KAC20213 直観

霧野

スマホを持たずに家を出た

 スマホを持たずに家を出た。



 駅の券売機で電車の切符を買う。この券売機で買える、一番高い切符を買う。


 券売機で切符を買うなんて、何年振りだろう。そもそも現金で何かを買うこと自体が久しぶりだ。そういや、「切符」なんて言葉を最後に使ったの、いつだったっけ。


 改札を通り、出てきた切符を回収する。こんな些細なことが妙に新鮮に感じる。


 一番早く来た電車に乗った。普段はあまり使わない路線だ。車内はガラガラだったので、隅っこのあまり陽の射さない席に座った。

 暖かい椅子と心地よい揺れに体を委ねて目を閉じると、すぐに眠りの気配が忍び寄る。もぞもぞと座りなおし、最も眠れそうな体勢を整えたかと思うと、数秒で眠りに落ちた。



 目が覚めて最初の駅で電車を降りた。降りたことはおろか、聞いたこともない駅だった。どれだけ眠っていたか、何駅過ぎたのかもわからない。

 人気のない改札を出る。料金は足りていたらしい。


 駅前はちょっとした広場になっている。広場とはいえ、素っ気ないものだ。案内図もなければバスのロータリーもない。花壇ぐらいあってもいいだろうと思うのだが、それすら無かった。


 影が短いから、おそらく昼に近い時刻だろう。なんと今日は、腕時計さえ着けていない。所持品はポケットの中の財布だけだ。


 道は広場から三方向に分かれているが、どこへ行こう。とりあえず半円状の広場の端をぐるりと歩いて、三本道を覗いてみようか。

 とりあえず左のほうへと足を向けると、背後から白い人影に追い越された。ぶかぶかの白いパーカーのフードを被り、これまただぶだぶの太いパンツ。生成りの涼しげな素材だが、今の季節には少し寒そうだ。


 色味の薄いその人物は、左の道の入り口で立ち止まり、フードを下ろした。


 いきなり色彩がこぼれ落ちた。大きく波打った長い髪は、ピンクとオレンジに染め分けられてた。よく見ると毛束ごとに、桜と桃の花の色、キンセンカのようなオレンジ色、菜の花みたいな黄色がある。


 ─── 春の精みたいだ ……


 柄にもないことを考えていたら、春の精が振り向いた。なんと、まつ毛は瑠璃色。揺れるイヤリングは透き通った緑色だった。



「ねえ、アンタ。暇なの?」


 周りを見回すが、誰もいない。やはり自分に話しかけているのだ。


「ええ、まぁ」


「アンタ、ムラサキが全然足りてないよ」


「はい?」

 思わず、自分の服装を見下ろしてみる。


「そうじゃないよ。中身の話」


……意味が、わからない。


「アタシがムラサキの歌うたってあげる。ムラサキが貯まったら、西へ行きなよ」


「いや、あの」



 こちらの戸惑いなど意に介さない様子で、彼女は何かを確かめるように何度か足踏みをした。少し足を開いて立ち、静かに息をいて顔を伏せる。


 顔を上げ口を開いたその瞬間、その声が体を優しく貫いた。




 温かな波に、何度も洗われたような気がした。彼女は歌い終えると、静かに微笑んだ。


「ありがとう。素敵な歌だった」

「どういたしまして」


「ねえ、ムラサキが足りないって、どういう意味?」

「どうって、言葉のまんま」


 やはり意味がわからない。


「なんでわかるの?」

「なんでって……なんとなくだよ」


 彼女の表情から、これ以上聞いても無駄だとわかった。このヒトなんでそんなこと聞くの?、とでも言いたそうな顔だった。


「西だよ。おひさまを追っかけていけばいい」



 もう一度歌の礼を言い、不思議な彼女と別れ西へ向かった。なんとなく、そうした方がいいと感じたからだ。




 しばらく歩くと、道が石畳に変わった。


 道端に小さな露店が出ている。通り過ぎようとすると、露店の陰から猫が飛び出してきた。こちらに走りより、足元に絡まるように頭を擦り付けてくる。頭をこりこりと掻いてやると、猫は気持ち良さそうに目を細め、声を出さずに鳴いた。


「あらあらあら、すみませんねえ。うちのコが」



 露店のおばちゃんが小さな丸い体を揺すりやってきて、慌てて猫を回収した。


「滅多に人に懐かないコなんですけどねえ。あなたはきっと、とても優しい人なんだね」


 猫を腕に抱くと店先の台へ手を伸ばし、ぶどうをひと房手に取った。


「これ、お詫びだよ。持ってっておくれ」


 売り物をいただけないと断ったのだが、強引に受け取らされてしまった。

 さっきの「ムラサキが足りない」という言葉が頭の片隅に残っていたのかもしれない。



 礼を言い、綺麗な紫色のぶどうを食べながら先へ進む。ぶどうはみずみずしく甘酸っぱくて、美味しかった。





 石畳が終わって土の道になった。とてものどかなところだ。緩やかに曲がる一本道の両脇は草むら。遠くに木立が見える。


「おや、探し物かい?」


 突然声をかけられ驚くが、人の姿が見えない。と、目の前の木枝から人が飛び降りた。


「驚かせて悪いね、木の上で休んでたんだ」


 小柄なおじさんはかぶっていた帽子を取った。何故か上下とも緑系の迷彩柄を着ている。どうりで木の上で姿が見えなかったわけだ。



「で、何を探してんの?」


「いえ、別に何も」


「そうかい? 何か探してるような顔してるよ」


 そう言われても……とか何とかもごもご呟きながら、軽く頭を下げて通り過ぎた。変に絡まれても面倒だし、さっさと行ってしまおう。



 少し歩いたところで、後ろから大きな声が聞こえた。


「上だよ。あんたの探し物は、上の方にある気がするよ」


 振り向くと、小柄なおじさんは頭の上で大きく帽子を振っていた。


 再度頭を下げて礼を示し、また歩き出した。なんとなく、そうした方がいいと感じたからだ。




 しばらく歩くと、また石畳の道に変わった。ポツポツと家が現れ、やがていくつもの家が立ち並び始めた。小さな町のようだ。

 気づけば陽が傾きかけていた。家々の窓から、夕食の支度の気配が漂ってくる。


 家路を急ぐ人々は背中を丸めて歩いている。そういえば気温も下がってきたみたいだ。


 突然、強い風が吹いた。風は帰宅中の女子学生のスカートの裾を揺らし、サラリーマンのコートをはためかせ、OLさんの髪を吹き流した。



 はらはらと、何かが舞い落ちてきた。手を出すと、それは前もって決まっていたみたいに、手のひらに着地した。何かが印刷された、小さな紙切れ。



「あ、すみません。それ、僕のです」


 背後から声がかかる。振り向くと、さっきすれ違ったサラリーマンだった。


 紙を彼に返そうとしたのだが、彼は思い直したように微笑んだ。


「やっぱ、いいです。それはあなたに差し上げます。僕にはもう、必要ないみたいだから」


 男はなんだか晴れ晴れした表情でうなずき、帰って行く。


(え、要らないんだけど……)


 手の中の紙には、住所らしき文字列と営業時間の表記があった。それと、奇妙なイラスト。どうやら花のようだ。中心から外側へ向かい、幾本もの細長い花弁がニョロニョロと伸びている。なんとも気味の悪い花。




 数分後には、その住所の前に立っていた。なんとなく、そうした方がいいと感じたからだ。


 カードに描かれたのと同じ、気味の悪い花がたくさん咲いていた。その木は実際に見てみるとさらに不気味だった。

 木の脇には、地下へ続く階段と、鉄製の手すりの付いた2階への階段がある。


 迷わず2階への階段を選んだ。小柄なおじさんの「探し物は上の方にある」という言葉が、頭の片隅にあったからだ。


 7段の階段を上がると、ガラスの嵌った木のドアを開けた。



「いらっしゃい」


 暗い店の奥から、声が聞こえた。深みのある、天鵞絨ビロードのような声だ。



 両側全部が戸棚になっている廊下を、奥へと進む。閉じられた戸棚の扉から漏れる明かりを頼りに。


 部屋に着くと、右手のカウンターから声がかかった。


「こちらへ」


 カウンターの向こうには、黒い服を着た魔女みたいな女性が座っていた。示された椅子に腰掛けると、彼女はカウンターの下からうすっぺらい木箱を取り出し、蓋を開けた。中は細かく仕切られていて、すべての枠の中に様々な石が入っている。


「好きな石を選んで」


「好きな石? 何故?」


「別に売りつけようってんじゃないのよ。あなたが求めているものを知るため」


「石には詳しくなくて。色で選べばいいの? それとも…」


「ただ、なんとなく惹かれるものを選べばいいのよ」



 たくさんの石の中に、キラキラ光るものがあった。おひさまの光を凝縮したみたいにあたたかなオレンジ色で、見ていると不思議とくつろいだ気持ちになる。


《西だよ。おひさまを追っかけていけばいい》


 ふと、春の精の言葉を思い出した。



「サンストーン。邪気を払い、矜持や独立心を養うのを助けてくれる石。今のあなたに必要なのは、それね」


 彼女はその石を、手に握らせてくれた。


「持っておいきなさい」


 お金を払おうと財布を出したが、彼女は首を振った。


「初回はお金を取らないことにしてるの。次からはちゃんと払ってもらうわ」



 彼女は店の外まで出て見送ってくれた。あの、気味の悪い木のところまで。


「また来ます。この店の名前、なんていうんですか?」


 彼女は傍らの木に触れながら言った。


「Witch hazel。魔女のハシバミ。この木の名前と一緒よ。あなたは、この店をどうやって知ったの?」



 通りすがりの人から偶然カードをもらって……と言おうとしたのだが、勝手に言葉が口をついた。


「なんとなく、です」



 彼女はにっこり笑った。


「最高」


 なんだか、これまでのことをすべて肯定してもらえた気がした。温かくて励まされるような、素敵な笑顔。


 自分の選択は、間違いじゃなかった。仕事に忙殺され、あやうく文字通りに心を亡くしかねなかったのだ。

 明日からまた、転職活動がんばろう。

 




 今日はなんだか不思議な日だったな。情報に頼らず思うままに行動したら、いろんな人に出会えた。ちょっと変わってるけど、いい人たちだった。


 スマホを持たずに家を出て良かった。今朝起きて、なんとなく、そうした方がいいと感じたからだ。



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