伴走日和

高野ザンク

ひとり≦ふたり?

 駅前の小さな商店街を抜けて左に折れると、駅名にもなっている大きな公園に出る。公園の池を中心にして整備された遊歩道が、この町のポピュラーなジョギングコースだ。

 

 私も先月から、このコースを走るようにしている。

 運動不足と加速度的に増加していく体重をなんとかしようと半年前にスポーツジムに通い始めた。最初はジムのランニングマシンを使っていたけれど味気なくなって、ジムではもっぱらマシンとスタジオトレーニングに時間をとり、走るのは外で、が最近のルーティンだ。

 この町に越してきてまだ1年足らずだから、最初は知らない場所を走ってみようという冒険心もあった。スマホのマップでルートを決めて実際に走ってみると、美味しそうなパン屋があったり、由緒正しそうなお寺があったりと発見があって面白い。

 2か月ほど色々なルートで走ってみて、自宅から商店街を抜け、この公園を2周してから行きとは違うルートで帰路につく、というのが定番になった。


 決まったルートになると、いつもいるジョガーや、犬の散歩をしている人など馴染みの顔も増えてなかなか楽しい。私が1周目にすれ違ったときにはちゃんと歩いて散歩している犬が、2周目には飼い主のおじいさんの押すベビーカーに乗っているのを見たりすると、気持ちがほっこりする。

 今日もおじいさんと老犬は健在で、元気でなによりだなと思う。


「あれ?タマキさんですよね?タマキコハルさん」


 背後からいきなりフルネームで呼ばれ、驚きに足が止まる。振り向くと、トレーニングウェア姿の大柄な青年が笑顔で立っていた。

「えっと、確か、伊達さん……でしたっけ」

 私が通うスポーツジムのインストラクターで、入会した時に私のトレーニングメニューを作る担当だった。

「ああ、やっぱり玉木小春さんだ。ここのジョギングコース走ってるんですね」

「ええ、まあ」

 相手の素性がわかったのでちょっとホッとして、また走り出す。すると伊達さんも当たり前のように併走しはじめた。

「このくらい暖かくなると、ジムよりも表で走る方が気持ちいいですよね」

 彼はそう言って、白い歯を見せて笑う。

「海外で走ってるみたいなバーチャル画像もあって最初は楽しかったけど、やっぱり慣れちゃうとリアルで走るほうが、正直楽しいですね」

「おっしゃるとおり!ただ、雨でも嵐でもトレーニングできるのがジムのいいところですから、ジム通いも辞めないでくださいね」

 と、宣伝も忘れないあたりが抜け目ないなと思う。私はペコリとお辞儀をして、距離を取るためにスピードを少しあげた。


 すると、伊達さんも同じくスピードをあげて私の左側についてくる。1分ほど併走してもスピードを変えないので、

「一緒に走るつもりですか?」

 とストレートに訊いてみた。私はさほど親しくもない人と一緒に走りたいと思わないけど。

「あ、嫌ですか?嫌でしたら遠慮しますけど、今日みたいな日は誰かと一緒に走ったほうが楽しくないですか?ここで会ったのもなにかの縁ですし」

 あっけらかんとして下心が微塵も感じられない彼の態度に、若いなーと思う。人生の機微みたいなものをまだわかっていない。いや、単純に人との距離感が近すぎるのかも。それを少し羨ましくも思う。

 すらりとした下半身に対して上半身の筋肉が目立つスタイルが難だが、顔立ちは悪くなく、ジムの客からはモテている。なんとなく嬌声とともにいる感じがする人だ。でも自分のタイプではない彼と一緒にいるのは、なんとなく気持ちが落ち着かない。

 まあ、この池をあと1周すれば私は帰るつもりだから、5分ぐらいの付き合いならいいかと、諦めて少しペースを落とす。


「私の名前、よく覚えてましたね?しかもフルネームで」

「お客様の名前は忘れないんですよ、僕は」

 どこまでも優等生キャラだなー。

「それにコハルって、僕んちの犬と同じ名前なんですよねー。だから他のお客様よりも覚えやすかったんです」

「なるほどー、私は犬と同じ扱いなのね?」

「そうですよ。僕の愛犬と同じぐらい大切なお客様です!」

 噛み合わない会話は、天気とうらはらにじめっとした気分にさせるが、爽やかな気候の下では、そんなことは些細に思えるぐらいに気持ちが良い。


「玉木さん、富士山見に行きませんか?」

 ちょうど池を2周走り終える頃、伊達さんがそう切り出した。

「富士山?それって山梨まで行きましょうってこと?」

「いえいえ、ここから10分ぐらい走ったところに富士山が見える場所があるんですよ。今日は良い天気ですし、山の輪郭がはっきり見えるはずです。そこ、まだ行ったことないでしょ?」

 私は立ち止まる。急に立ち止まったせいか、伊達さんは少し前まで行ったところでUターンしてこちらに戻ってくる。

「それは、このあと10分使って見に行く価値があるものなのかしら?」

 私は真剣に彼に問いかけた。東京から見える富士山。それを思いがけず見かけたときにテンションがあがるのは確かだ。だが、言われて見に行くというほどの興味が私には沸かなかった。

「そうですね。今日の天気だったら絶対に価値はあります」

「1+1は2です」ぐらいの確信をもって彼は断言した。それでも、私にはいまひとつ興味というか、モチベーションが沸かなかった。このあと10分走るとしたら、私としては経験したことのない長い距離を走ることになるのだ。

「んー、じゃあそこへ行くのに付き合ったら、なんか奢ってくれます?」

「いやー、お客様にそういう利益供与するのは禁止されてますので」

「真面目か!じゃあ、富士山見に行こうって誘うのだってダメなんじゃないの?それに高級フレンチご馳走して、って言ってるんじゃないのよ。……そう、たいやき!駅前のたいやきご馳走して!どう?」

「たいやきですか。僕、甘いものはあんまり……」

「わ・た・し・が・た・べ・た・い・の!伊達さんは買わなくてもいいです!」

 四角四面な彼の受け答えに呆れてしまうが、その人柄には好感が持てた。

 彼は今日一番真剣な顔をして、なにかブツブツと呟いていたが、しばらくたって

「わかりました!たいやきぐらいなら大丈夫だと思います」

 とまた白い歯を見せて爽やかに笑った。

「そうと決まれば、さっそく行きましょう!」

 言うやいなや私を先導するように走り出す。

「たいやき。白玉入りつぶあんカスタード、メープルシロップがけのやつですからね」

 私は念を押して、彼の右隣を併走する。

「なんですか、そのカロリーの化け物みたいな食べ物は」


 10分ほどで着く。と言っていたのは伊達さんのペースで、ということのようで、私は彼についていくのが精一杯だった。午後の日の高い時間帯だから、汗がとめどなく溢れる。景色を楽しむ状態ではなかったけれど、公園から富士山が見える場所への道は、閑静な住宅街が続いてなかなか新鮮だった。同じ地域なのに、こういう雰囲気の違う場所があるんだなあと改めて思った。

 会話を交わす余裕はなく、伊達さんが「ほら、あそこにお地蔵さんが」とか「このラーメン屋は美味いんですよ」とか「もうちょっとですから頑張って」とか言う声に「はい」とか「へえ」とか息遣いとともにでる声で答えるしかなかった。

 ちょうど10分走ったあたり、上り坂を上りきった坂道の頂上で、急に彼が立ち止まる。そして振り返ると、満足そうな顔をして頷いた。

「ほら、見てください。価値あるでしょ」


 今上ってきた坂道を振り返ると、坂道を中心としたちょうど真正面に堂々とした富士山の姿があった。山の稜線がくっきりとみえて、霞一つかかっていない見事な富士山だった。

 言葉を失っている私の隣に伊達さんが来て満面の笑みをみせる。親に褒められて大喜びした子供のような笑顔に、私も思わず笑みがこぼれる。


「ありがとう。想像以上だった」

「だから今日みたいな日は誰かと走ったほうが楽しいって言ったでしょ?」

 陽の光のせいか、彼の得意げな顔がとても眩しく感じられた。


 それからしばらく二人黙って富士山を見ていたが、私はふと気付いたことを口にした。

「ねえ、このあとって、また10分走って帰るってこと?」

「はい。あ、もし玉木さん限界なら、タクシー拾いますよ」

 そう、ここは駅からも離れているし、こんな汗だらけのウェアでバスやタクシーに乗るのも気が引ける。もう一回戻るために走るのか……。途端に疲労が突き上げてきた。


「どうしましょう。ここで解散して、たいやきは今度にしますか?」

「嫌だ!」

 私は決意して叫んだ。

「絶対食べる!今日食べる、今食べる!これからまたカロリー消費するんだから、伊達さん、たいやきもうひとつ追加ね!」

 そう吐き捨てて、私は今来た道を駆け出した。慌てて、後ろから追いかけてくる彼の足音が聞こえる。ここまで頑張ったんだ。たいやきのひとつやふたつ、ご褒美をもらわなければ割にあわない。私は自分の意地にかけて、動かない足を必死で前へ出す。


 明日の筋肉痛は覚悟しておこう。

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伴走日和 高野ザンク @zanqtakano

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