古代中国風架空戦記「馬鄧の戦い」

武州人也

将軍の直観

 馬上で顎ひげを撫でる中年の将軍魏堅ぎけんは、まなじりを吊り上げた厳しい顔をしながら剣を引き抜き叫んだ。


「全軍、かかれ!」


 その大声とともに太鼓が打ち鳴らされ、弓兵が矢弾を敵に浴びせる。敵方である韓軍からも同様に矢が放たれ、矢弾の応酬が始まった。

 黒い雨のように降り注ぐ矢は、両軍の兵士の命を容赦なく刈り取っていく。やがて矢による攻撃をくぐり抜けた長兵が、矛や長斧などをぶつけ合い始めた。左右からは騎兵が展開し、黄色い砂塵を蹴立てながら入り乱れている。


 魏堅の仕える宋の国には韓と陳という二つの国が隣接しており、宋は陳と結んで韓と対峙している。韓が突然陳を攻めたため、宋は同盟国である陳を助けるべく六万の兵を送り込み、陳を攻める韓軍の後方に回り込んだ。

 魏堅は六万のうち二万の兵を預かっており、馬鄧ばとうという土地に置かれた韓軍の後方基地を攻撃する四万の本隊と合流すべく街道に沿って行軍していた。それを迎撃すべく、街道上に韓軍の一部隊が現れて陣取った。街道を塞ぐ韓軍の兵力はおよそ五千。魏章が率いる二万で十分に押せる数である。


 魏堅率いる宋兵は数に勝ることもあって韓兵相手に優位に立ち、初日の会戦で敵に痛撃を与えることに成功した。どうやら韓軍の兵の質も悪いようである。恐らく大軍をこしらえるために急な徴兵を行ったのだろう。そのせいで、実戦経験に乏しい新兵が多いのだ……魏堅はそう解釈した。


 二日目の会戦は、初日にも増して魏堅軍が韓軍を押して押して押しまくった。韓軍は完全に腰が引けてしまっており、やがてこちらに背を向けて撤退を始めた。


 その夜、炬火きょかを焚いた帷幕の中で、魏堅は幕僚たちの前で自分の考えを述べた。


「逃げた韓軍を追ってはならない。すみやかに軍を南に向け、本隊と合流する」


 炬火に照らされた幕僚たちの顔が、当惑の表情を浮かべた。


「あの韓軍を放置すれば、必ずや我々の背後を脅かしましょう。今、我が軍の士気はいよいよ振るっております。このままあの韓軍を撃滅して後顧の憂いを断つべきと思われます。それから本隊と合流しても遅くはないでしょう」

「いや、奴らは追ってこない」

「なぜです、魏将軍」


 魏堅の目が左から右へ巡り、幕僚たちの顔を順番に見つめた。


「あれは陽動だ」


 歴戦の将である魏堅の踏んだ場数は、若い幕僚たちとはまるで違う。この将軍は過去の経験から、肌感覚で敵の意図を素早く察知していた。

 今、宋軍の本隊は韓軍の後方基地に当たるとりでを攻撃している。ここを落とせば敵の連絡線を断ち切ることができ、陳を攻める韓軍は孤立してしまう。

 当然、敵もそう易々とこの塞を抜かれるわけにはいかない。四万の宋軍本隊に対して、塞には三万の韓軍が立て籠もり徹底抗戦の構えを見せている。

 敵の狙いはこうだ。魏堅軍が本隊へ合流する前に、宋軍本隊に別動隊を差し向け奇襲攻撃をかける。その別動隊が接敵するまでの時間稼ぎをするために、街道に五千の部隊を置いたのだと。

 塞周辺の地形は細く入り組んでおり、大軍を通せる道は少ない。そのうちの一つは宋軍本隊がしっかりと確保している。しかし、魏堅軍と本隊の間に一本だけ、二、三万程度ならたやすく通れる道が北西から南東に走っている。韓軍が宋軍本隊の側面を攻撃する時、韓軍は必ずこの道を通るであろう。


 かくして、魏堅軍は軍を翻して南へ向き、本隊の方へと向かった。先日戦った韓軍は兵を失いすぎてもはや継戦能力は残っていないであろうが、後方を脅かされぬように魏堅軍はまきびしを撒きながら軍を進めた。


 行軍中、「ここを通って韓軍の別動隊が現れる」と魏堅が踏んだ街道に差し掛かった。はたして魏堅軍の斥候は、魏堅の見立ての通り街道を南東に進む二万の韓軍を発見した。


「やはり来たか」


 魏堅軍は山を背にする形で街道に陣取った。魏堅軍に道を塞がれた二万の韓軍は、これを排除しようと全力で攻撃を仕掛けてきた。

 魏堅軍もしぶとく粘り、襲いくる韓軍を相手に奮闘した。今度の韓軍は先の五千の軍を比べると兵の質が高く、明らかに戦い慣れしているようだ。

 熾烈な戦いは幾日も続いた。いよいよ両軍ともに疲弊しきってきたその折、魏堅の元に急報が入った。


「我が軍の本隊が敵の塞を落としたか」


 伝令を受けて、魏堅はほっとしたような表情を見せた。周囲の幕僚たちは今までの張り詰めようが嘘のように両手を振り上げ、大声を響かせて喜び合っている。

 魏堅軍が韓軍の別動隊を押さえている間に、宋軍本隊はありとあらゆる攻城兵器を投入し、死に物狂いで塞を崩しにかかっていた。そうして塞に立て籠もった韓軍の抵抗も虚しく、塞は宋軍の手に落ちたのであった。

 魏堅軍と戦っていた韓軍の別動隊も、塞が陥落したことを知ったのだろう。きびすを返して街道を戻って去っていった。

 この戦いは韓軍の塞が築かれた土地の名をとって「馬鄧の戦い」と呼ばれ史書に記された。


 歴戦の将である魏堅の直観がなければ、きっと宋軍は塞の攻略に失敗していただろう。そうなれば陳を攻める韓軍の後方を脅かすという宋側の目論見は失敗してしまうのだ。

 事実、陳を攻めていた韓軍は孤立し、兵糧が尽きたことで降伏した。最終的に宋、陳、韓の三国で和議が結ばれ、韓は領土を宋陳両国へと割譲することで手打ちとなったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古代中国風架空戦記「馬鄧の戦い」 武州人也 @hagachi-hm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ