第14話 風と、音。

CR-X(E-EF7)は、世界でも稀に見るヘンテコなクルマで

ジムカーナ用、みたいな感じで。


前のトレッドが広く、後ろが狭い。ホイールべースが短い。

後輪に、コンプライアンス・ステアが発生するように作られている。

極端に前重である。


なので、エンジンを含め殆ど前輪で走っているから

タック・インとかで急激に旋回する(ように作られている)。






下り坂のカーブでは無敵だ。登りだって、巧く走るとハンドルは不要なくらいに

ヨー・モーメントだけでカーブできる。


反対に、気を抜くと危険だ。



理屈は単純である。感じ取れるとすれば・・・

例えば、グラウンドを走る。左にカーブする。

その時、足は右に蹴り続ける。

慣性で真っ直ぐ進もうとする体を、左に押す訳だ。


誰でも、感じ取れるだろう。

その時、体の重さが主に右足に掛かるから

ひとは、体を左に傾けたりして、その力で右に転ばないようにする。



ので。



クルマの場合、タイアが右端にあって、エンジンとか、人とか。

重いものをそれで支えられれば、左に曲がるワケ。


簡単、単純明快である。この場合、主に右前輪である。

あとはオマケだ。


後ろ右は、どちらかと言うと邪魔だから・・・それでCR-Xは

後ろが滑りやすいように作った。

さらに、後輪に力が加わると、僅かに舵角が付くような機構が付いている。


CR-Xの場合、前トレッドが広いのでよく効果がある。



こういう、ヘンテコなクルマを

何のために作ったか? 面白いから、だろう。


ただ、技術が無い人には安定性が悪い危険な車で

事故続出。


以降は、こういう車は作られていない。




後のEF8(ポール・フレール先生が3台乗ったほう)は、若干普通のクルマっぽくなってい



トレッドが狭く、後ろトレッドの方が広く、安定志向になっている。



160psを得て、カーブ最速、ではなく

バランスのよい車になったのだろうと思う。


その癖を掴んで、130psをフルに使うとかなり速い。

前のバラード・スポーツCRxを発展させたライトウェイトスポーツだ。



靖子は「パイロットになりたかった」と言うだけの事はあって

その癖を巧く掴んでいた。フルパワーを引き出していた。



ホンダ・エンジン。ZC型16ヴァルブ・ユニット。

全開にするととてもいい音がする。



遠回りしながら、青葉台の寮まで送ってもらって。


駅のすぐそばだから、電車の方が速いのだけど。



じゃあ、と、右手を上げて。

僕はナビ・シートから降りる。黒いCR-Xは、綺麗だ。


全開で回してきたエンジンから、オイルの焼ける匂いがした。



坂道を、靖子は静かにCR-Xを走らせて。


どこへいくのだろう?



寮のすぐそばの国道246に乗って、ZCユニットの快音を響かせていた。



「レーサーにでもなるといいな」なんて、僕は思う。


やや小柄、色白、黒く大きな瞳。

真っ直ぐな黒髪は、長く、ウェーヴが掛かっていて。



「山形美人、かな」と、僕は微笑みながら

寮の、自分の部屋に向かった。



寮は古く、元々は電電公社の寮だったらしい。

でもまあ、1970年代の作りで

ワンルームスタイル、エアコンがあるのは

当時としては贅沢だろう。


1990年頃の話だから、20年くらいは経っているけれど。


エレベータで6階に上がり、608号の自分の部屋の前まで来ると

となりの部屋から、カシオ・デジタルホーンの音が聞こえた。


隣室の岡沢は、NTTの人間である。

吹奏楽部の経験が長く、ここでも「サックス吹きたい」と言っていたので


僕はウィンド・シンセWX7を見せてあげた。


それで「安いのがほしい」と言うから


カシオのそれを教えてあげたら、渋谷あたりで買ってきたらしい。



隣室のドアが開いているので、俺はちょっと微笑んで、片手を上げて。



岡沢もにっこり。



いい夜だ。

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