第1話 北極圏上空で映画を観る

 母に見送られ、ツアーの皆と出国ゲートをくぐってから搭乗口に移動するまでの間にも、少しの自由行動と次の集合時間があった。


 成田空港内のタリーズでタピオカ入りのお茶を飲みながら、ガラケーで恋人に行ってきますのメールを送る。

 幸い、ほどなくして、行ってらっしゃいの返事が来た。いちばん言ってほしいタイミングだ。飛行機に乗ってからでは、すぐに読めないだろう。

 テイクアウト分のマドレーヌなどが入った袋をバッグにしまい、席を立つ。



 集合場所にツアー参加者が揃い、諸々の手続きのために皆で移動。

 検査場で少し中身の残っていたペットボトルを捨てなくてはいけなかった。勿体ないが、飲み物は機内でも買えるので困るほどではない。


 飛行機内で約17時間の過ごしかたは、最低限なら、飲食、トイレ、睡眠の繰り返しになる。この最低限に、連れがいれば「お互いに起きているときの雑談」が加わるのだろう。

 ガイドブックで見たときには「そんな細かいことを」と煩がりながらも一応用意した、機内用のルームシューズのありがたみを理解した。靴より断然、足が楽だ。

 たまに座席に設置されたモニターで現在位置を確認するのが結構たのしい。

 私たちは北極圏の上空にいるのだ。

 

 このモニターで映画を観ることも出来る。映画館で上映中の作品もだ。

 3本見た中でがいちばん面白かったのが「鑑定士と顔のない依頼人」。

 虚実入り乱れる世界で、偽りが蜃気楼のように消えさると、確実に本物なのは主人公の実らなかった初恋だけ……。

 ほろ苦い物語のはずが、ヒロインを恋愛ゲームのアバター扱いしているかに見えた「本物の令嬢」の狂気が強烈に印象に残った。


 


 シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは午後8時だが、昼の明るさだ。結構暑い。


 入国検査の順番を待つ間、同じツアーの人たちの顔をなるべく覚えようとした。

 頭の中でご本人には聞かせづらい仇名をつけたりもした。

 フランス人形のような奥さんはフランスさんとか。

 べつに悪口ではないが、親しくない人をとにかく記憶に留めるための記号みたいな呼び名は、相手にとって必ずしも喜ばしいものではないだろう。


 空港の建物を出て、第1の宿泊地であるシャルトルに向かうバスに乗るまで、6月の日差しに温められた地面を歩く。蒸してはいないとはいえ、予想していたより暑い。


 バスは静かな道をゆく。木立のほかに目立つものはとくにないが窓の外を眺めているだけでもワクワクした。

 ただ、空港で水を買えなかったので、バスの中では「水を全然持っていない」のが実際の喉の渇き以上に気がかりだった。

 

 降りるころ、バスの運転手さんは乗客にペットボトルの飲料水を一本1ユーロで売ってくれた。

 旅慣れた人たちはサッと小銭を出す。

 私は小銭を持っていなかったが、貸してくれようとした人がいた。すると運転手さんはツケにしてくれて、フランスにいる間に返せば良いとのこと。

 フランスで過ごす3日間、バス移動は毎回この運転手さんのバスだ。

 お客同士でお金を貸し借りするより運転手さんツケてもらうほうが確実に返しやすい。

 私は両方にお礼を言って、運転手さんのツケで水を2本手に入れた。



(次回、シャルトル編1に続く)

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