アラフィフ障害者SEは今からトップを走る気です。

多賀 夢(元・みきてぃ)

アラフィフ障害者SEは今からトップを走る気です。

 川島優志氏。彼に会った時の衝撃を、私は今でも覚えている。

 とある人気位置情報ゲームをやった人ならゲーム雑誌で、技術者なら各種講演やTEDxで、彼の名前や姿を見た人もいると思う。


 私は彼が携わったゲームのファンだ。というか、ゲームに関わる以前に米Googleで働いていた頃の話から、私は彼のファンになった。およそ日本人らしくない自由さと、天才的頭脳と、目標を定めたら嬉々としてダッシュしていくフットワークの軽さに惚れた。私もSEという職業を経験していたから、そんな風に働き『たかった』と、悲しく己の人生を振り返っていた。


 私は23歳でSEになり、28歳でうつ病に冒され、30歳でドロップアウトした。会社を辞める時「二度と業界に戻ってくるな」と社長に言われ、かつて同僚だった元夫にも「お前にSEなんて二度とムリ」と嘲笑された。

 確かに精神障害者手帳二級、精神修行のつもりで始めたイベントスタッフのアルバイトは二日働くと二日寝込む状態。心が揺れては自殺未遂を繰り返す私に、SEどころか並の会社員が勤まる筈がなかった。私は、その社長と元夫の言葉に従った。


 その後、私は関節リウマチでろくに歩けなくなった。それが原因となり元夫とは離婚した。実家に戻った私は、自立を目標にゆっくり前進を始める。関節リウマチの症状を薬で抑えつつ、再就職希望者向けのデイケアに通い、雑貨店でアルバイトをし、観光業の職業訓練を受けた。その後は派遣社員としてホテルフロントからテレアポまでなんでもやった。


 だけど、SEだけは自信がなかった。

『戻ってくるな』『お前には無理』の言葉が邪魔をして、転職フェアでオファーが来ても行けなかった。

 SEを辞めて15年だ、技術的にもやれやしないと諦めていた。何より日本企業特有の窮屈さだとか、レールを歩かされる感覚だとか、あれを思い出すと嫌な気分になるのだ。


 ところが、コロナのせいで妙な縁ができた。ホテル清掃のアルバイトを申し込んだら、そこの社長の知り合いがIT技術者を探しているという。なんとこの話のタイミングで派遣を切られた私は、食うために逃げてきた世界に飛び込んだ。


 心の中で、元夫が「失敗するぞ」と大笑いする。

 それを振り払うために、私はでっかい目標を立てた。

 ――私は、川島さんになったるんや。


 あるイベントで聞いた話だったか。

 単身米Googleに飛び込んだ川島さんは、『使えなければクビ』という、アメリカのシビアな雇用状況に直面する。だからやれる事はなんでもやった。効率が上がると聞けば台を足して立ったまま作業をしたり、逆に畳を持ち込んで床に座ってやってみたり、勉強はもちろん、それ以外の工夫もなんだって。

 だけどそんな話をする川島さんは楽しげで、目が輝いていて、まるでかけっこをする子供のように楽しげで。「もっと走りたい!」とわくわくしていて。


 それが、すごくすごく、羨ましかったのだ。

 私も人生走りたい。気持ちよく全力で、行けるところまで疾走したい。

 やりたい事で他人が喜び、それが仕事になるって最高じゃん!どこまでも走れそうじゃん!



 とは言っても、私は業務委託されてるだけの凡人ですけどね(笑)

 だけどなりたい人をイメージできてから、前の社長や元夫が植え付けたトラウマはちょっと弱くなった気がする。むしろ聞こえれば聞こえるほど、対抗するアイデアを実行して克服してきている。


 私は今、突っ走っている。

 病気や障害が邪魔をする事もあるけれど、それでもプログラミングが好きだから。自分のアイデアがお客様の仕事を便利にする瞬間が好きだから。私を嗤った奴らを笑って抜き去りたいから。

 憧れの人を心に置いて、だけど私が見定めたフィールドで。

 ちょっとスタートが遅くなったけど、それでも私は幸せです。





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アラフィフ障害者SEは今からトップを走る気です。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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