RUN

葎屋敷

第1話 RUN

 僕は経営の道を極めようと思う。なぜなら僕は起業するからだ。


 僕は大学をもうすぐ卒業する。六月頃に就職はしたが、すべて一次面接で落とされた。なぜ落ちたのかもわからない僕のテンションはガタ落ちし、就活をやめた。そして一縷の望みを賭けたのが起業の道だ。


 そうと決まればと、まず僕は人材集めに奔走した。一人で起業するのは怖かったのだ。





 最初に僕は友達に誘いをかけた。


「あの、僕起業しようと思ってるんだけど」

「え、お前就活してなかったっけ?」

「え、いや、えっと」

「え、もしかして内定ないの?」


 絶交した。彼は優しくなかった。僕の心は大変傷ついた。


 次にアルバイト先の先輩に誘いをかけた。


「あの、僕起業しようと思ってて……」

「あれ、フリーターになるのかと思ってた」

「いや、このままフリーターはちょっとダサいじゃないですか」

「私フリーターなんだけど」


 絶交された。僕は気が使えなかった。先輩の心はとても傷ついた。



 僕はその後も少ない知り合いに声をかけたが、すべてうまくいかなかった。もうなりふり構うことができなくなって、大学の授業でたまたま隣に座った男の人に声をかけた。


「あの、僕起業しようと思ってて……」

「あら、やだ、ごめんなさい。私、新宿のバーで働くことになっててぇ」

「え、え、あの」

「あら、よく見たら可愛い顔。お姉さんのバーに遊びに来・な・い?」


 誘われてしまった。授業も関係なく逃げ出した。髭面で迫られるのは恐怖だった。



 教室を飛び出した僕は走りながら考える。なんでこんな上手くいかないんだろう。起業するなんて言っといて、そのスタート地点にすら立てない。僕はなんてダメな奴なんだ。

 自虐に塗れながら校舎を出て、大学の門を抜けようとしたその時――、


「おーい、おーい! ぐふぇ」


――後ろから変な声が聞こえてきた。振り返ると、そこには地に伏している男が一人。おそらく転んだのだろう。どこか痛めたのか、その男は動く様子がない。


「だ、だ、だ! 大丈夫ですか!?」


 僕は男の人に駆け寄る。そこでふと、男の手に見覚えのある財布があった。

男は地面と顔を突き合わせたまま、その財布を持った手を少し上げた。


「君、財布落としたよ……」

「あ、あ、え、あ。ぼ、僕の財布!?」

「目の前で落としてくもんだから追ったんだけど、君、速くて……。がくっ」

「きゅ、きゅ、救急車ー!」


 僕のせいで倒れた人を目の前にし、動揺することしかできなかった。





「いやあ、久しぶりにがっつり転んだからか、結構痛くて。ちょっと起き上がる気力がなくなってしまった! もう大丈夫だ! 騒がせたね」


 大学の中庭のベンチに腰を下ろした男が同じくベンチに座る僕に笑いかける。


「い、いえ。こちらこそ、その、すみませんでした」


 僕はぐっと頭を下げる。男の視線から逃げるように、少し長い間頭を下げた。


「随分走るの速いからビックリしたよ」

「え、えっと。こんなんでも、高校までは陸上部で」


 僕は頭を少し上げたが、視線は下に落としたままだった。そんな僕の様子を気にもせず、男は明るい声を浴びせてくる。


「え、すごいなぁ! 今も?」

「いえ、今はなにも……」


 僕は昔、走ることが得意だった。クラスでも一番速くて、そのおかげかちょっとモテた。自信もあの頃はちゃんとあったと思う。

 でも成長すればするほど、僕は一番ではなくなっていった。それが耐えられなくて、高校の最後の大会で惨敗したのを期に、僕は陸上をやめた。


「僕、今はなんにもやってなくて……」

「俺も似たようなもんだ! 何年生?」

「よ、四年生……」

「なんだ、同じじゃないか!」


 男は嬉しそうに僕の肩を叩く。まさかの同級生。でも、性格には大分乖離がある。


「こんな時期になると友達とも授業が被らなくてな。久しぶりに人と話した気分だ! いや、内定先の先輩とは話すが」

「そ、そうなんだ……」


 どうやらこいつも僕の敵のようだ。


「君の内定先の先輩は優しそうか?」

「……僕は、起業するつもりで」

「学生起業か! すごいな!」

「…………」


 心底驚いたとばかりに声をあげる男の様子に、僕は再び下を向いた。


「ち、違う……」

「うん?」

「なにも、すごくない」


 そうだ、僕はなにもすごくない。


「就活から逃げただけなんだ。負けてばっかで、勝てなくなって、それが怖くて、逃げただけ。本当は起業したいんじゃないんだ。内定がないことが、ただ悔しくて……」

「…………」

「ぼく、全然人よりすごいところなんてないから。内定貰えなくて当然なんだろうけど……。ははは」


 視界が滲む。初対面の人の前で泣くのは避けたくて、歯を食いしばった。涙は零れる寸前で止まってはいるものの、乾いた笑い声が震えるのは止められなかった。


「……でも君、俺より速かったじゃないか。ちゃんとすごいところがある」

「それは、仮にも陸上部だったし。それに走ることと就活関係ないし……」

「さっき俺は君より足が遅かった。でも悔しいと思わなかったのは、多分、スポーツで誰かと勝負するのを諦めてるからだ」

「……」

「もし君が現状を悔しいと思ってるなら、それはきっと――」


 男の言葉の続きが知りたくて、僕は顔を上げる。男は不敵な笑みを浮かべていた。


「――君が君の人生を諦めていないからだ」


 僕は大きく目を見張った。それと同時に目から涙が零れ落ちる。人前で涙を我慢できなかったことが情けなくて、僕は強く目元を擦った。


「大丈夫! まだ秋採用してるとこだってある! ガチればいける!」


 男は僕が泣いていることには一切触れず、励ましの言葉をかけてくる。


「いや、で、でも。僕、面接全部一次で落ちてて……」

「それは君が目線逸らすし、どもるからだ! そういうわかりやすいマイナスポイントがあると、一次で落とされるぞ」

「うっ!」


 ストレートの告げられた自身の欠点に、僕は心臓を抉られた。


「大丈夫! ちゃんと練習すれば全部直せる!」


 男が親指立てる。


「俺も手伝う! 家に遊びに来いよ! まだ就活で使った本とか残ってるんだ!」

「え、いや、でも」

「いいからいいから!」


 男は僕の腕を引っ張り、無理やり立たせる。


「あ、どこの業種に就きたいとかあるか?」

「えっと、興味ある仕事なくて……。ブラックじゃないならどこでも……」

「そう思うのはちゃんと調べてないからだ! 俺ん家行ったら、起業分析からしよう! 一分一秒が惜しい!」

「え、え」


 男は僕の腕を引っ張りズンズンと進んでいく。


 僕は今、陽気なキャラクター、通称陽キャに絡まれているのだろうか? いや、そうじゃない。おそらくこの人は普通に変な人だ!



 その後、僕は起業分析から面接練習まで、その変な人の家でやらされた。普段使わない脳みそを酷使した上、自分の面接練習の録画まで見せられ、恥ずかしさで死にたくなった。

 いっそ殺して欲しいとすら思ったけれど、自分がどれだけ自信がないまま面接に挑んでいたのか、どれだけそれが無謀だったのかはよくわかった。


 男の家で本当の就活をして、自信が少しずつ付いた頃にわかったこと。


 多分、僕は自分が思っていたほど良くできた人間ではないけれど、自分が思っていたほどどうしようもない人間ではなかった。





 その三年後、僕は大学時代に死にそうになりながら掴んだ内定先で働いている。


「すみません、お先です!」

「おー。お疲れ様ー」


 本日の仕事を終え、職場を後にする。


 職場から直接向かった先は居酒屋。中に入って名前を告げれば、連れが先に来ていると店員は言う。


「よ、久しぶり!」


 その連れとは、僕の就職活動を支えてくれたあの男だ。今や親友である。スーツ姿の彼も仕事帰りだ。


「おー、貸せ貸せ」

「ありがとう」


 軽く手を差し出す彼に、僕はコートを預ける。彼がコートを二人分掛ける間、僕は注文用のタッチパネルでビールを二人分とツマミのキャベツを注文した。


「お疲れー」

「お疲れー」


 ジョッキを合わせ、ガラスが軽やかな高音を紡ぐ。


「仕事どうだ?」

「いやー、まだまだって感じかな」


 友の質問に僕は苦笑いで返す。

 失敗ばかりで先輩に迷惑をかけることも多々ある。でも後輩に負けないように背筋を伸ばして仕事をするのは悪い気分じゃない。


 僕の返答に、友はじっと正面を向いたまま黙った。


「……どうした?」

「実は、話があるんだ」


 友は神妙な面持ちで言う。いつも快活に笑う彼らしくなくて、僕は少し面食らった。


「なにさ」

「実は、起業しようと思ってるんだ」


 僕は驚きのあまり言葉を失った。開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだと思う。


「どうしたんだよ、いきなり」

「いや、実は学生の頃から起業したいと思ってたんだ」

「は!?」


 衝撃の事実に僕は声を張り上げた。彼が僕と同じように起業を考えていたなんて、知りもしなかったのだ。


「え、でも! それならなんで就職!?」

「リスクヘッジさ。俺は臆病だから、起業して失敗した時は勤め人に戻るつもりなんだ。それでもともと三年はどこかに勤めようと思ってたんだよ」


 リスクヘッジ……。当時の僕が考えもしなかったことを彼はきちんと考えていたのだ。

 同じ起業志望の学生でも、あの時点で僕たちには雲泥の差があった。


 友はビールを一口飲むと、口元に白い泡髭をつけながら笑う。


「で、もうすぐ三年経つだろ? 起業しようと思うんだ」

「そ、そっか……」

「そこでだ。君も一緒に来ないか?」

「え!?」


 驚愕に目を丸くする僕を見て、友はカラカラと笑った。


「実は、走るのが得意な奴が一人くらい欲しいと思ってたんだ!」

「え、なんで」

「だってほら。『走る』も『経営する』も英語で“RUN”だろ?」

「はあ?」


 あまりにもくだらない理由に、僕は肩を落とす。


「いや、今のは冗談な? 単純に体力あって気が置けない仲だからさ。どうだ? 興味ないか?」


 僕は数秒沈黙してから回答した。


「……ブラックじゃなくて、僕が興味持てる事業内容なら」

「ははは! 君も求めるものが増えたな!」


 友人の笑い声がどうしてか照れくさくて、僕はビールを一気に喉奥へと流し込んだ。

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RUN 葎屋敷 @Muguraya

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