10話
日の光もまともに入らないようなこの牢屋は、気味が悪いほどに薄暗い。夜になると、その闇は一層増した。
牢の中には薄い布一枚。これで夜を明かせってこと?
私は、布を一回畳んで床に敷いた。まぁ、ないよりはましかな。
いや、絶対足りていない。酷い待遇ね。
私が布の上でうんうん唸っていると、部屋にまた誰かが入ってきた。制服の男? それともまた、さっきの変な女?
暗闇の中から顔を出したのは、そのどちらでもなかった。
少し古ぼけた作業着を着た青年。大きめの帽子を目深に被り、辺りをきょろきょろと見回している。
探しものというより、怯えている感じ。警戒しているのかしら。
彼はそろそろと、音を立てないように歩く。私以外の皆は寝てしまったのかしら。向かいの牢は、暗くてよく見えない。
やがて彼は、私と目が合った。丸く広がる瞳孔は、どこかで見たことがあるような気がする。
彼はふっと気を緩め、私がいる牢へと近付いた。
この人も、私に用事なの!?
「マリアさん……!」
彼は牢に近付いて囁いた。
「マリアさんですよね?」
やっぱりさっきと似た感じ。なんで皆、私の名前を知っているのかしら。
私に少し余裕が生まれた。余裕というか、呆れというか、諦め?
「そうよ、あなたは?」
私の返答に、彼は安堵の表情を浮かべる。
「僕のこと、覚えていますか?」
僕のこと、覚えていますか?
この人私の知り合いなのかしら。
でもこんな青年、会った記憶がないような。
でもその目は、どこかで見たような見ないような。
困惑の最中の私を他所に、彼は視線を落とした。私の足元に。
「流石にぼろぼろですね、僕の靴」
靴。
靴!
「あっ……!」
危ない危ない。思わず大きな声が出そうになった。
「あなた、リブラ!?」
目の前の青年は、かつてこの街で出会った靴売りの少年だわ。随分大きくなっているものだから、全然気づかなかった。
でも確かにリブラ。その目は、あの日のリブラと同じ。
「本当だったんだね、マリアさんは全然変わってないや」
私達は、普通の人間とは成長速度が違う。私達から見れば、普通の人間の成長は早い。小さかったリブラが、体格だけなら大人と同じ。なんだか感動。大きくなったのね……。
なんて言っている場合じゃないわ。そのリブラが、どうしてこんなところに来たの。許可とかあるの? 大丈夫? 一体何のために……?
「逃げよう、マリアさん」
困惑する私に、リブラは言う。声もすっかり低くなって……。
じゃなかった、何ですって? 逃げる? ここから?
「ダメよ、そんな、だって、えっと」
私のために、私を助け出すためにここまで来たってこと? それじゃあ、まさか、
「忍び込んだの!? ここに!」
「当然だろ」
そんな、大変。もしここでリブラが見つかりでもしたら、何をされるかわからない。
「広場で見たんだ、マリアさん達が魔女狩りに捕まっているのを。僕、いてもたってもいられなくて……」
「だからって、こんな危険なことダメよ!」
「見殺しになんてできない!」
リブラは声を荒らげた。
「今まで、魔女狩りで捕まった人は沢山いた。でも、生きて釈放された人はいない! 皆最後には処刑されている!」
処刑。
広場で見たあの景色。あれが私にも待ち受けている?
「でも、私は——」
床の一部が、突然明るくなる。
「何だお前は!」
制服を着た男。その手に持ったロウソクの灯が、リブラを照らす。
あぁ、最悪。
「そんなにそいつと話したけりゃ、おんなじ牢に入れてやるよ」
リブラは、私のいる牢に入れられた。
「ごめんね、リブラ。私のせいで……」
「マリアさんのせいじゃないよ。僕が勝手にやったんだ」
牢の隅に、リブラは座り込んだ。
「むしろ僕の方こそ、逃げようなんて言ったのに、こんなあっさり捕まってるし……」
リブラは俯いたまま続ける。しん、と冷えた牢の空気によく通る声。私はリブラを見る。
「魔女狩りが始まって、皆おかしくなったんだ。人が死ぬのを娯楽にしている。ありもしない罪を被せられて、助けを求めながら死んでいくのを、皆笑って眺めている。僕はずっと怖かった」
「でも、それなのに、何もしない自分も、嫌だったんだ」
リブラの声が少し震える。私はそっと、リブラの側に寄った。
「ありがとう、リブラ」
私の手も少し、震えている。
***
マリアとポルックスが捕らえられた。
マリアが捕らえられた。
マリアが。
「アネモネ、落ち着け」
立ち上がる私を、レオが制する。
落ち着け?
落ち着いてなんていられない。
二人は、いつ殺されるかわからない。
「落ち着いて、策を練るんだ。幸い場所はわかっている」
「策なんて、必要ない」
扉へと足を早める。
「私がいれば、それで十分」
レオの制止を振り切って、私は外に飛び出した。
風を掴まえ、自分を乗せる。そうだ、場所はわかっている。なら。
全て吹き飛ばしてしまえばいい。
私は、空高く舞い上がった。
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