第3話 大きなキャンバス、和室に置いて。

 俺の仕事は、油絵を描くこと。俗に言う『絵描き』だ。今日から新しい作品を描こうと思って、大きなキャンバスを買ってきた。外は風が強いから持ち歩くのが大変だった。

 こういうとき、車があれば便利だな、と思うけれど、貧乏絵描きの俺には車を買うお金なんかなく、材料を買いに行くときは交通機関を利用し、個展の搬入搬出のときは友人に助けてもらっている。持つべきものは友だ。


 4畳半の和室に、買ってきたキャンバスをセットした。

 身動きが取れないくらいに、狭い部屋が更に狭くなった。

 住んでいるのは俺独りだから、誰も文句は言わないし、不便でもないけれど。


 俺は絵を描き始めるとき、特にテーマを決めてから描くことはしない。道が外れたら上書きすればいいし、筆を持った瞬間に頭にあるイメージをそのまま描いていく。

 

 悲しみなのか楽しみなのか、俺にもわからないが、絵が完成したころには、描き始めたときの気持ちとは全然違っているので、多分今の気持ちは1週間もすれば上書きされているだろう。俺にとってキャンバスは、脳内の写真といったところか。


 外の強風が嘘のように、家の中に入れば無風で蒸し暑い。台風でも近づいているのだろうか。

 そんなときの俺の脳内イメージは、黒。濃いめの青。星。宇宙。


 そうだ、風のない宇宙をキャンパスに広げてみよう、と思った。

少しの間、タダで宇宙旅行に行くことにした。必要な絵具を用意し、筆を用意し、飲料水を用意する。

 

 俺は夢中になると飲まず食わずになる癖があり、以前脱水症状で倒れたことがあるので友人たちに約束を交わされたのだ。


 ──絵を描くときには水を必ず用意すること。


 俺は優しい友人に囲まれて幸せだ。


 真新しいキャンバスに最初に色を置く瞬間が、俺はとても好きだ。この緊張感がたまらない。

 これからじっくり時間をかけて、この絵を我が子のように育てていくのだ。

 命が生まれるわけでもないのに、不思議と会話ができるくらいに仲良くなるから困ったものだ。

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