第5話

 草葉が擦れる音がするたび、目を開ける。

 眠れないわけではない。一瞬で深く眠るが、わずかな気配に耳が立つのだ。


 目を開いても、少し前と何も変わらない。

 森が静かに、息をしているだけだ。森の呼吸に合わせるように、寝息が聞こえる。寝息は、風が吹くと止まった。流れて過ぎると、また寝息が聞こえた。


 心の音が、聞こえる。

 自らのもの以外も、聞こえる気がした。心の音は大地に沈んで、溶けていくようだとキョウは思った。


 また、目を閉じる。

 閉じた瞬間に、眠気以上のものが、キョウの意識を砕く。そしてまた、わずかに風が流れると、はっきりと目が開いた。繰り返し繰り返し、永劫とも思える。夜は明けるのだろうかと、不安にはならない。夜が明けるまで、正気を保てるだろうかと思うだけだった。


 長く長く眠れるようになったのは、森に陽の光が届くようになってからだ。

 陽を見ると、心の音は聞こえなくなった。草葉が擦れる音も、人の息遣いも気にならない。陽が自らを守ってくれるわけではないが、光は心に深い安堵を射し込ませた。


「生きているか」


 シカの声がした。

 声は一度きりで、二度は無かった。


 眠気はシカの声で掻き消えたが、キョウは目を開かなかった。やっと眠れたことと、これで終わりでも良いという理性のない想いが、頭を押さえつけていた。シカがもう一度声をかければ目を覚まそう。キョウは二度目の声を待ったが、ついに無かった。諦めて目を開けた時には、キョウ以外の者も目を覚ましていた。


 眩い光が、森を起こす。

 鮮やかな緑と土色が、神々しく目を刺激した。


「生きているか」

「生きておる」


 シカの問いに、キョウは頷く。

 後ろを見ると、幾人かが頭を上げていた。皆一様に、森に踊る光に目を奪われている。その傍らで、頭を上げない者もいた。彼らは薄目を開けて、じっと森の天井を見ていた。命が失われているのだと気付いたのは、出発する直前になってからだった。


「何人いる?」

「八人だ」

「それは良い。互いに盾となるものが増えた」

「違いない」


 シカとキョウが笑う。他の六人も笑った。

 見捨てる覚悟は、済ませなければならない。苦しい思いをするのは、生きて死地を抜け、人に戻った後ですれば良い。今はただ獰猛に、獣のように森を歩く。この場にいる八人以外の気配は、全て敵だと思ったほうがいい。敵は撃ち、とにかく生き残る。生きて、戦って、生きて生きて、生き抜いた後に狂ったように泣けばいい。


 森の外から取り囲まれている気配は、消えていないらしかった。

 だが、朝の空気に触れ、殺気立った気配にまどろみがあるとシカは言った。それがどのようものかは分からなかったが、シカの言葉にキョウはただ頷いた。


「南に抜ける。本体に合流できれば良し。できなくとも、故郷を目指せばいい」


 シカの提案に異論を唱える者はいない。

 敗残の民兵を数える、正規の兵などいないだろう。生き残れば、何食わぬ顔で故郷に戻ってもいい。次の戦が起こるまで、民兵はただの民草なのだ。罰せられることはない。もし罰すれば、皆その国を捨てて逃げるだろう。


「此度は、散々だったな」

「ああ」


 キョウの後ろで誰かが言って、皆が首を揃えて頷いた。

 負け戦で得られるものは、みじめさだけ。民兵がそう思うのだから、戦を始めた偉い人間はよりそう思うのだろう。思い知って次は負けないでくれと、キョウは願うのだった。その願いに、次があると決まったわけではないのだが。

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