした! その腕は一体」

「ああ、少し無理をしたようです。どうやら取り込まれかけている」

「お前……。そんな。馬鹿な」


 紅は反射的に腰の円月刀を引き抜いて振りかぶった。が、そこで動きを止めた。額には脂汗が浮かび、碧い目には迷いの色がありありと浮かんでいる。


「紅さん、いいんだ。お願いします」

「だが……。蒼真、なんとかしろ! 私は嫌だ! お前を斬りたくなどない!」

「何を言っているんですか。魔に魅入られた者ひとりを斬れないなんて、『一丈青の紅』の通り名が泣きますよ」


 蒼真は息を切らせながらもにこりと笑う。左腕の腐食は、じわじわと肘の方へと競り上がってくる。


「お願いします。紅さんなら心配ない。この戦に勝てば、形勢も一気に官軍に傾く。もう僕がいなくても大丈夫。思い残すことはありません」

「馬鹿な事を言うな! 姫はどうする! お前が死んだら姫がどんなに悲しむか」

「麗姫ですか。大丈夫ですよ。彼女はああ見えて強い。やっと恩が返せる」

「嫌だ! 私が嫌だ! お前がいなくなったら私は……」

「紅さん、困らせないで下さい。お願いします。実は結構もう、苦しくて」


 蒼真はゆっくりと紅に背を向けて座ると、首を垂れた。背中からは紅の嗚咽が聞こえていたが、すぐに何も聞こえなくなった。


###


「ここは……」


 目が覚めると、蒼真は一面真っ白な部屋の中に横たわっていた。いつの間にか、自らも真っ白な着衣を身に着けている。体を起こそうとした蒼真は、バランスを崩した。いつもと何か勝手が違う。冷静に観察してみると、左腕の肘から先が失われていた。


「ああ、そうか。あの時最後の魔術を打って、その後、僕は紅さんに――」


 そこで、はた、と気づく。蒼真は紅に介錯をして貰ったはずだ。右手で首筋を触ってみるもののしっかりといる。と、すると、あれは夢だったのだろうか。いや、夢だとしたらこの左腕はおかしい。


 起き上がって部屋の中を見回す。広い半球状の部屋には、寝台がひとつと机がひとつ。机の上には水差しと懐紙の束が乗っている。どれも、蒼真が今まで見た事がない形状をしていた。


 なんなんだろう、この部屋は。少なくとも、王城で無い事は確かだ。もう少し周りを探ろうと、蒼真は懐紙を手に取り、部屋の出口を探した。なんとなく体がだるい。わずかながら頭痛もある。明かりに満ちた部屋ではあるが、窓は一つもない。ひとつだけ、ぽつんと扉らしきものがあった。


 扉には取っ手のようなものは何もついていない。だが、蒼真は自然と扉の一部分に触れた。すると、すっと音もなく扉が消えた。


――なぜ、僕はこの扉の開け方を知っているのだろう


 蒼真は自分でも不思議に思った。見た事もないはずの扉の開け方を、自分は知っている。なぜか。そう考えてみたものの答えは出ない。むしろ、なぜそんな疑問を持つのか、その方が不自然であるかのような気すらしてくる。この場所の扉は手を触れれば開く。それは、理由など考える必要もない当たり前の事だ。それでいい。自分の中の大部分はそう思っている。知っているものは、知っている。だが、それがなんとなく居心地が悪い。――また頭痛が。


 ぼうっとしている頭を押さえ、扉の外に出る。するとそこは、一面の森だった。緑の尖った葉を持つ樹木が、真っすぐと天に向かって生い茂っている。振り返って見ると、蒼真が今まで入っていた部屋は、ひとつの半球形の大きな建物であった。


 梵国の皆はどこに行ったのだろう。紅は、麗姫は。蒼真は皆の顔を思い浮かべたものの、ここにはいないと直観した。理由などなく、ただ、いない、と。


 今、自分の立っているこの場所は、あの島ではない。何年間も戦いを続けたあの場所とは違う別の場所だ。なぜかは知らないが蒼真は今、異世界へと飛ばされているようだ。誰に言われるでもなく、蒼真は理解した。いや、知っていた。


「今度はここで何かを成せ、と言うことなんだろうな」


 そう呟くと、左腕が急に熱くなった。見る間に青白い光に包まれ、肘から先がみるみる。無骨で角ばったボディ、油の匂いが漂う小型モーター、そして、鈍色に輝く鎖の刃。そう、チェーンソーだ。蒼真の左腕は蒼く輝くチェーンソーへと変形していた。


 まじまじと左腕のそれを眺めていると、くしゃみが出た。目の周りがなんとなくかゆい。蒼真は顔を上げた。顔を上げて、目の前の木を睨みつけた。


「なるほど」


 蒼真は呟いて左腕の安全レバーを解除する。杉の木の周りはが、ぼんやりと黄色く煙っている。蒼真がスイッチを入れると、音を立ててチェーンソーが回転し始めた。


「僕がなすべき事は、これか」


 ゆっくりと木の根元まで歩み寄ると、大きく左腕を振りかぶる。そして、幹に刃を当てた。ギュイイイインとという音と共に木が削られていく。蒼真が念を込めると、刃の回転速度が上がった。たちまち大木の幹は両断され、メキメキと音を立てて地に倒れ伏す。


「この地の全ての杉の木は、僕が切り倒す」


 蒼真は左腕のチェーンソーを構え、そう口に出した。理由などわからない。だが、蒼真は知っていた。自分がなすべきことを、やるべき事を。なんのためにこの世界へと飛ばされて来たのかを。


 懐紙で目を拭き、鼻をかむ。頭痛はまだ収まらない。だが、蒼真は確信していた。知っていた。全てが終わった時、きっとこの苦しみからは解放されるという事を。


 チェーンソーのオイルを確認し、蒼真は3月の森の中へと歩き出した。

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