第29話 巨人の肩に

 最後の目的地フランクフルトは、まごうかたなき現代の大都市だ。高層ビル群を背景に金属製のオブジェ「三本脚の馬」が見えてきた。


 バスは「香香」という中華料理店の看板が真横に見える位置に停まった。レーマー広場の一本横の通りだ。

 もう壁はない。この街で迷子になったら帰りの飛行機に乗れなくなるかもしれない。

 幸い、降車位置と集合場所は同じだ。

 「香香、香香……」と頭の中で念を押しながら降りた。


 レーマー広場は、伝統的な木組の建物に囲まれている。暗褐色の木材とクリーム色の壁。

 広場の中ほどに聳えるのはパウルス教会。また、花壇や鉢から溢れんばかりの花に囲まれ、緑青に染まった銅像が立つ。街の守護神アテネ像と、正義の女神像だ。

 パントマイマーの二人組もいた。

 昔の趣きを残す街並で、中世風より華やか。近世風といえば良いだろうか。

 なんというか、喩えとして伝わるどうか分からないが……日本のビジュアル系ロックバンドがCDに付属するブックレットの画像に使っていてほしいような風景だった。


 トイレ休憩の後で希望者は添乗員さんの案内でゲーテ広場へ向かうことになり、私含めほぼ全員付いて行った。

 

 ゲーテ広場に着くと、近世から現代に移動したような感じ。

 ゲーテ像を中心に広々としている。噴水のところで記念写真。

 活版印刷記念碑もある。発明者のグーテンベルク像を頂点にして、関係者の職人、学芸を司る女神などの像がぐるりと周りを囲む。

 偉大な先人の功績から新たな知見を得ることを「巨人の肩に乗る」という慣用句がある。庶民にいたるまで巨人の肩に乗る機会を広く得られるのは、活版印刷のおかげである。


 グローセ・ボッケンハイマー通り(大食い通り)に来た。

 昼食は自由なので、ここで三々五々散らばってゆく。

 例によってドイツの食事は量が多いので、カフェで軽く済ませることに。同じ考えからか、さっそくレジの列に並ぶ人もいる。

 フードコートが屋外にあるような感じで、小さな店が軒を連ねるところにテーブルと椅子も置かれている。


 同じ店を選んだのは、フランスでお昼にオムレツを食べたときに一緒だった、福岡のご夫婦。せっかくだからと、再び同じテーブルについた。

 私はサンドイッチとココアを注文した。

 プレッツェルを分けていただいた。

 ココアのマグカップがとても大きいのが面白くて、小さなぬいぐるみの熊の「真斗」を手前にして写真を撮ったら、遠近感でカップの大きさが分かりづらくなってしまった。

 福岡のご夫婦が、どのような理由か分からないが、奢ってくださった。

 この人たちは行きたい場所が決まっていて先に席を立ったので、残る私を気遣ってくれたのかもしれない。


 私はフランクフルトで何をしようかハッキリと決めていなかったが、行ってみたい所が2つある。

 まずはその一つ、ゲーテ通りに行くことにした。

 チラシ配りの人がいる。

 土産物店か菓子店のクーポンを期待して受け取ったが、表裏ともスポーツジムの広告。チラシ配りはとにかく早くノルマを果たしたくて、観光客と住人を区別しないのだろう。

 観光客には無用の長物だが、思い出のひとつのようで持って帰った。


 ゲーテ通りにはファッションブランドの店舗がずらりと並び、圧倒された。

 日本で言えば、神田神保町のような街を想像していたら銀座だったような……。

 ゲランの店を探す。母から頼まれ、行きの成田空港で見つけた時は「瓶が割れていないか気にして過ごしたくない」と買わなかった、ゲランの香水「ミツコ」。

 探すなら今だ。

 フランスのブランドだが、世界的な有名ブランドだから隣国の都市にも店舗があるだろう。と思ったけれど見つからなかった。探し方が悪かったのかもしれない。

 まあいいや、旅先で手に入れるほうが素敵だけど、成田空港にもあるんだし……と、この時は思っていた。


 バスの中で聞いた巨大書店。

 かなり上の階まで吹き抜けになっている。

 1階の手すりより少し上に顔を見せていたキリンのオブジェは、地下1階の中央に四肢をついている。

 地下1階の漫画コーナーには、日本の漫画単行本の翻訳もある。

 タイトルロゴを見ているだけでも楽しい。

 どうやってタイトルの意味を知るのか気になるような作品もある。

 「ニセコイ」“Nisekoi“ など。これは o が作中のキーアイテムのペンダントの形に寄せてあり、字体も可愛かった。


 とにかく本を中心とした商品の陳列も、店舗の内装も、色彩豊かな書店だった。まるで色数の多い色鉛筆セットを思わせる色とりどりの品が周りじゅうにありながら、心地良くゆったりとしているのだ。


 ここに来た記念に何か買っていきたい。これだけ沢山の本があれば、なかには日本語の本、または写真や絵が多くて何とかなりそうな本で、旅の思い出にピッタリな一冊が見つかるのではないか。と思えど、その一冊を選び出すことができない。

 思えば仕方のないことだ。名著は山とあれど、私が探しているのはこの書店の雰囲気を凝縮したような一冊。それは無理な望みだ。

 人は花を摘むことが出来ても花畑を持って帰ることは出来ない。住みたくなるような素敵な書店も同じことだ。

 結局、1階の文具コーナーで、おしゃれな旅行用爪切りセットを買った。正三角形のポーチに、爪切り、ヤスリ、ステンレス製耳かき、小さい鋏が入っている。

 爪が伸びるような長旅をする予定はないが、いつかこれが役に立つ時が来たらきっと面白いだろう。


 そろそろバスに戻るほうへ歩きださなくてはならない。地図を少し見て、しまう。

 来た道と違うほうを進んでいると、面白い形の建物があった。

 道路を挟むビルとビルの間の連絡通路を、ビルと融合した一対の巨人像が、それぞれ肩にのせて両側から支えているのだ。そういうのが通りに何組かあって、巨人アーケードと呼びたいような様相だ。

 幅の広い道路を車が行き交う。

 歩道からカメラに収めるのが難しい。

 連絡通路が見えるようにしたら巨人像が見切れるし、近くの巨人像の胸から上をアップで写しただけでは建物の形が分かりにくい。

 全体像は心のファインダーに収めた……有り体にいえば、ほどほどにして諦めた。

 あの建物が何で、あの巨人のような装飾を何と呼ぶのか分からず仕舞いだ。


 大通りを過ぎ、来た道と違うが地図のとおりにゆるやかにカーブした道を歩く。

 テラス席のあるカフェが並ぶ。

 夏の日を浴びる人々の髪と肌の色はさまざまだが、皆だいたい荷物が少なく、夏らしい軽やかな服装だ。このあたりの会社や店舗で働いている人が、お昼休みにランチに来ているのだろう。

 忙しい合間のことかもしれないが、楽しそうに見える。

 前を歩いているのはバスの運転手さんだ。

 この道で合っている、とホッとした。


 こうして、「香香」の看板の見える観光バスに戻ってきた。

 集合時間よりかなり早く着いて、まだ車内に人は少ない。

 勿体なさも少しあるが、無事にフランクフルト空港まで行けるという安心感のほうが大きかった。






(次回、帰路。)

(帰宅するまでが旅行です!)




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