偶数日、私の身体は男の子になる

向井一将

第1話 一日目 こうして私は追放された




 一日目。


──今日私は死ぬ。




「夢を見たわ、最後にそれだけ日記に書かせて」


 今日──と言ってもあと1時間後なのだけれど。

聖女である私は、この世界に転生してくる異世界人の転生体となって……死ぬ。

 だから今日の日記は、朝起きた時に書くしかなかった。


 朝起きたばっかりなんだから、日記に書けるのは今日見た夢の事だけ。

 黒髪の華奢な男の子が「ごめんね」って謝ってきた脈絡なんてないつまらない夢。

 死ぬのが怖くて出来るだけ文章を書こうとしたけど、そんな事をしても死ぬ現実は待ってくれないことに気づき、私は書きかけの日記を無理やり終わらせてガチョウの羽で作られたペンを置いた。


 脈絡のない夢なんだから脈絡のない終わらせ方をしてもいいでしょう?

 どうせ今日死ぬんだし、誰にも見せないんだし。


「では聖女様。玉座の間に」


 私がペンを置いたのを見ると、近衛兵が感情の無い声で私に話しかけた。

 死ぬ覚悟はとっくに付いている。5年間続けていた日記も最後まで書けたし、もう思い残すことはない。

 私はテーブルの上に置いた日記帳とペンを手に取って、震える声で近衛兵に言った。


「……お願い。この日記帳とペンは持っていかせて……私の全てなの……」


「その程度ならいいでしょう」


 ギュッと日記帳とペンを握りしめながら、私はこの狭い部屋から連行されていく。

 5年間閉じ込められていたベットと小さなテーブルしかない簡素な部屋。

 5年ぶりに部屋の外に出ると、一気に死に近づいた気がして過去の記憶がフラッシュバックしてきた。




 〇




「シロエ、お前が聖女になりなさい」


 事実上の死刑宣告。当時15歳の私には訳が分からなかった

 100年に一度。異世界から転生してくる勇者様の身体になるのが聖女の役割。

勇者様に王の命令を聞いて貰うために、転生体となる身体は王族として役割の薄い──第一王女の身体を使うのが習わしだった。


 そして生まれたのが私。


「おっ……お父様? 聖女になるのはクロエでは?」


──でも少しだけ残酷だったのは、第一王女は双子だったと言う事。


 同時に生まれた私──シロエと双子のクロエのどちらが聖女になるかは、人格と能力が完成される12歳まで待たれることになった。

 その間、私たちは第一王女になる為に様々な教育を受ける。

 優れた方が第一王女に、劣っていた方が聖女になる残酷な選別。


「いや、お前が聖女だ。シロエ」


「でもっ……! 今日の選別試験は全て私の方が!」


 最初──聞き間違いかと思った。

 私の方が成績は上……と言うより、むしろクロエはボーダーラインにすら達していない。

 死にたくない。その純粋な思いで勉強した私の成績は、クロエとダブルスコア以上の差があった。


「成績ではな、だがお前には王女たるべき品格が無い。この1年クロエを裏で虐めていたのだろう? 証拠は集まっている」


 お父様はそう言うと、一枚の紙を私に投げ渡した。

 そこに書かれてあったのは、私がクロエを虐めていると言う教師たちの証言。


(全員男……)


 数学の教師、歴史の教師、テーブルマナーの教師etc……。

 書いてある名前を見て確信する。証拠はないが、予感はある。


 授業終わりにコソコソと耳打ちをしながら、教師に肩を抱かれ教室を出て行くクロエ。

 一度だけだったが、とある教師が私をクロエと間違えてキスを迫ってきた時もある。

 今思えば、アレはそういう事だったんだろう。


(クロエは教師を誘って……)


 死にたくないと思っていたのはクロエも同じだった。

ただ──その方法が私と違った。正々堂々と真っ向からアンフェアに徹する。

 私が勉学に勤しんでいる最中、クロエは私を出し抜く為の『手段』に勤しんでいた。


 それに気づかなかった私の負け。

 現実は非情である。


(いや……そんなのは認めない!)


 ──こんな低俗な手段に負けたくない。


 これじゃあ真面目に勉強した私が馬鹿みたいじゃないか!


「違いますお父様! これはクロエの仕組んだ罠です! 私は何も……」


「そもそもお前は死ぬために生まれた」


 私の言葉を遮る様に言った父の言葉。

 冷たい目。平坦な口調。親子だからだろうか、瞬時に私はその言葉の真意を察した。


 この王にとって自分の娘なんてどちらでも良かったんだ。

 ただ、分かりやすく劣っている部分がある。だから私は負け──聖女になる。


「5年後の召喚の儀まで、聖女として慎ましく暮らせ」


 父のその言葉によって、私は王宮の最上階にある聖女の間へと幽閉されることになった。

 絶望による自死を防ぐ為、危険物は全て取り上げられる。

 許されたのは何冊かの小説と日記帳、そしてガチョウの羽で作られた一本のペンだった。


 その日から5年間。私は何度も同じ小説を読んだり、「今日食事を持ってきた給仕の髪型が変わっていた」だとか「食事の味が少し変わった」とか代り映えの無い日常に何とか変化を見つけて、それを日記に記していった。


 偶に、晴れて第一王女になったクロエが扉越しに話しかけに来た。

 内容は、社交界で何人の男性からアプローチを受けただとか、カッコいい王子様と運命の出会いをしただとか。

 自分の幸福を最大限に噛み締めるために、真逆の立場の私を見ながら幸せを語っていた。


 最初の1年は、クロエの顔も見たくなくて追い払っていたけど、2年目に入る頃には、とにかく誰でもいいから話を聞きたくて、幽閉された部屋の中、シーツに包まってその話を聞いていた。


「それでね! ついにグラファ皇国の第一皇子と婚約したの! これから私たちは真実の愛を育むのよ!」


 幸せそうに話すクロエの顔には罪悪感など微塵も感じられない。

 この前は違う王子と一夜を共にしたと言っていたばかりなのに、今度は婚約。

 真実の愛とはいったい何なんだと内心でツッコミを入れながらその話を聞く。


 次々と語られる自慢話を聞きながら、遂に私は耐え切れなくなりクロエに質問をしていた。

 私が聖女になった日からちゃんと答えて欲しかった質問。ずっとはぐらかされていたが、今ならば話すだろうと言う確信がある。


「身体を売ってまで第一王女になって貴方は幸せなの?」


 小さく狭い聖女の間に響く私の声。

 扉の向こうのクロエが笑った気がした。


 私の確信は正しかった。

 既に婚約者も決定してクロエは安心しているのだろう。

 彼女は初めてこの質問を否定せずに、答えてくれた。


「死にたくないから努力をした。それはあなたも同じでしょう?」


 あっけらかんと、私に語るクロエ。

 怒りを通り越して笑えてさえ来る。

 この時、私は初めて自分が死ぬ運命を受け入れた。


「……せめて、グラファ皇国の皇子様にはバレない様にしなさいよ」


「大丈夫よ! だって私演技は得意ですもの!」


 そして私は扉に近づいて呟いた。

 出来るだけ冷たく、出来るだけ平坦に、父親の声を思い出しながら。


「二度と来ないで」


 その日からクロエは私の部屋に来ていない。




 〇




「これより勇者様召喚の儀を行う」


 近衛兵に連れられ、玉座の間に着くと、そこには真っ赤なマントと王冠を被ったお父様と豪奢に着飾ったクロエ。

二人とも町娘の様な恰好をしている私とは真逆の衣装。

聖女なんてどうせ死ぬのだからと、一切の贅沢は許されなかった。


 静かに召喚陣の中に座ると、クロエが鼻声で私に話しかけてきた。


「シロエ……もし私が変われるものなら今からでも変わって差し上げたいですわ」


(嘘……昔よりもずいぶんと上手くなっているのね)


 泣き真似をするクロエを見ながらそう思う。

 昔、演技は得意と言ったのは嘘ではないらしい。周りの近衛兵たちは目を泣き腫らしているクロエを見て口々に「何と優しいお方だ」などと、戯言をほざいている。

 よく目元のハンカチを見れば、それが濡れていない事には気づく筈だろう。


(いや、気づいているのならば……私はここにいないか)


 日記帳とペンを強く握りしめ、私はクロエを睨んだ。

 クロエと私の目が合い、クロエは私にだけ見える様に微かに口角を引き上げる。

 怒りはある。憎しみも。でも、それを全て押し殺し、私は言った。


「勇者様に私の身体を……すべては我が国の発展の為に」


 5年前、幽閉された時から決めていた。

 最後くらいは笑って死のうと。


「シロエ。それでこそ我が娘だ」


 転生の光に包まれていく中、最後にお父様と目が合った。

 その時、初めてお父様は私に笑顔を見せてくれた。

 慈悲深い笑み。それはまるで……。


 ──丸々と育った家畜を殺す時の様な。


 ──これから肉になる豚に「美味しく育ってくれてありがとう」と語り掛ける様な。


(良かった。これで心置きなく死ねる)


 そこに愛があったら暴れてやろうと思った。

 愛が無いから諦められる。

 本当に私はただの道具だったんだなと実感できたから。


 光が強まり、身体の中に何かが入ってくる感覚がした。

 神聖な、そして途方もない力。

 徐々に意識が遠のいていく中、私が最後に思ったのはクロエの事でもお父様の事でも無かった。


 思ったのは何度も読み返した小説の内容。

 世界を旅し、自由を謳歌する。とある少女と男の冒険譚。

 聖女の間に閉じ込められ、生まれてこの方自由など感じた事のない私とは正反対の物語。


(ああ……あの本の様に私も生きて見たかった)


 そして、眩い光の中私の意識は暗闇の中に沈んでいった。




 〇




「おお! 勇者様! その英知と力でもって我が国を救って下さ……なっ!?」


「お父……様?」


 意識を取り戻すと、ぼんやりと顔を青ざめているお父様と動揺しているクロエが見えた。

 酷く身体が怠い。まるで何日も寝ていない時の様。

ぼーっとする意識の中、怒り狂ったお父様の声と、ヒステリックなクロエの声が聞こえた。


「ぬううううう! もう一度だ! もう一度召喚の儀を執り行え!」


「ダメです! アルフレッド王! 既に『場所』も『時間』も移動しています!」


「どうするのよ! 勇者様が召喚されないなら私の婚約も破棄されちゃうじゃない!」


 なんとなく分かったのは、召喚の儀は失敗して私は生き残ったと言う事実。

 でも、それは私の責任じゃない。けれど少しだけ国民の事が心配になった。

勇者様を召喚出来る──それが立地が悪く、特筆した資源の無いこの国唯一のアドバンテージだから。


「……っ! 誰でもいい! 誰か勇者の代役を立てろ! それ以外に方法はない!」


「しかし……」


「しかしじゃない! それ以外方法は無いだろう! 他国に示しがつかないではないか!」


「そうよ! とにかく私が子供を作るまで騙し通しなさいよ!」


 徐々にはっきりしてくる意識、お父様とクロエが誰かに叫んでいる声がクリアに聞こえてくる。

 正直に言えばいいのにと思ったが、やめた。

 私は王でも第一王女でもないし、何なら聖女ですら無くなった。

 何よりも私の言葉が二人に通じるわけがない。


 その後、バタバタと忙しそうに話し合いをしている中、お父様は思い出したように私に顔を向けると、乱暴に言い放った。


「お前は追放だ! 王宮から出て行け!」


 静かにに私は頷いた。

 もう用済みだから私は要らないのだろう。いや、用も済ませなかったから要らないのか。


 こうして私は追放され、解放された。

 王宮から、聖女から、そして家族から。

 生まれて初めて王宮を出て、初めて見た景色は、たくさんの人が歩く大通り。


「今日の日記……書き直さなくっちゃ」


 私は日記帳とペンをギュッと握りしめ、町へと歩き出す。

 まずは住むところと仕事を探そう。

 そして、日記を書き直そう。脈絡のない夢の話じゃなく、自由になったこの気持ちと新しく広がったこの世界の事を書こう。


「明日は、どんな日記を書いてるんだろうな」


 私は初めて明日書く日記の事を楽しみになった。

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