直感と直観に基づく数列への推理 -The Rule of Number and the Intuition-

OOP(場違い)

本編

 手紙と述懐は時候の挨拶から始めるに限る。それで言うと、6月、梅雨の時期というのは、1年を通しても非常に語りやすい部類に入る。

 大正市のここ一週間の天気予報には、傘のマークが立ち並んでいる。窓の外を見やると、豪雨とは言えないまでも帰りが憂鬱になる位の強い雨が、帰宅部の生徒たちに半分嬌声のような悲鳴をあげさせていた。


 窓から視線を移し、長机を挟んで自分の正面のパイプ椅子に座る、カタツムリよりジメジメとした顔へと目を向ける。


「退部したくせに、いきなり押しかけてきたかと思ったらだんまりって。用件があるなら早く言えよ」


 別段イラついているわけではないが、あまり見ない下邨の憂鬱顔に、何故か少しきつい言葉遣いになってしまう。

 下邨翼しもむら つばさ。昨年まで我らが新聞部の仲間だったが、兼部していた水泳部の方に注力したいという理由から、2年進級にあたって退部した友人だ。

 基本的にいつも黄色のオーラを纏っている賑やかなヤツなのだが、今日は面白いほどブルーだ。

 ただでさえ高い部室の湿度を限界突破させんとしているような、湿っぽい溜め息を皮切りに、下邨はようやく口を開いた。


「昨日久々に……ってか、進級してから初めて、秋華さんに会ったんだよ」


 この時点で帰れと言い放ってやりたいが、グッと飲み込んだ。

 秋華さんとは、渡良瀬秋華わたらせ しゅうか先輩のこと。昨年度卒業した、新聞部のOBである。あ、女子だからOGかな?

 そして目の前にいる下邨の彼女さんでもある。ちなみに私は2人が恋人になったのと同じ日に失恋した。お幸せに。


「まだ恋人じゃねぇけどな。お互いやることやれたら、正式に告って付き合うって約束」

「聞いてないけど」

「ほら、俺たちって遠距離じゃん」

「聞いてないけど」

「だから、その。いや、秋華さんのことは信じてるんだけどさ。大学で悪ぃ虫がついてないとも限らないだろ。美人だし」


 聞いてないけど、といくら言ったところで聞こえていないようなので黙る。

 こいつ、実は惚気がしたくて来たんじゃないだろうな。


「浮気とか、秋華さんに限って無いだろうけど、俺としては不安なわけよ」

「女々しいな」

「俺だってそう思うけど、ただ、昨日、見ちまったんだよ……」


 他の男と歩いてるところとかか?


「秋華さんのスマホのパスワード……0493だったんだ」


 2人ともが黙り、部室に静寂が訪れる。

 下邨としては、私の反応待ちなのだろうが。私としては、「え、それで終わり? それが何?」以外に返す言葉がない。


「0493って。秋華さんの誕生日でも俺の誕生日でもない! 何の数字なのか気になって昨日は寝れなかった!」

「帰っていいか?」

「もしも俺以外の他の男に関連した数字だったらと思うと……うおお!」


 ……突っ伏してしまった。

 何なんだこいつ。何がしたいんだ。頬をかいて、とりあえず話を整理する。


「……つまりあんたは、渡良瀬先輩のスマホのパスが何故0493なのかを知りたいと?」

「そう! お前なら分かるかと思って!」

「知るかそんなの。自分の名前とかじゃないのか」

「『しゅうか』がどうしたら『0493』になるんだよ!」

「さぁな。興味もなければ、私がそんな謎解きをする義理もないし、お前が渡良瀬先輩のプライバシーに関わることを詮索する権利もないだろう」


 プライバシーという言葉を出されて、下邨は喉が詰まったような顔をする。

 気持ちは分からんでもない。去年までの私も、好きな人のことなら何でも知りたかったし。それが十中八九大した意味の無い数列だとしても、好きな人に関係するものとなれば話は別だ。


「そう言わずちょっと考えてくれよ。秋華さんに直接聞くわけにいかないし、このままじゃ次会う時までずっとモヤついたままだよ」


 お前の頭はそんな事、3日もすればケロッと忘れてると思うけどな。

 ともあれ、あと十数分もしたら他の部員がやって来るだろう。そうしたら余計面倒な話になるのは目に見えている。私はこれ見よがしな溜め息を吐く。


「条件ひとつ。これでどんな結論が出そうが出なかろうが、渡良瀬先輩本人の前では絶対言わないこと」

「当然!」

「条件ふたつ。一応考えてはみるけど、多分考えて分かるような代物じゃないだろうから、過度な期待はしないこと」

「俺の無い頭よりかは期待できるだろ」

「OK。じゃあ少し考えてみようか」


 私はスマホのメモ帳を開き、件の数列、『0493』を書き込む。5秒ほどじっと見つめて、その数字の向こう側を探る。


「語呂合わせってことはなさそうだな」

「無理やり読むとするなら……わしくさ? れよくさ?」


 無いな。語呂合わせ、バツ、と。

 また、さっき下邨の話にも出てきたが、誕生日という線もなさそうだ。4月93日? んなアホな。


「あんたはスマホのパス、何で決めたんだ?」

「俺は普通に誕生日だな。お前は?」

「私も前までは誕生日にしてたけど。今は、春休みに買った4桁の数字を選ぶ宝くじで1万円当たった時の当選番号にしてるな」

「秋華さん、宝くじはスクラッチ以外買ったことないって言ってたからなぁ」


 なんか、渡良瀬先輩らしいな。それ。


「番号、番号……あ。もしかして、受験番号じゃないか?」


 たしか忍と似たような話をした時、彼女の姉もスマホのパスを受験番号に設定していたとか言っていた。十分有り得る話だろう。

 しかし、下邨は腹立つほど大きくかぶりを振った。


「合格発表の時、一緒に番号見に行ったんだ。バッチリ覚えてるよ、2099だった」


 うちの高校を受けた時の受験番号という線も……無いか。渡良瀬先輩が受験した年度のことは知らないが、ここ10年で1番受験者が多かったらしい私たちの年度でさえ150人程度だったしな。

 他に、渡良瀬先輩がパスとして設定しそうな4桁の数字として思い当たるものはあるだろうか。


「あ。郵便番号とかは?」

「下4桁か」


 下宿先の郵便番号を忘れないようにスマホのパスにする、か。ありそうな話だけども。

 下邨から渡良瀬先輩の下宿の住所がだいたいどの辺かを聞き、検索してみるが、その地域の郵便番号は0493にかすってもいなかった。

 2人天を仰ぎ、唸る。どうにかこじつけでも0493に結びつけられればスッキリひと段落つけるんだが。


「……はあ。俺、秋華さんのこと、まだ何にも知らないんだな」


 天井から机へと、ちょうど90度。下邨は、がっくりと頭ごと視線を落とした。


「大体こういうパスって、その人にとって大切な数字だろ。昨日から頭を捻って捻って捻りまくって、こんなにも出てこねぇなんて。悩む資格がないくらい、自分の好きな人に対する気持ちが足りてないって事かな。情けねぇよ」


 足りてないのは気持ちじゃなく頭じゃないのか、なんて軽口をおいそれと叩けないほど、下邨は落ち込んでいるようだ。

 私としては、明朗快活で、部活に勉強に友達にと、常に忙しそうにしていた渡良瀬先輩の事だから、スマホのパスなんて本当に適当に設定していると思うので、そこまで思い悩む必要はないと言いたいのだが。そんな結論を述べたところで、こいつの気は晴れないだろう。

 難しく考えすぎているのかもしれない。こんなもの、事実がどうだろうとどうでもいいのだ。下邨が安心して納得出来る理屈をくっつけてやれれば済む話なのだから。


 何でもいい。何かの数字を計算した結果? ラッキーナンバー? 本当に何でもいいんだ、どんなこじつけだって。

 もっと力を抜いて、適当に、直観に基いて……。


「……あ」


 捻っていた頭の回転を停止し、何となく、

 私は、こじつけなんかじゃなく、恐らく本物の答えに辿り着いてしまった。

 あまりの呆気ない答えに、ただでさえ脱力しきった頭が、完全に停止してしまった。机に置いたカバンの上にスマホを放り投げ、目を覆う。


「下邨。自分のスマホを出せ」

「ん? おお」

「メモ帳でも何でもいい。文字を入力できるアプリを開いて、『渡良瀬』って打ってみろ。予測変換は使うなよ」


 首を傾げたまま、言われた通りに入力する下邨。

 それだけでは分からなかったらしく、これが何なんだ、と訝しげな視線を向けてくる。


「……じゃあ次に、数字入力に切り替えて、『0493』を入力してみてくれ」


 0、4、9、3。下邨の右手の親指が、スムーズに動く。

 辿指は、そこで静電気にあてられたかのようにピクっと動いて止まった。


「えっ、嘘だろ」

「まさか本当に最初適当に言った予想が正解だったなんてな。

 渡良瀬先輩は、自分の苗字をテンキー入力した時と同じ順番・配置になるように、4桁の数字をパスワードとして設定したんだよ」


 去年から今まで、周りの人たちに頼られる形で色々と探偵ごっこみたいな事をやっていたが、今回の件はその中でもずば抜けて下らないものだった。

 謎とすら呼べないもの。私たちが勝手に、謎だと思い込んでいたもの。

 答えを知った下邨が、両手で顔を覆って天を仰ぐ。


「なんだよそれ……秋華さん、こんなのってあるかよぉ……」


 はぁ。大きな溜め息を吐き、下らないことで1日分の睡眠時間を浪費してしまった下邨を部室に残して、私は廊下に出た。

 窓の外では、未だ勢いを落とさず雨が振り注いでいる。面倒事が解決したからといって、漫画や小説みたいに雨雲が晴れることはなく。


 渡良瀬先輩の下宿先でも、今、同じような雨が降っているんだろうか。

 私はスカートのポケットからスマホを取り出して、渡良瀬先輩に電話をかけた。


「もしもし? お久しぶりです、今お時間ありますか? 下邨のヤツが、久々に部室に来てるんですけど……」


 男と女の仲には、小さなことから、いとも簡単に雨雲が押し寄せる。


 部室の前に置かれた傘立てには、今朝の天気予報を見て持ってきた、私の黒い傘が立てられている。

 お互いを知り、理解していればきっと、大抵の不安は乗り越えていけるはずだ。

 手始めに、部室に戻ったら、今日この部室であったこと以外の全てを、下邨に喋らせてやるとしよう。


 






 

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直感と直観に基づく数列への推理 -The Rule of Number and the Intuition- OOP(場違い) @bachigai

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