第28話 廃墟は踊る

 今朝はデニムの長いズボンにスニーカーで出発した。

 午後にはフランクフルト空港から日本へ発つ。飛行機に乗る日は荷物を軽くしたいので、長いズボンはトランクに入れるより履くものと決めていた。

「歩きやすい服装で行きましょう」とも聞いていた。今日訪れる場所にもそれが似つかわしいだろう。


 ハイデルベルク城は美しい廃墟だ。

 三十年戦争とプファルツ継承戦争で内部がほとんど破壊されたが、19世紀に街が城の保存を定め、一部は復元され、今に至る。


 城址は山の中腹にあり、旧市街地からケーブルカーに乗って行くことになる。

 教会を中心とした旧市街地は賑やかで、通りに迫り出す看板など古い街並みの雰囲気を残した部分と現代的な部分が混在する。お城は勿論楽しみだが、次はこのあたりを見て回ると思うのもワクワクする。


 ケーブルカーは車体の形が平行四辺形で、座席の座面は水平、床は斜めになっている。外の景色も良いし、車内も面白い眺めだった。


 現地の日本人ガイドのTさんは愉快な人。初老といえるだろう年頃の男性で、ドイツでの暮らしが長いぶん訛りも強いが、何故か聞き取りやすい話し方。冗談だか本当だか分からない話をよくする。

 行く先々で陽気に挨拶する。


 ケーブルカーの乗降場を出ると、アイスクリームの屋台や、明らかに城よりずっと後世のものだが雰囲気を寄せたような建物が目に入る。

 アイスの屋台を、いま食べないのについ見てしまう。ロゴはフランスのサービスエリアで見たのと同じ、白いクリームのような線で二重に描かれたハートマーク。

 しかし添えられた文字が違う。フランスのはたしか LANGBAR だった。今のは mico と書いてある。なんだか前者のほうがドイツ語っぽいような……?


 もう一方、新しいが趣きある建物は、観光名所の入口によくある案内所だろうかと思いきや……

「これはね、医者の家です。そんなに古いものではありません」

 とTさん。

 城の観光とほぼ無関係な住人にとって、住み心地は? 観光客が間違えて入り込んだりして困らないだろうか?

 この外観は周囲の景観に配慮したのか、はたまた立地込みで趣味に走ったのか謎だ。

 

 やがて重厚な城門の前に着いた。

 城門についている金輪に「魔女の歯型」と呼ばれる痕がある。

 ここで言い伝えを聞いた。

 「もし金輪を噛み切る者がいたら、この城を与えよう」と王が家来に話すと何処からか魔女が現れ、金輪に噛みついた……。

 無茶をしてでも手に入れたい城というわけだ。

 

 有名な門がほかにもある。

 プファルツ選帝侯フリードリヒ5世が、妻エリザベートの19歳の誕生日プレゼントに建てた「エリザベートの門」。サプライズのため一夜で築かれたので「一夜門」とも。

「ぜひ皆様も奥様のために建ててみてください。本当に完成したらご一報ください。見に行きますから」

 門を建てる予定はないけれど、Tさんが家に遊びに来たら楽しそうだな、と思った。


 城址に幾つもある建物のうち一つは、城の外装を活かした屋外の舞台が設置されている。

 そこでは劇団が練習中。周りではまだ出番のない団員らしき人たちも見守っている。

 Tさんが陽気に挨拶すると、みな笑顔で挨拶を返した。

「いまのは国立劇団です。私も在籍していたことがあるんです。こう見えてもかつては美男子で、私が出演者した日は99%の座席が埋まったものでした。今もいれば満席かもしれません」

 Tさんはガイド中ずっとこの調子だった。

 ガイドとしてもベテランだろうから劇団にいたのは随分昔ではないだろうか。在籍期間が重なると思えない若い人からも声が掛かる。色んな繋がりがあるのだろう。

 顔が広い人だ。もしかしたら中には初対面の人もいて、その愛想の良さに釣られて親しげに対応した……などということもあったかもしれない。


 世界一巨大な木製ワイン樽のある蔵のなかを見学した。

 入るとすぐに見上げるような大きな樽に出くわすが、それよりもっと凄いのが奥にある。

 学校の講堂を連想するような広くて天井の高い部屋にいっぱいの、巨大な樽が一つ寝かされている。円形の天面をこちらに見せ、側面は両脇の柵で押さえられている。その樽を囲むように、二階席みたいな高さに、手すりのついた通路とそこへの階段がある。

 樽の上にもテラスがあり、通路から行ける。ここで酒宴が催されたこともあるとか。


 酒樽の番人となった小人の道化師ペルケオの伝説も面白かった。彼の像が

 生涯を水の代わりにワインを飲んで暮らしてきた。名前の由来は、ワインを勧められると母国語であるイタリア語で

“Perche not!“(なぜ飲まないの!)

と答えるのが常だったことから。英語の “Why not!“ のような反語表現。

 これを勢いよく言うときは R を強調するのが一般的だそうで、

「Perrrrrche nooot! なんて言うことも、あったかもしれません」

 Tさんが臨場感たっぷりに実演してくれた。

 生まれ変わりを本気で信じたことはなかったが、Tさんの前世はペルケオのような気がしてきた。


 ペルケオ像と彼の作った箱が壁に取り付けられていた。

「誰か、この紐を引っ張ってみませんか?」

 一堂の視線が比較的年少の女二人に集まった。フランス人形のような若奥さんと、たぶんオモシロ枠の私。綺麗な人にお任せした。

 若奥さんが紐を引くとモフモフのぬいぐるみのようなものが、顔にぶつからんばかりの勢いで飛び出した! 狐のしっぽだった。


 ペルケオは晩年に体を壊したとき、医師に勧められ初めて水を飲んだ。それから間もなく息を引き取ったそうだ。

 Tさんには末永くお元気でいてほしい。


 外に出ると、ネッカー川とその対岸の「哲学の道」を見下ろせる。もちろん対岸も「ハイデルベルク城が見える絶景スポット」と言われている。

 城址側からだと、四阿の中から見るのがいちばん好きだ。


 もう少し歩くと、固い土の地面に足首まで入るくらいのくぼみがある。プレイボーイの足跡だという。

 王妃の浮気相手の騎士が王に見つかりそうになり、鎧を着た状態で窓から飛び降りた跡だとか。

「足型の合う人はプレイボーイの素質があると言われています」

 男性陣はさっそく試している。

 夢のないことを言うと、足跡の周りがすり減って輪郭がぼやけているので、誰でも合うといえば合うような状態だった。

 私でも合った。何故合わせてみる気になったのか分からないけれど……。


 そろそろ城址を後にするころ、山の下り口へ歩いていると三角屋根が見えてくる。聖霊教会の屋根の次に目立つ。それは刑務所だった。

「ここの所長は若いころからダンスが得意で、時々お世話になりました。劇団員として、ですよ」


 下りるときは急な坂道で、頂に栗の木があった。根元で一息つくのにちょうど良さそうな木陰になっている。夏なので勿論まだ栗は実っても落ちてもいない。

「いつかまた来るときに実っていたら収穫してみてください。僕のではありませんが」


 この坂道は高い塀に挟まれている。上のほうにいる間は見晴らしが良い。下るにつれて塀しか見えず、まるで天井のないトンネルみたいになってゆくが、何故か楽しかった。それを抜けたら旧市街だ。


 今はホテルになっている「ツームリッター」(騎士の館)の看板が見える。

 テディベアを買ってあげたい人がもう一人いるのを思い出し、免税店に入った。

 一目で気に入った真っ白なテディベア。メーカーを聞かれたら「ヘルマン」と「ハーマン」とどちらで答えるのが通りが良いだろうか……と思いながら会計した。


 城を見たのとどちらが先か思い出せないが、アルテ橋(古い橋の意。正式にはカール=テオドール橋)という橋のまわりを歩いた。

 橋の途中から、丘の上のハイデルベルク城が遠く見える。

 その景色も良いが、橋そのものが素敵だ。赤煉瓦、石膏像、門を左右から挟む塔のバロック様式的(たぶん)な曲線を描く屋根。

 勝手なイメージながら、これぞヨーロッパの橋という感じだ。

 この橋の入口に、狒々の像がある。手に持ってこちらに向けているのは鏡だ。「人類って本当に猿より賢いの?」とでも問われているような感じ。傲慢を戒める意味があるそうだ(※1)ドイツ最古の学生街にこれがある。「謙虚に学べ」ということかしら?


 バスで出発するとき、Tさんが集合場所にいた。添乗員さんと打ち合わせなどあったのだろうか。

 Tさんは手を振って見送ってくれた。中世や近世の雰囲気を残した街が窓の外を流れる。


 ハイデルベルク大学については近くをバスで通っただけで、見に行っていない。学生牢の話を聞いたのもバスの中だったと思う。

 かつて大学は治外法権の場だったので、学生が騒ぎを起こしたらここに収監される。

「玉座の間」と呼ばれる独房があり、そこに入ると箔が付く……要は牢名主だ。若気の至りでは済まないことをした者も中にはいたかもしれないが、いまは観光名所の一つだ。

 ドイツ最古の大学で、偉大な人物を多く輩出しているのに、こうしたこと話ばかり頭に残ってしまう。

 旅行の当時、私は二次創作に熱中しており、推し(※2)が「玉座の間」の格子の奥からこちらを睨むところが思い浮かんで仕方なかった。


 窓から見える景色はやがて、最後の目的地フランクフルトが近づくにつれて現代の大都会へと移り変わってゆく。




(次回、フランクフルト)



※1 諸説あるが、そのうち一つに、街を追放されるカップルが選帝侯をはじめ偽善的な大人を風刺した詩がもとになっている……という説がある。


※2 岩代俊明「みえるひと」の登場人物、犬塚ガクのこと。

 

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