7
健二が現在住んでいるのはまだ新しい二階建てのコーポだ。レオパレスなどと同じ、全室が同じような間取りで同じ造り付けの家具が入っている。玄関を開けてやると、少女は躊躇なく中へ飛び込み、ふふん、と鼻を鳴らした。
狭い玄関の向こうにダイニングと居間が直列で覗く。ほぼワンルームと変わらない造りで、居間の半分ほどが天井の高いロフトになっていた。これは二階の全室共通の造りで、一階にはないがその分家賃は少し下がるらしい。
ロフトはほぼ物置用だ、立ち上がれるほどの高さもない。柵は頑丈だったから、健二の場合は半分をベッドとして利用している。
くるりと一回転して少女は口笛を吹いた。
「あんまり期待してなかったけど、ぜんぜん綺麗じゃん。ロフトなんか付いてる、おっしゃれーっ」
一見、無邪気に思えたが、はしゃいだ調子も何か大袈裟で、笑顔を作っていてもその目には警戒がある。見知らぬ男の家へ来てまったくの無防備でいられる方がどうかしているというものだろうが。
「なんもないトコやけど、まぁ、上がって」
先に立って室内へ進み、振り向いて少女を見た。そういえば、ここに至るまで名前さえ聞いていない。
名も知らぬ少女は傘立てに突っ込まれた木刀を手に取り、「洞爺湖。だっせー……」と口に出し、聞こえよがしで馬鹿にした。
いつの間にか馴れ合ってしまっていたが、確かに赤の他人の家出少女だ。
濡れた傘は表に出してある。が、独身者が二本の濡れ傘を置くのは不自然だろう、気付いた途端、妙に焦った気分が湧いた。元カノだった茉莉花が来たことがないでもなかったが、後ろめたい今夜とはまるで違う。
「な、なぁ、そういえば自分さ、あんなとこでほんまに何してたん?」
焦りが、また話を蒸し返させた。
「まだ聞くの? 何回目だよ、もう!」
乱雑に傘立てへと戻された古い木刀が派手な音を鳴らし、放り込んだ本人が飛び上がって驚く。ほとんど一人芝居のその動作はコミカルで、観る者の遠慮を溶かすだけの親しみがあった。
少女を泊めたことで、もしも、拙いことになれば。片隅で凝っていた感情が変化した。もし、拙いことになれば、その時は、その時だ。
笑いながら健二はまた問い返した。
「いや、マジで。一泊の恩義っちゅうかさ、そのくらい聞いてもええやん」
少女は洞爺湖の木刀をおっかなびっくりに見つめ、それからぎこちなく首を回して健二の方へ顔を向けた。驚愕の表情が貼り付いたままだ。
よほどに驚いたというその動作も多分に演技臭かった。
再度の質問を受けて戸惑うその素振りも、身をくねらせて俯いてみせるなどと、いちいち芝居がかっていた。
声のトーンをわざとらしく落としたかと思えば、予想に違わぬドラマ仕立てのセリフをそれらしく返してくる。絵にしたような仕草でチラチラと健二を見ながら少女は言う。
「別に……。前、転がり込んでたトコの男がサイテーのヤツで、追い出されただけ」
どうしても素直になる気はないらしい。
口を尖らせて下を向き、片足立ちにもう片方をぷらぷらと遊ばせるポーズは、完全に作り物めいていた。今の言葉も本当かどうかは怪しい。視線が健二の顔色を窺っている。
芝居っけのある仕草がどこか目に付く少女だから、話も半分に聞いた方が良さそうな気はしていた。
少女をそこへ残し、自らは続きのバスルームに進む。聞こえよがしの声だけが、言い訳がましい彼女なりの理由を耳に訴え続けていた。
「無理やりキスしようとしてくるから、ヤダって言って突き飛ばしてさ。そしたらコケて、怪我したとか言ってきて。そいつが悪いんじゃん、なのにあたしのせいだって、責任取れとか、恩知らずとか、親切にしてやったのにとか、うるせーから出てったの」
彼女の証言が本当ならば、ここのところの雨続きだ、相手の目論みもなんとはなし解らなくはない。行く当てのない少女の足下を見たつもりでいたのだろう。
よくある下衆な考えと、よくある顛末だ。その男に同情してやる気持ちはなかったが、本当によくあるような話だと思いながら耳を傾けていた。
ペラペラと調子よく喋り続ける声は快活で、いかにも嘘くさく思える。ドラマでしか聞いたことのないような経緯で、現実味を感じられない。そういうものとは無縁すぎただけだろうかと、現実の意味さえ曖昧になっていく気がした。
バスタオルを二枚取り、また廊下へ戻る。少女の文句は続いていた。
「どうせ長く居るつもりなかったし。出会った時にたまたま雨でさ、他に選択の余地がなかっただけなんだよね。だから泊まっただけなのにさ、そうでもなきゃあんな見え見えのキモいヤツ、世話になるわけないじゃん!」
喋りながら玄関框に座り込み、濡れた靴紐と格闘していた少女は、まるで引っこ抜くように片足からブーツタイプのスニーカーを外し、脱ぎ捨てた。即、もう一方に取りかかりつつ、忙しく口も動かした。
「おじさんは割と綺麗にしてるよね。あのキモ男とは大違いだよー、あいつの部屋、ゴミバコより汚かったもん!」
おじさん呼びもさることながら、曲がりなり、泊めてくれた恩ある相手をゴミ扱いだ。
健二は苦笑で聞き流し、彼女にバスタオルを投げてやった。白いリネンはふわりと飛んで、ベールのように少女の頭に被さった。
嘘でも何でも、少女の強気な態度は自身の過去を見るようで複雑な感情を抱いた。
「風邪ひく前に、風呂入っとってや」
気恥ずかしさと懐かしさと優しい気分のミックスで、生意気な少女を見下ろす。学校とかクラブとか、せいぜい塾といった狭い世界だけがすべてだった頃は、自身も同じように尖ったフリをしていた気がする。
東京へ出てきても、抗うように大阪の言葉を使い続けてきたことと、今、目の前の少女が背伸びをして強がってみせる姿は同じものなのだろう。ズケズケと言いたい放題のこの言い草が、今は彼女を支えるアイデンティティか。
自身もバスタオルを頭から被り、照れ隠しに顔を俯ける。
この夜更けに帰る家がないらしいということだけが、少女に言える事実だ。嘘八百を並べられているとしても、それを話すこの強がった態度だけは今の健二にも解る少女のリアルだった。
妙にセンチメンタルな、しんみりした気分に浸っていると、ふと、小娘の冷めた眼差しとぶつかった。
「な、なんや?」
「どしたの? おじさん。ニヤニヤしてキモい」
「キモいはないやろ」
「思い出し笑いしてた。キモ」
「昔を懐かしんでただけやんか」
「じじいだ」
「うるさいわ」
自分こそ、人を茶化した後にはニヤニヤ笑いのくせに。それを少女に指摘すると、断固として反発した。その姿も、粋がって背伸びをしていた頃を懐かしく思い出させた。
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