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 朝に交わした約束通り、回転寿司で夕食を取った。そうするうちに小降りになっていた雨も上がった。健二が仕事を終える直前あたりから降り出した豪雨だ。列車に乗り、帰宅するまでに雨脚は少しずつ衰えはじめ、その後に美桜と出掛ける際には小雨になり、食べ終わる頃にはすっかり止んだ。


 雨上がりの夜道から続く、いつかに通った商店街の中をぶらぶらと二人で歩いて帰る。途上にあった電気店で美桜は突然足を止めた。釣られて健二もたたらを踏む。美桜はふらふらと、進行方向からは外れていき、店頭に並んだ大型液晶テレビの前へと吸い寄せられるように近付いていった。健二はその場に置いてきぼりだ。


「ねー、ねー、テレビ特価だって。これ、安いの? 高い?」


 展示品の一つを指差して、美桜は健二に尋ねた。


 最安値! の赤札が貼ってあるものの、健二の価値観でいえばもう少し下げてもらいたい値段だ。渋い顔で眉を潜めた健二の様子を窺い見て、美桜は男の言わんとするところを察したらしく、そっと商品から離れた。


 未練げに振り返りつつ、美桜は健二の隣へぴょこん、と立ち戻った。なんとなく、二人して立ち見の見物状態となり、目立つ赤札の付いたテレビの前に居座った。


 二人が並んで見ている型落ちのテレビには堅苦しいスーツ姿のアナウンサーが映り込み、夜のニュースを読み上げている。


『―― この後も引き続き、先日未明に起こりました通り魔事件の続報をお届けします。ではコマーシャルです』


 画面が切り替わり、爽やかな外人タレントを起用した洗剤のCMが流れた。耳に入ってくる報道はここのところ、東京近郊で起きた件の通り魔事件ばかりだ。現場は健二の住む場所にもほど近く、現在進行形で起きている事件だけに、他の事件よりマスコミの関心度も高かった。雨中の犯行とはいえ、被害者の証言もあり、すぐ解決するかのように夕方の報道では言っていたが、夜の番組アナウンサーたちの口調はもう少し深刻度が増していた。


「通り魔、まだ捕まらないのかな。怖いね……」

「せやな。幸い、死者は出てへんらしいけどな……」


 近頃は事件続きだ。ぼんやりとCMの画面を眺めながらも、健二の脳内では例のVチューバーが言っていた言葉の数々が渦を巻いていた。


 脳天気なCMの幾つかが終わると、また深刻な顔をしたアナウンサーが登場した。健二は久々に注目してニュースに耳を傾けた。番組は報道特番のようだ。男性アナウンサーの隣りに座った女性キャスターが、反対側に陣取る男に声を掛けた。


『ところで先生、犯人は同一人物と見られているようですね。決め手となっているのは三件とも、レインコートを着て自転車で近付き、後ろから何か長い棒状のもので殴りかかるといった、一連の犯行手口の一致、という話のようですけど、その辺りいかがでしょう、先生?』


 妙齢のベテラン女性アナウンサーが要点を纏めてからコメンテーターにパスを受け渡した。頷く壮年男性の姿が映され、元検察庁某という肩書きがテロップに流された。


『そうですね、半径一キロ圏内に集中するところからも、同一犯である可能性が高いと思われます。ただ、自転車に関しては被害者の証言もバラバラなため、まだ予断は許されない状況ですね。放置自転車をそのまま乗り回しているのかも知れませんが、複数の犯行が重なった偶発事件とも考えられます』


『それは模倣犯ということもあるというお話でしょうか?』

『ええ。可能性としては低いでしょうが、無いとは言い切れないと思います』


『先生、一件目の被害者は犬の散歩に出ていた主婦の方で、この時は赤い自転車だったそうですが、二件目と三件目は白かシルバーだったという証言のようなんですけど』


『ええ。一件目は一昨日ですし、同一犯が自転車を乗り捨てて別のものに変えた可能性もありますが、別人が先日の事件を真似てということも考えられます。警察もその両方の線を念頭に入れての捜査をしているでしょうね』


『今日の被害者の会社員女性と塾帰りの小学生のいずれも夜の七時頃に被害に遭っていますから、三件ともまだ夕方の時刻ですよね。他に目撃者が居そうなものなんですけれど、その辺りはどう考えられますか?』


『犯人はこの辺りの地理を熟知しているのでしょう、三件はいずれも人通りの少ない場所で、他に目撃者が居ない状況です。衝動でなく明らかに狙っていますね』


 ここで、女性アナウンサーは隣の男へ向けた顔を正面に戻し、カメラ目線で深刻に語りかけた。


『視聴者の皆さま。背後から自転車で急接近し、被害者の頭部を鈍器で思い切り殴り、そのまま逃走するという事件が頻発しています。時間帯は三件すべてが夕方の七時台で、地域住民の方々の帰宅が始まる時間帯です、くれぐれもご注意ください。では、ここで一旦コマーシャルです』


 再び画面が切り替わり、脳天気なタレントの笑顔がアップで映り込んだ。薬品の宣伝が始まった。報道内容とCMの落差も、テレビ文化の中ではもう誰も気に留めないものとなって久しい。頭痛にはどうのこうの、とお決まりの文句が流れていく。


「雨の日狙いの可能性もあるんやなぁ」

 健二の呟きに、美桜が下から覗き込んだ。


「一昨日も今日の夕方も雨降りだったね、そう言えば」


 レインコートはそのせいもあって現場付近ではあまり注目されなかったのだろう。目撃証言が寄せられていたとしても、有力と言えるだけのものはなかったと見るべきだ。


 夕方から降った雨は、健二の帰る頃には小降りとなり、夜も更けた今ではもう完全に止んで空には星が瞬いていた。美桜は夜空を振り仰ぐ。


「て、コトはぁ……、明日は被害が出ない⁉」

「楽観視すべきやないけどな。けど、この事件で色んなニュースが吹っ飛んだな」


 A市の事件もガクンと報道の機会が減った。隣で美桜が嬉々とした声で、楽しげに推論を語り始めた。


「なんて議員だっけ? 浮気のスキャンダルあったじゃん、案外、あの議員が裏で手を回してヤクザか何かにやらせてたりして! 世間の目を誤魔化すためにさ」


「それこそ漫画やな」


 そんな動機は馬鹿げていると、健二は美桜の提示した陰謀論を一蹴した。こんな目立つ事件を囮にしては、隠すどころか逆に逮捕の危険が大きくなるだけだ。おまけに、通り魔と議員スキャンダルでは残念ながら、スキャンダルの方が重大事件だ。特番の後にはスクープ記事解説のコーナーが設定されており、ニュースキャスターも引き続きご覧下さいと忙しく宣伝している。


「さ、ええ加減にして帰ろか。通り魔にばったり出くわしても嫌やし」


 ずっと店先で立ち話をされて、店側も迷惑だろうとも思う。


「通り魔の時間から外れてるから大丈夫だよぉ。アレなんてんだっけ? 馬?」

「逢魔が時?」

「そう、それそれ」


 日暮れの時刻は魔に出逢う危険な時間帯だと、そういえばなぜ昔の人々はそんな言葉を作ったのだろう。脳裏に浮かんだ四つ辻を俯瞰で眺め、振り払う仕草の後で正面の暗い通りを見据えた。あの言葉はそう、薄暗くなったことの不安と、陽がまだ落ちきってはいないという油断とで、鬼と人とを見誤る……たしかそんな話だったと思う。


 疑心暗鬼とも言うが、情報のない時代ほど闇雲に人は魔物の仕業にしてあらゆる危険と向き合うことをせず、有耶無耶に片付けてきたという誰かの説を思い出した。


 やはり情報媒体がスマホだけでは支障があるかと、ぼんやりと思考が回る。スマホは手で操作し続けねばならず、読み上げてもくれず、何よりテレビのようにスイッチさえ入れれば勝手に情報を垂れ流してくれるわけではない部分は不便だ。健二の場合、テレビは生活音の一つだった。


「あのテレビ、やっぱ買うか」

「えっ、ほんと⁉ やったぁ!」


 またぞろ歩きスマホで携帯をシャカシャカやりだしていた美桜が、そのひと言にぴょこんと顔を上げて満面の笑みを湛えた。健二は意表を突かれて、少しばかり驚いた。単純に、情報から遅れるのは拙いと思っただけなのだが、美桜は素直に喜んでいる。


「よかったー、暇つぶしでどっか行くでもさ、お金が心配だったんだよね。健ちゃん家は何にもないしさぁ。地味に困ってた」


「そんならそうと早よ言えばよかってん。あんま夜遊びせんと、早よ帰っとけよ?」

「へいへーい」


 解っているのかいないのか、美桜の返事はどこまでも気楽そうだった。


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