第6話

 人の鳴く声が、遠くに聞こえた。

 味方の兵だろうかとキョウは聞き耳を立ててみたが、ついに鳴き止むまで分からなかった。


 先頭を歩くシカは、声から離れるように進んでいるようだった。声以外の何かにも距離を取っているらしい。時折何もない方へ顔を向けると、逆方向に進路を変えたりもする。シカの勘は鋭いが、それがどのように感じるのかキョウには全く分からなかった。


「突破できるのか」


 辺りを見回しながらキョウが言う。

 シカは振り返り、首を傾げた。


「分かるものか」

「そうだな」

「剣を握る力だけは残しておけ」


 シカはそう言って、自らの首に指先を当てた。

 握る力を残すのは、戦うためだけではない。自刃するための力も必要なのだ。戦場で敵と戦う際、その場で相手の命を断つことは、まずない。致命傷を与えれば動けなくなり、じきに死ぬからだ。近くにいる仲間が止めを刺してくれれば楽だが、誰も近くにいなければ自ら命を絶ったほうが早く楽になれる。


 シカとキョウは、長く戦ってきていた。

 死を身近に感じるうちに、二人はいくつも決め事をするようになっていた。そのうちの一つが自刃だった。格好よく死にたいわけではない。苦しみののち絶える姿を何度も見たからだ。

 助かりたい一心で藻掻く者は多い。みな、時間が経てば経つほど狂気から醒めていく。醒めきったのちは、絶望が長く続く。それらを見ているうちに、死ぬ直前は長く長く地獄を彷徨いたくないと、ついに思うようになったのだった。


「伏せ」


 小声が先頭から通ってきた。

 八人全員、その場で静かに止まる。立っていた得物をゆっくりと下げてから、自らの身体もゆっくりと伏せていく。森の中で素早く動くと、葉擦れの音が広くひびくからだ。加えて、ゆっくり動くものは、遠くから生き物だと認識できないこともある。障害物が多いところでは尚更のことだ。


「居たか」

「高いところに、二人いる」


 シカが右のほうを指差した。

 あまりに遠くですぐに分からなかったが、指差した先には確かに小高くなっているところがあった。わずかに動くものも見える。人かどうかは分からなかったが、シカが言うならそうだろう。


「居なくなるまで、ここで待つ」

「まだ朝だぞ」

「仕方ない」


 シカが腰を下ろすと、後続の六人も腰を下ろしていった。休憩だと思えば、悪くはないのかもしれない。キョウは不服だったが、大人しく膝を突いた。


 シカ以外にも目の利く者がいて、シカはその男としばらく話をしていた。テイという名のその男は、成人もしていないような若さだった。

 後方からも人が来ていると、テイは言った。彼の言葉にシカは頷く。分かっていたようだった。だが、それが敵か味方までかは分からない。鋭く追ってくる気配もないので、味方かもしれんとシカは言った。


「敵であったとして、抗いようがない」

「そうですか」

「明日までは秘かに行く。苦しいが、諦めろ」


 シカが言うと、テイはそれ以上何も言わず頷いた。


 明日までには水だけでも欲しいと、キョウは思った。キョウだけが思っているわけではない。みな、そうだ。昨夜の川の輝かしさを忘れている者はいないだろう。三日も飲めずに過ごせば、あそこで死ねば良かったとすら考えだすかもしれない。


 飲み水を得るには、火を使う必要がある。

 沸かさずに飲める水は少ない。川海老のいない川水は、そのまま飲めないという。真偽は分からないが、病になって死ぬ者をキョウは見たことがあった。嘔吐と下痢を繰り返す程度ならまだ良い。体中に虫が湧くこともあるのだ。そうなると、やがて息をすることも出来なくなり、死ぬまで激痛に晒されることがある。


「動いた」

「いなくなったか」

「いや。来る。気付かれたわけではないようだが」

「何人だ」

「什」


 シカが言うと、キョウ以外の六人は唾を飲みこんだ。

 こちらは八人。勝てない差ではない。だが疲労の差だけはどうしようもなかった。一瞬で勝負を決めないと分が悪い。


「やるか」

「それしかないだろう」


 シカは槍を握りしめながら言う。彼の手を見て、キョウは腰の剣に手を当てた。

 後ろからも六つの金属音が鳴る。敗残といえど、まだ兵士なのだ。覚悟に似たものはまだ捨てていない。金属音に、キョウの心音は静かになった。頭の奥まで静まり返る。

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