ディッキー・ブラックウッドは還れない

きざしよしと

ディッキー・ブラックウッドは還れない

 ブラックウッドの血筋は空に呪われていた。


 風の民と呼ばれる一族がある。

 かつて各地を巡りドラゴンを狩ることを生業としていた流浪の民。彼らは風を強さや方角を読み、時には操るなどして特殊な凧を飛ばし空を渡った。彼らは風の精霊シルフを祖先にに持つのだという。

 だからだろう、風の民であるディッキー・ブラックウッドは空を飛ぶのが好きだ。なるべく生身で、全身で、空を感じていたい。

 だから箒でも、絨毯でも、凧でもなく靴を選んだ。空の上に特殊な足場を作り、風に乗って空を走り回る事のできる暴風靴ストームライド

 とり憑かれたように空を駆け、楽しそうに風と遊ぶ彼は父や祖父や曾祖父、その先祖らと同じように、正しく呪われていた。


「ディッキー・ブラックウッド、そこに座れ」

 田園地帯の真ん中に、青と緑のまだら模様の屋根が特徴的な、六角柱を2つ繋げたような建物がある。その3階にある一室に入るや、張りつめるようなうなり声が降ってきた。

 浅黒い肌と柔らかな癖毛が健康そうな少年……ディッキー・ブラックウッドが決まり悪そうに対峙するのは、彼の担任講師であるカヅキだった。

 木製のデスクの前で長い脚を組んだ、切れ長の目をした精悍な顔立ちの男である。雪のように真っ白な髪と肌の上に真っ赤なピジョンブラッドの瞳が浮いている。おまけにローブも三角帽も白いので、夏場の白兎のように周りの景色からも浮いていた。

「はよしろ」

「……はいっす」

 大人しく指示された通り猫足の丸椅子に腰掛けようとすると、丸椅子が猫足を動かして避けた。主の意向を汲むことのできる賢い椅子だ。

「うっ!?」

「……呼ばれた理由はわかっとんな?」

 尻餅をつく教え子の身を案じもせずに詰める師を恨めしげに見上げて奥歯を噛む。この男の事だ、椅子が逃げる事くらい予想していたに違いない。床に座らせたいが、体裁が悪いから一応椅子を勧めたのだ。彼にはそういうずる賢いところがある。

「えー? 何のことかわかんないっす!」

 それでも負けじと惚けて見せれば、ジロリと真っ赤な相貌に睨み付けられた。

「また校舎で暴風靴ストームライドを使ったな? 実験棟の屋根と窓がお釈迦ンなったぞ」

「時計塔の風見鶏もっすよ!」

「オオ、自白ご苦労。下手人を探しとったんだわ」

「やべ」

 どうせバレていると思って口を割れば、完全な藪蛇だったらしい。ぺろ、舌を出せば、拳骨の代わりに手を差し出されたので、隠し持っていた風見鶏をそっと手渡した。

「なんのためにそれを禁止しとるかわかってんのか?」

 カヅキが白いローブの袖口から取り出した金の杖を振るう。精緻な薔薇の彫刻が施された特別な杖。

 キラキラとした粒子が風見鶏に吸い込まれたかと思うと、その銀メッキの鉄の塊は自分でその翼を動かす銀の鳥に変身した。まるで生命を吹き込まれたかのように動き始めたそれは、開け放たれた窓から外へと飛んで行く。きっとこれからひとりでに時計塔に戻って、今までと同じように風見鶏の役目をまっとうするのだろう。

 ―――相変わらず、規格外なんだよな。この先生は。

 この国で白いローブと金の杖を持つことが許されている魔術師は、彼を入れて5人しかいない。ディッキーにはそれがどれほど凄いことなのか実感こそないものの、己の師が特別な人間である事だけはなんとなくわかっていた。

「物が壊れるから?」

「ンなもんどうとでもなる」

「だよね」

 ごち、と遅れた拳骨が降ってきて悲鳴をあげる。「暴力教師ぃ!」と叫ぶがどこ吹く風だ。この塾校舎の絶対的な王様はカヅキで、きっとこの国に彼をどうにかできる人間は少ない。

「危ないからだ。崩れた屋根で怪我人が出たらどうする……他の人間だけじゃない。お前もあぶねぇんだ。……特にお前はな」

 ここは田舎町にあるとはいえ小さな魔法塾だ。子ども達が寝泊まりするための寮もあり、昼間はそれなりの賑わいを見せる。たしかにこんなところで事故でも起こせば、惨事になるのは目に見えていた。

「そうは言っても、これ、安全装置ついてっし」

 暴風靴ストームライドはその一歩間違えれば人命に関わる性質からか、過剰なまでの防護魔法が施されていた。それは瞬間的であれば半径2メートル以内の他人にまで及び、正直なところ国に推奨されている箒や絨毯などよりはよほど安全だった。

「魔法は完璧じゃない。いつも言ってんだろ」

「これ作ったの先生なのに、そんな事言っていいの?」

「俺が作ったから言ってンだよ。ガキが人を殺したら親の責任、当然だろぉが」

 ふん、と鼻を鳴らすカヅキはおよそ教師とは言えない極悪面だが、なんだか格好いい。

「だから今日から1週間、没収な」

「やだー!!」

 ディッキーは飛び上がった。

空を走れなくなるのは困る。だっていつだって空はディッキーを呼んでいるから。そこに居られないと、心がざわついてしょうがないのだ。

「付き合ってられっか! オレは帰るぜ!!」

「おい待てコラ」

 ばっと窓から躍り出ると、「お前ン家はここだろーが!」と、目を三角につり上げて追いかけようとするのが見えた。しかしもう遅い。空での機動力なら、生身の彼より暴風靴ストームライドを履いた自分に分がある。

 暴風靴ストームライドを起動すると、とたんに体が軽くなる。全身に張られた魔法が、体を守り、重力を軽くする。親指に力を込めると、足裏に瞬間的に見えない足場ができ、それを蹴ることで空中走行を可能にしていた。


 ―――誰にも止めることなんてできない。だって、空が呼んでいるから!


 トーントーンと風を蹴って走るディッキーには、置いてきたカヅキの事なんてもう頭になかった。あるのは、もっと高く飛びたいという欲求だけ。

「あっ」

 その足が突如、空を切った。

 足場を作り損なったのだ。それだけじゃない、体を覆う防護魔法がいつの間にか解けている。

 ―――やべ、落ち……。

 落ちる、事はなかった。

 箒に跨がって現れたカヅキが、重力に従って落ちかけていたディッキーの首根っこを捕まえたからだ。

「せ、先生ぇ……!」

「ちょっとは反省したんか」

「あ、危なかった……ちゃんとメンテしてんのに……あ」

 ディッキーは思い至って暴風靴ストームライドを起動させる。問題なく作動することを確認して、自身を吊り下げる男を睨み付けた。

「先生!妨害したろ!!」

「カカ、教訓には痛みが必要不可欠なんだよ」

「この人格破綻教師ィ!」

 ディッキーは「離せ」とむちゃくちゃに暴れたが、お説教が終わるまでけして手を離される事はなかった。


 夕暮れ時、風が強く吹き込んでくる窓をカヅキは睨み付けた。

 ディッキーはすでに寮に帰した後である。散々渋ったが暴風靴ストームライドを没収することには成功したので、今夜は大人しくしているだろう。

「呼んでも来ねぇよ」

 姿の見えない女に告げる。

「この塾にいる以上、あいつは俺の子だ。お前になんぞくれてやるものか」

 キイキイ、と風が鳴く。風の精が怒っているのだ。

 風の精シルフは普通、人の目に映ることができない。カヅキのように稀に彼女達を見つけられる力を持つ者がおり、それらが見初めた結果、風の民のような混血児の子孫が今現在も多くいる。

 混血児は人間に混ざって暮らすのだが、姿の見えない先祖は、知れずとも彼らを己のテリトリーに導こうとする。

 これが、呪いの正体だった。

 風の民は空を渡ることを生業としているが、飛行中の死亡率はけして低くない。巧みな技術を持つ故に危険な仕事もこなすからだと思われているが、実は違うのだ。

 彼らは顔も知らぬ、孤独な先祖に呼ばれて空を目指す。血潮の生まれ故郷は安寧をもたらし、孤独な先祖は彼らに風を読む力を与え、解きには力を貸して助けてくれるだろう。そして寂しがりの先祖に悪戯に地面に突き落とされて、死んでいくのだ。


 ―――さっきも、妨害したのは俺じゃねぇ。


 ジロリとカヅキは目付きを鋭くする。するとピュウピュウと高い声を上げて風が逃げていくので、満足げに鼻を鳴らした。


 ディッキー・ブラックウッドは空に呪われている。

 けれど、この男がいる限り、連れて行くことはできないだろう。

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