第二章:魔女の片割れ

6話

 宙に舞う水飛沫が、木陰に漏れる光をちらちらと反射する。薄く澄んだ泉を、泳ぐのは二人。その周りでレースの結果を見守るのは、私を含めて四人。みんな、ずぶ濡れ。私達も、さっきまでレースをしていたからね。

 泉の水面が激しく波打つ。ざわざわと細かく弾ける波は、ゆらゆらゆらゆら大きな波に変わっていく。水面に映る木々の向こうで、青々とした空はどこまでも深い。

 なんだか少し、眠くなりそう。


 そんなことを考えていたら、あっという間に決着がついたみたい。

 泉の向こう側で、彼女はふわりと舞い上がる。その周りを撫でるように、風は水気を吹き飛ばしながら泉の辺りへ彼女を運ぶ。

「勝ったよ、マリア」

 アネモネは私に微笑みかけた。


***


 森の奥にある泉のほとり。そこには小屋がありました。パイシー、アクアという二人の“同類”が建てたものです。

 数年前、アネモネ達は“泉の小屋”を訪れました。彼女達は意気投合し、今では皆で小屋に住んでいます。

 そこから少数であらゆる街を訪ね、“同類”を探していました。


***


「レオはそろそろ帰ってくるかな」

 小屋の中に入り、椅子に腰掛けたアネモネはそう呟いた。

 レオは今、近くの街に“同類”探しに出かけている。確かに、そろそろ帰ってくる頃かも。

 なんてことを言っていると、扉の向こうに気配を感じる。噂をすればなんとやらね。

「帰ったぞー」

 扉を開けると三人の女性がいた。真ん中手前にいるのはレオ。私の作った髪留めを使って、前髪を全部上げている。前が見やすそうで大変いいわね。

「今回は見つけたぞ、“同類”」

 レオはにやりと笑って後ろの二人を紹介した。片方はカストール、もう片方はポルックスというらしい。

 でも……、

「ぜ、全然見分けつかないんだけど」

 二人は全く同じ顔をしている。二人とも頭には布を巻き、髪を編んで垂らしている。なかなかいい髪ね、うん。

 じゃなくて、違いが全然見当たらない。表情以外。

「ここが“泉の小屋”ですか?」

 片方はなんだか穏やかな表情。

「ぼっろい小屋だな」

 片方はなんだか穏やかじゃないわね。

「双子?」

 立ち上がったアネモネが、後ろから声をかけた。

「らしいぜ」

 レオが答える。

 そうこうしていると、奥にいた皆がぞろぞろと出てきた。

 レオとの再会を喜びつつ、新しい顔に自己紹介。

 だけど私は上の空。カストールとポルックス、どっちが穏やかな方で、どっちが穏やかじゃない方だったかしら。


「あなた達の言う“同類”、何人か知っていますよ」

 そう言ったのがカストールの方。彼女が姉らしい。

「ここみたいな集まりが、もうひとつあるんです。私達、会ったことがあります」

「こいつらと引き合わせるつもりか? 姉貴」

 片足を椅子の上に乗せているのはポルックス。こっちが妹ね。

「案内してくれるってこと?」

 カウンターに肘をついて、口角を上げるのはパイシー。彼女はこの小屋の主。色素の薄い髪を後ろにまとめている。

「ええ、場所にも当てがあります」

 カストールは上品に微笑んだ。ポルックスと同じ顔なのに、話してみると全然違う。もう見分けがつかなくなることはなさそうね。

「俺は帰ったばっかだかんな。誰か替わってくれよな」

 奥の椅子に深く座り込み、足を組むのはレオ。確かにレオは長旅から帰ったばかりね。だったら……。

「私が行こうか?」

 私は左手を小さく挙げる。特に反対する人はいないみたい。

 と思ったら一人、手を挙げながら前に出る。

「マ、マリアが行くなら、私も行く」


 なんだか、楽しい旅になりそうね。


***


「そういえば、あなた達は何ができるの?」

 小屋を出てすぐ、マリアが二人に声をかけた。


 木々の隙間から差す光が、先行く道を少しずつ照らす。

 私とマリアは、カストールとポルックスに連れられ、ある街を目指している。


「何ができるって?」

「あぁ、ええっと……ほら、私だったら——」

 マリアは右手で、いつもの髪留めを作り出した。それを双子の前に差し出す。

「こうやって物を作れるの」

「あぁ」

「魔法のことですか?」

「まほ……え?」

 カストールが言った言葉は、聞いたことのないものだった。私は思わず聞き返す。

「私達の不思議な力のこと、魔法って呼んでいるんです」

「見せてやろうか? アタシらの魔法」

 そう言うと二人は一歩前に出た。揃って地面に両手をかざす。

 二人の熱が、地面に移動した気がした。

 その時、一枚の落ち葉がふわりと宙に浮いた。風ではない。翼を持つ鳥のように、その葉は自ら飛び上がった。

 もう一枚、さらに一枚、地面を覆っていた落ち葉達は、空中へと踊り出した。それぞれが気まま回転する。かと思えば、全ての葉が綺麗に整列し、同じビートを刻んだりする。

 そんな落ち葉達の舞踏会の中で、カストールとポルックスは指揮者のように手を振った。隣のマリアは、すごいすごいと大興奮。

「私達は物を自由自在に動かせます」

「重さに限界はあるけどな」

 二人の笑顔は、よく似ていた。


 日が落ちた。

 今日は森の中で野宿することになった。

 少し厚めの布にくるまって横になる。双子の二人は、既に寝息を立てている。

「アネモネ、街に行くの久しぶりだね」

 マリアがそっと呟いた。カストールによると、同類の集まりはこの先の街にあるらしい。

 かつてのレオ達のような暮らしをしていないか、少し心配になる。

 人々に忌み嫌われ、まともに表も歩けないような、そんな生活。石を投げられ、罵声を吐きかけられ——

「怖いな」

 昔のことを思い出してしまった。夜になると、あの村のことが頭をよぎる。私があの日、全てを吹き飛ばした、あの村のことが。

「大丈夫? 無理してついてきてない?」

 マリアが私の顔を覗き込んだ。私は大丈夫、と笑みを返す。


 少し沈黙。


 マリアはまだ、私の右目を見つめている。

 自分の過去のことは、まだ誰にも話していなかった。でも、マリアになら……。

「ねぇ、マリア。私がマリアと出会う前の話、してもいい?」


 私が話す間、マリアは黙って聞いていた。少し潤んだマリアの瞳は、変わらず私を見つめている。ほどいた髪は黒く垂れて、薄い月明かりに照らされている。

「あの時、レオの時もね、私、また同じ事をしそうになったの」

 レオの姿がかつての自分と重なった。

 レオに止められなければ私は、私は。

「止めてもらえて、アネモネは、それで良かった?」

 マリアの声は、穏やかだった。私に母親がいるのなら、きっとこんな声だろう。暖かくて、安心する。

「うん」

「そっか、じゃあ……」

 マリアは空を見上げる。私もつられて空を見る。


「もしまたそんな状況になっても、私が止めてあげるからね」


 薄く伸ばした暗闇の中に、こぼれて散らばる星の砂。わずかに欠けた月の光が、私達を照らしている。

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