イクメンパパの奮闘記

トト

二人のお留守番

「あら、私忘れ物しちゃったみたい」

「さっきのスーパーか? それなら俺が」

「たぶん授乳室だから」

「…………」


 こうして約6か月になる息子と二人っきりの留守番が始まった。


「さあご飯だぞ」


 そうはいっても生まれてから今日まで育児休暇もバッチリとって、おむつ替えから風呂、最近は離乳食だってあげている。息子と二人っきりになったことだっていままで何回か経験している、まあそのほとんどは息子は寝ている状態だったとはいえ、今回だって問題ないはずだ。


 妻が忘れ物を取りに家を出るのを見送ったのち、慣れた手つきでいつもの指定席に息子を座らせる。


「はい、あーん」


 息子もその言葉をすでに理解しているようで素直に口を開ける。

 もにゅもにゅとあるのかないのかわからないような二本の歯で、いや歯など使ってないのか、ドロドロの離乳食を飲み込むように食べる。


「はい、あーん」


 何回かそんなことを繰り返していると、突然プイッとそっぽを向く。それでも顔の前にスプーンを持っていくが、今度は逆側にそっぽを向く。

 

そんな時はこれである。


 赤ちゃん用の麦茶の入ったマグカップを差し出すと、息子はそれを器用に小さな手で持つとゴクリと一口飲む。そしてそのまま「エイッ」とばかりに床に投げ捨てた。


「フッ」


 しかしそんなもの、サッと伸ばした手で床に落ちる前にキャッチしてみせる。

 息子と目が合う。ニヤリと笑う息子。まるで『お主なかなかやるな』と言われているようだ。


 当たり前である、毎回毎回同じことを繰り返すのだ。

 

「はい、あーん」


 そしてそのまま何事もなかったように食事は再開される。しかし何度目かのあーんんの後に口と一緒に手が伸びてきた。

 直観的にスプーンをさげる、何もつかめなかった手がバタバタと空を切る。

 そして不満をぶつけるように息子はブーと唇を震わせ口の中に残っているものをテーブルにまき散らした。

 

「もういいな。ごちそう様でした」


 まだ半分以上残っているが、こうなってはほとんどお腹に入ることなく今のように周りに飛び散るだけなのは目に見えている。

 赤ちゃんには話し合いや説得など通じない。子育ては諦めることも肝心なのだと最近悟った。


「さて、次は」


 ちらりと時計を見る。本来ならそのまま風呂に入れたいところだが、さすがに息子と二人で風呂に入るのはいささか不安だった。

 いつもなら湯船から妻に渡して後はゆっくりできるのだが、一人だとそうはいかないだろう。それに最近息子はずりばいを覚えた、自分が体を拭いている間に、どこに行ってしまうかわかったものではない。


「もうすぐ帰って来るだろうし」


 風呂はあきらめとりあえず息子を床に下ろす。

 すると解放されたとばかりにさっそく床を這いずりまわる。


 ついこないだまで寝返りがやっとだったのに。


 しばらくそんな息子の成長に感心していると、急に動きを止める。

 真剣な顔でどこか一点を見詰めたままピクリとも動かない。


「あぁ」


 すぐに察すると息子が止まっている隙に手早く準備を始める。おむつシートをサッと広げオムツとおしりふきを配置する。


「全部出たか?」


 答えはしなかったが。力んだことで赤みがかっていた頬がすっと元に戻る、そしてキャキャとした笑顔でまたはいまわろうとする。

 しかしそうはさせれない。息子をつかまえると、用意していたシートの上にごろんと仰向けに転がす。

 まだ遊び足りないとばかりに寝返りをうとうとする息子の腕に、事前に用意しておいた音の鳴るおもちゃをすばやくくくりつける。

 すると息子は自分の腕についたそれに、すっかり心を奪われ目が釘付けになる。

 それに気をとられている隙に素早くオムツを交換する。


「さあ、もういいぞ」


 オムツも無事綺麗に替えおえると、再び床に息子を放つ。

 チラリと時計を見る。もうそろそろ帰ってきてもいい時間だ。

 その時である、さっきまで機嫌がよさそうにキャキャとはしゃいでいた息子が、途端にフギョフギョとぐずり出した。

 

 腹は満たした、おしりもきれいだ。額に手を当てるも熱はなさそうだ。

 ならば──

 抱っこしてトントンと背中を優しくたたく。

 いつもならこれで寝てくれるはずだった。

 

「フギュ──フギャ、フギャ──ギャ、フギャ」

「どうした、寝なさい」


 トントンと背中を叩きながら部屋の中をぐるぐる歩く。


「フギャ──フギャ──」


 しかし落ち着くどころか次第にそれは激しさをまし、最後にはエビぞりになって泣き出した。


「どうした? 眠いんじゃないのか? どこか痛いのか?」


 そんなことを聞いても答えてくれるわけがない。


 さっきまであんなに機嫌がよさそうだったのに。いったいどうしたというのか?

 いままでこんなに激しく泣いたことなどなかった。いつもなら要求を満たしてやればすぐ泣き止んだのに。なのに今はなぜ泣いているのか皆目見当がつかない。


 お気に入りのおもちゃを手渡すが受けとると同時に投げ捨てる。


 はいずり回ってるうちにどこかにぶつけたのか?

 そんなそぶりはなかったが、一時も目を離さなかったかと問われればそうだとは言えない。念のため洋服を脱がして傷ができてないか隅々まで見たが、それらしき痣も傷もなかった。ついでにオシメも確認するがやはり問題ない。

 まだ残っているマグカップを渡すも手で払いのけられる。


「眠いけど寝れないだけだよな」


 寝ぐずりという言葉を思い出し、落ち着かせようと妻がよく歌っている子守唄を見様見真似で口にする。

 しかし、エビぞりながらバタバタ暴れる息子を、落とさないようにするだけでとても歌っていられる状態じゃない。


 本当に寝ぐずりなのか?

 あまりの激しい鳴き声に、いくつもの突発性のある病名が頭の中を駆け巡る。


 衰えることない激しい鳴き声にもうどうしていいかわからなくなった時、「あら、あらあら」となんとものんきな声が耳に届いた。


「はい、はい、大丈夫よ」


 妻はそういうとすぐに息子を受け取ると、自分の胸にギュッと抱きしめた。そして優しくトントンと背中を叩く、そしてそのままゆらゆらとまるでダンスでも踊るように、ゆらゆらと部屋の中を優雅にまわる。


「大丈夫、大丈夫、いい子だから、ねんねしましょうね~」


 初めこそフギャーと泣いていた息子も次第にその鳴き声を徐々にひそめていく。そしてスーとそのまま眠りについた。


「お疲れ様」


 妻がニコリと唖然としている夫に微笑む。


「風呂にまだいれてない──」

「寝ちゃったし、今日はもういいわ」

「なぜわかった?」


 帰ってきた妻は「何があったの?」とは聞かなかった。まるで息子が泣いている理由が分かってるように。


「うーん。二人して同じ顔してたから」


 余計にわからないとばかりに眉を寄せる。


「急に不安になっただけかなって。それにあなたのことだから、怪我なんてさせないだろうし、他も全て確認済みなんだろうなって」


 そう言うと妻はそっと夫を抱きしめた。


「お疲れ様。もう大丈夫よ」











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