たんぽぽを追いかけて

添野いのち

追って、駆けて

 私には仲の良い先輩がいる。隣の家に住む、1つ上の幼馴染だ。

 幼稚園の頃からずっと仲が良くて、よく一緒に遊んだり、勉強を教えてもらったりもした。一人っ子の私にとって、兄のような身近な存在。だからこそ、どうしても腑に落ちないことがあった。

 それは、何をやっても先輩に敵わないこと。

「学年が1つ上だから」と言われてしまえば、何も言い返すことはできない。私よりも1年多く学校に通い、1年多く同級生と遊んで、私の経験を先輩は1年早く体験しているのだから。でも先輩は3月生まれで、私は4月生まれ。1ヶ月しか変わらないのに、先輩に勝てることが無かったのが悔しかった。負けるたび、次こそはと思って努力してもダメだった。よく友達やお母さんに「兄妹じゃないんだし、あまり気にしなくても良いんじゃない?」と言われるけど、私は絶対に諦めなかった。たった1ヶ月の人生の差を負ける理由にはしたくなかった。いつも私の上をいく先輩に憧れ、追いつき、先輩と同じ世界に足を踏み入れたかった。


 高校の卒業式も終わり、迎えた大学受験。合格発表の日、先輩は私に、先輩の家族と同じタイミングで結果を伝えるメールを送ってくれた。授業中に届いたメッセージ。先生にバレないようにこっそりと確認した。

 私は思わず声をあげそうになってしまった。それを必死に堪えて、もう1度スマホの画面を見た。

 先輩が合格した大学は、上から数えた時に片手で収まるくらいの難関大学だった。嬉しい反面、やっぱり悔しかった。お世辞にも、私の成績はいいとは言えない。定期試験では赤点こそ無いものの、平均点あたりの点数しか取れない。順位もいつも真ん中くらいだ。塾の模試で1度、試しに先輩の合格した大学とほぼ同じレベルの大学を志望校の欄に書いてみたことがあった。結果はお察しの通りだった。


 先輩はこの春、大学の近くで1人暮らしを始めることにしたらしく、最近は隣の家を覗いても先輩がいないことが多くなった。そんな日が続くたびに、先輩がここよりも遠くへ飛び立っていくという実感が湧きに湧いた。いつも見えていた先輩の背中。それはもう間も無く見えなくなるのだ。

 結局、先輩が出発する前日まで2人で言葉を交わすことはなかった。もちろん、家の前で鉢合わせることは多々あったけど、引っ越しの準備に忙しそうな先輩を気遣い、喋りかけることもメッセージを送ったりすることもしなかった。そしてまた先輩も、私に話しかけることは無かった。


 先輩が出発する日、私はもちろん先輩を送りにいった。その日は学校の終業式。成績表を渡されたが、内容はどうせ中途半端だろう。そんなのはどうでも良かった。先輩を送るときに何を話せば良いのか、それを考えるので頭がいっぱいだった私は、先生の顔を見て話を聞き流した。先生が何を話していたのか分からない。適当に相槌をうち、長い長い話が終わるのを待った。それが終わるや否や、カバンに成績表を放り込んで教室を飛び出した。校門を通り過ぎるまさにその時、終業を告げるチャイムの音が春風に乗って私に届いた。

 学校の最寄り駅を目指して、ひたすらに走り続ける。硬いアスファルトを強く蹴り、荒い息を気合いで整え、駅まで続く桜並木の咲きはじめの花には目も暮れず、走り続けた。

 自分の足が遅いことを、ここまで悔やんだ日はない。でもその悔しさは、今までの悔しさとは全くの別物だと私は気づいた。

 何とか駅に辿り着き、やって来た電車に飛び乗った。とにかく先輩の元へ急ぎたかった。その電車が、先輩のいる新幹線の駅とは反対へ向かう電車だと気づいたのは、ドアが閉まった後だった。

 私の焦りはますます大きくなった。先輩ならこんな間違いをするであろうか。私が先輩と肩を並べられる日が来ることなど、本当にあるのだろうか。そんな思いが、頭の中でぐるぐると渦巻いた。

 すぐに私は折り返し、先輩の待つ駅へと向かった。電車のスピードがここまで遅く感じたのは初めてだった。15分が1時間にも、2時間にも感じられた。

 駅に着くや否や電車を飛び出し、新幹線の改札へ走った。入場券を買う待列、券を改札に通している時間、降りてくる人でいっぱいの階段。じれったい。本当に焦ったかった。

 ようやく辿り着いたホームには、先輩の姿があった。

「先輩!」

 幼馴染ではあるが、憧れや尊敬の意味も込め、中学以降はずっと先輩と呼んでいる。

「おお、早かったな。」

「早いだなんて・・・遅いですよ。1回電車間違えちゃいましたし。それに足が遅い私が早いわけなんて・・・」

「29分」

 先輩は時計を見ながら言った。

「・・・え?」

「高校の終業のチャイムが鳴ってから、お前がここに来るまでの時間。俺、高2の3月、高校終わってすぐ大阪に行かないといけない用事があって、急ぎで来たことがあったんだよ。その時にかかった時間は31分。電車も乗り間違えてない。それで31分。」

 私は目を丸くして先輩を見た。

「乗り間違えて29分なんて、今の俺でも到底無理だよ。高2の時って言っても、確かに生まれてからの年月には差がある。11ヶ月な。でも11ヶ月で縮められるような時間じゃねぇよ。一緒にいた陸上部。そこでの記録は俺の方が上だったかもしれない。でもお前は、部で1番努力して、努力して、大会でもその成果を出してた。」

 さらに先輩はこう続けた。

「俺だって必死だったよ。お前が汗水垂らして努力する姿を見るといつも、自分の頑張りがちっぽけに感じるんだよ。お前はこんなに必死でやってる。なのに俺は何をやっても三日坊主。何で俺はお前みたいに努力を続けられないんだって、ずっと悩んでた。」

 私は驚きを隠せず、突っ立っていた。先輩は突然私のカバンを取ったと思うと、中からクシャクシャの成績表を出して広げた。

「・・・見ないでっ!」

 私はすぐに取り返し、すぐにカバンにしまいこんだ。

「感心意欲、全部A。」

 先輩が呟く。

「お前、感心意欲全部A。俺は結局、最後の最後まで感心意欲Bの教科があったのに。」

 そして先輩は息を落ち着けてから、こう言った。

「お前はもう、俺を超えてるよ。その執念、意志の硬さ、我慢強さ。俺はそんなの持ってない。だからお前は、成績とかの数値に囚われずに、今まで通り頑張れば良い。数値だけじゃ、人間の良さとか測れないしな。お前の良さ、俺の持ってないお前だけの強み、大事にしろよ、可愛い後輩。」

 そう言いながら、先輩はやって来た新幹線のドアの方へと向きを変えた。私は何も言えず、ただ先輩についていった。乗り込む直前、先輩が私に1つ小包をくれた。中に入っていたのは、たんぽぽの髪飾りだった。

「ほら、〈あの時〉のこと、思い出して。」


〈あの時〉。すぐに思い出せた。〈あの時〉というのは、私たちがまだ幼稚園の頃のこと。2人公園で遊んでいた。その公園にあったのが、広い広い野原。至る所にたんぽぽが咲いていた。

 突然強い風が吹き、先輩の帽子が飛ばされた。綿毛と一緒に舞い上がった帽子を追いかける先輩、そしてその後を追いかける私。その時私は転んでしまった。幼い身に痛みがじんと襲いかかってきた。泣きそうになった私に、先輩は手を伸ばしてくれた。

「大丈夫?」

「…うん。でも、帽子が…。」

「気にしないで良いよ。ほら、立てる?」

 私は立てた。先輩のおかげで、また走り出すことができた。帽子はさらに風に流され、草むらの中へ消えてしまったが、それを見つけたのは私だった。

 その後、2人で一緒にたんぽぽの花をつついたり、綿毛を吹いては走って追いかけて遊んだ。

 2人でたんぽぽの野原を走り回った思い出。たんぽぽは、私たちの友情の証で、助け合いの証だ。


 それを思い出した私は、ドアに立つ先輩に向かって

「先輩、待っててください、来年絶対に行きますから!」

 と叫んだ。先輩は今までで1番の笑顔で、

「うん、待ってるよ。」

 と言った。

 ドアが閉まり、新幹線がゆっくりと動き出す。〈あの時〉のように、先輩の乗った新幹線を追って走り出した。いっぱいの笑顔で、大きく手を振って、足にさらに力を入れて、新幹線を追いかけた。先輩もずっと、1番の笑顔で手を振ってくれた。

 ホームの端まで走り切った時には、すでに新幹線は小さくなっていた。私は決意を胸に、たんぽぽの髪飾りをつけた。

 舞い上がった綿毛と帽子を追って、私は走り始めた。

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