第16話 道々

触上砂羽先輩は、数分後に目を覚ました。

ヨダレを垂らし、爆睡をしていた様子だ。起き抜けに「汗掻いたからお風呂です」と寝ぼけて、ベッドの上で服を脱ごうとした。

下は部屋着の灰色のスウェット。上は白いTシャツ。

シンプルオブシンプル。

可愛い部屋着など無い。存在しない。

これぞ、部屋着。

これぞ、至高。

それを上から脱ごうと乱暴にTシャツを引っ張る。

サイズが合っていないわけではない。

胸が大きいんだ。

現に胸の布がパツンパツンになって、セクシーなおへそが見えている。これはおへそを舐めろというサインなのか? それとも偶然か? 必然か? 罠か? 悪魔の誘いか? 

それともお胸を拝めという神からの啓示。

純白桃とも言える肌。巨大というには乱暴なお胸が今、ここに!

ボクは生唾を飲み、行先を見届ける。


「アンタはバカ? そっちはミンチになれ」


ボクがバカの方?

いやミンチの方か。


「ええ? えええ? 何? 何? 誰?」


当然、動揺して、同情したくなるくらいビビっている触上砂羽先輩。

クソ。

折角のチャンスが気泡と化す。

なんだよ。鷹茶! ボクの楽しみを奪うなよ。ボクだって、生きている間に何回、こんなチャンスが巡ってくるか分からないんだから。そこは鷹茶が気を遣って、席を外すべきだ。


「なんで、記憶喪失みたいになってるのよ」

「えっと、誰でしたっけ? あ! 取り敢えずガスマスクして貰えますか? あとアルコールのシャワーに入って下さい。無菌室に2ヶ月間、生活してからここに帰って来てもらって良いですか?」

「私はゴキブリか! ってか、この遣り取りをさっきしたでしょ? アンタ」


完全にボクは忘れ去られている。もう空気だ。エアーだ。イジメってこんな感じなのか。


「アンタも何、涙目になってんのよ。ぶっ飛ばすわよ」


なんて血の気が多い奴だ。女はお淑やかで、男の言うことには従順が、ボクの好みだ。

鷹茶に提案してみようと考える。

だが、ここは触上砂羽先輩の説得が先だな。

鷹茶だけでは、埒が明かないので、そろそろボクの出番か。


「この前はどうも」


鷹茶の前に出て、キザっぽく言う。

後方の鷹茶がこの世の終わりみたいな顔になっているが、ここは無視。


「?」


一方、触上砂羽先輩はキョトン顔。

良いんだ。

ボクはそんな個性的な顔ではない。全世界でアンケートを取った夢の中に出て来る、男並みに平凡な顔だ。イケメンでもブサメンでも無い。だからブサメンではない。ここが大事なところだ。ここがブレると全てがブレる。いやボクの心が折れる。引き篭もりの始まりだ。序章で終劇になってしまう。念の為に、あとで鷹茶に聞いてみよう。アイツの場合は「不細工」と言いそうだが。


「屋上でお会いしましたよね?」

「あ〜あの時の」

「そう! そうです」

「不潔な人ですね。お願いなのでガスマスクと、硫酸シャワーを浴びて下さい」

「………」

「アンタ、何やったの?」


ボクの記憶が正しければ、何もしていない。若干、ボクの勘違いがあったかもしれないが、潔癖症と分かった瞬間に会話を切り上げた。

それは仕方ない。

ボクの能力は、アレだ。アレなんだ。不潔と言われても仕方ない。甘んじて受ける。受け止める。

しかし、まだアレのことは言っていない。

それなのに不潔と言われるのは、断じて違う。


「ボクがどこが不潔なんですか?」

「見た目?」


彼女は「何故? 当たり前のことを聞くの?」と言わんばかりの顔している。それを聞いた鷹茶は「プップププ」と吹き出すのを我慢している。


「偏見ですよね? それ?」


ボクは食い下がる。

能力で不潔、下品と言われるのは構わない。いや、仕方ない。けど見た目が不潔というのは嫌だ。

ボクは毎日、お風呂に入っている。歯も磨いている。時々、サウナにも行く。不潔という言葉から遠い位置にボクは存在する。

指摘があるなら、改善もしたい。自分では気付かない点があるなら、指摘はウェルカムだ。

真摯に受け止め、善処したい。


「色々な理由があります。1つ、理由を挙げますと、運動していないと汗腺が開きません。あなたの場合は、運動不足で鼻の頭に角質が詰まっています。鼻の頭の角質は運動をして汗を適度に流さないと取れません。サウナに行ってても一緒です。毎日のケアが大事です」


運動不足?

確かに、ボクは運動不足だ。

鼻の毛穴は、気になっていた。あの黒い角質をどうやって除去すれば良いのか、ずっと悩んでいた。カッターナイフで剃り落とせば楽になれる。と、何度も考えたか。

しかし、それだけで不潔だと?

認めない。

それは認められない。


「………ボクを、それだけ不潔というのは横暴ですよ」

「では、不潔君にもう1つ、述べます。これは自分的な主観なので、それをツベコベ言われるのは心外です。もう嫌いです。帰って下さい」


嫌いと言われた。

不潔と言われるより、ショックだ。

「不潔だから近付かないで」より「嫌いだから近付かないで」と言われた方が、全てを否定された気分になってしまう。


「はい。選手交代。不潔君はそこで、硫酸シャワーでも浴びてなさい」


鷹茶も便乗してくる。

血も涙もないヤツだ。まるで鬼。いや、畜生だ。女の皮を被った、ド畜生だ。


「触上砂羽」


鷹茶は年上にも関わらず、タメ口だ。触上砂羽先輩が敬語キャラだから、忘れがちだが、ボク等は年下だ。出来れば、失礼がないようにしたい。


「自己紹介をもう一度してあげる。私は鷹茶綾。アンタが言う、ガスマスクもしないし、アルコールシャワーも浴びない。私が浴びるのは、ライスシャワーと脚光だけよ」


ライスシャワーは将来、結婚したいという願望だろうけど、脚光は良く分からない。今、所属している組織で、一旗揚げようとしているんだろうか?


「分かりました。鷹茶さん。自主的にガスマスクをして、アルコールシャワーを浴びます。で、お話があるんですよね。では、どうぞ」

「………いいわ。単刀直入に言うわ。アンタ、能力があるでしょ? うちの組織に入りなさい。変な組織に悪いようにされるより良い組織で、その力を使いなさい」


何故か、胸を張る。

ボクからすれば、鷹茶の所属している組織が正義なのかは、分からない。組織など、何かを得るために悪いことを大なり小なりしているじゃないだろうか? もし鷹茶の所属している組織が悪い組織だったら………すでに鷹茶は、組織に洗脳されていたら………そんなことを考えたら切りが無いので考えないが、ボクには結局、判断が出来ない。


「神の御業を知ってるんですね」


彼女は然程、驚かない。

ガスマスクをしているから表情は伺えないが、能力者だと見破られても動じている様子はない。もしかして、組織勧誘も初めてじゃないのか?


「神の御業、仰々しい言い方ね。能力で良いでしょ? 統一しましょうよ。分かりづらいわ」


鷹茶は自分勝手な主観で、言い方の統一を図ろうとしている。


「確かに仰々しいですね。この能力のせいで、潔癖症を極めてしまったんですから。そんな言い方は必要無いですよね」


能力の弊害で潔癖症に………他人事とは思えない。ボクも能力のせいで、色々と根性とか、性癖が捻じ曲がったのだから。

そんな彼女に、ボクなりの言葉を送りたい。


「触上砂羽先輩。ボク、分かります。ボクも能力で色々と悩んだ時期がありました。でも今は、色々と折り合いを付けて、必死に生きていますよ」


ボクは必死に言葉を並べた。

なるべく、偉そうにならないように考慮をして。


「あなたも能力を持っているんですね。えっと」

「ボクは天流川御男です」

「天流川………?」

「もしかして、父を知っていますか? ボク等の高校の教員をしていますよ」

「あの先生の………」


様子がおかしい。

父さん、また変なことをしたんじゃ………。


「担任が天流川先生で、鞭のようなモノで叩かれました。これが私の教鞭だ! と言われて」


本当にごめんなさい。

心からごめんなさい。

あの親父、本当にあのコードのような鞭を使っているのか。犯罪じゃないか。母さんもボクを逮捕するより、父さんを捕まえないと学校という教師には逆らえない場所では、父さんの遣りたい放題になってしまう。


「臭いから、早退しますと言ったら、打たれました」


う〜ん。

父さんだけが悪いとも言えないけど、暴力は駄目だ。どんな理由があっても、殴ってはいけない。


「アルコールの入った瓶を瓶ごと投げたら、天流川先生の頭から血が出ました。それから倒れている先生に洗剤の原液を振り掛けたら、逆上をされて……」


あ!

いつかは、忘れたけど血だらけの包帯で帰って来たことがあった。何も触れなかったけど父さんが「母さんには、母さんには、言ってくれ」と土下座をしていたので、大丈夫と判断して無視をした日があった。

多分、父さんは悪くない。

正当防衛ってやつだわ。

手が出るのも、生命の危機を感じたからだろう。

それにしても触上砂羽先輩、なんて恐ろしいんだ。

父さんもあの状態から、母さんに会う口実を作り出そうとしているから、こっちはこっちで、末恐ろしい。

しかし、あの父さんでも触上砂羽先輩を警察に突き出すことはせずに父さんの中だけに留めたところは教師の鏡だ。

息子のことになると、速攻で警察に電話をするところを直してくれれば、少しは見直すのに。


「その件は、聞かなかったことにします」

「そんなこと、どうでもいいから。アンタはウチの組織に来なさい。悩んでいるんでしょ?」

「ええ。でも組織に顎で使われるのは嫌です。この能力は心から恨んでいますけど」

「じゃ、余計に来なさいよ。私もこの能力を無くしたいから、組織に協力しているのよ。私の夢はね、普通の人になることよ。アンタもそうでしょ?」

「自分的には………潔癖症を直したいだけです。能力が消えても、潔癖症は治るんでしょうか?」


鷹茶が止まった。

答えに困っているようだ。

ボクの方をチラチラ見ているので、絶対にそうだ。ここでボクに助けを求めるのも間違っている。ボクは確かに言った。鷹茶と同様の考えじゃなかったら、どうするんだと。それに対しても鷹茶は、そんなことがないと言ったんだ。だったら、自分の答えを出すべきだ。

よって、ボクからは沈黙だ。


「………潔癖症は知らないわよ。でも能力は消せるわ。消えたら、自然に潔癖症も無くなるかもよ」


適当なことを言っている。

今、目の前にいる人間を良く見ろ。

ガスマスクを装着している。

白い手袋をしている。

数分毎にアルコールを自分に吹き掛けている。

火気があったら、爆発するくらいアルコールの濃度が濃い。ボクなんて若干、酔っている。

まさに異常。

異常中の異常者。

潔癖症界の頂点。

そんな彼女が能力が消えただけで、潔癖症を打破出来るわけがない。もう根底から潔癖が染み付いて、取れないに決まっている。能力のせいと言っているが、完全にこれは元々の素質。

個性。

才能と言っても、いいかもしれない。

だから無理だ。

鷹茶綾、彼女は組織に入れることは不可能だ。


ボクが下を向いていると、触上砂羽先輩が立ち上がった。


「潔癖症が治るなら、組織に入るのもいいかもしれません」


何っ〜!?

まさかの組織に入るの?


「なら、良かったわ。アンタも今日から仲間ね」

「だから入りません」

「はい? どういうことよ。入るのもいいかもって言ったじゃないの?」

「ええ、言いましたけど、まだ自分でも頑張ってみたいんです。自分の問題ですから潔癖症は」

「能力の方はどうするのよ?」

「絶対に使えませんので」

「使えないって? どういうことですか?」


思わず、会話に入ってしまった。


「潔癖症のせいで、数回だけしか能力を使ったことがないんです」

「ちなみにどんな能力ですか?」

「傷口にキスをする傷が癒えます」

「アンタ、それってめちゃくちゃ貴重な能力じゃないの?」


貴重の基準がボクの中には無いが、鷹茶の中では存在するようだ。組織に属しているから、能力のレア度的な表があるのかもしれない。

ボクの転送能力も結構レアと思ったが、鷹茶と同じだからレア度は低いことはわかった。

確かに、回復能力はかなり強力な気がする。

ゲームでも回復ポジションは重宝される。現実世界だったら、どういう立ち位置になるんだろうか?

触上砂羽先輩が言う通り、神の御業と言われ、重宝されるのかもしれない。


これは、ある意味、組織に渡さない方が彼女のためだ。

貴重な能力は、優遇される反面、それを無効化することは絶対にしない。社会でもそうだ。有能な人を会社に留めておくことは戦略的に必要だ。

触上砂羽先輩も同様に考えられる。

今のままが幸せだ。

鷹茶も能力を聞いて、ビックリしているんだ。ボク等が黙っていたら、そのままだ。だったら、組織に彼女を所属させるよりも彼女は、何の監視下にも置かず、生きている方が自由なんだ。


「鷹茶、行こう」

「何でよ?」

「聞いただろ? 触上砂羽先輩は組織に属さない。それが分かったら良いだろ? ですよね?」

「はい」


彼女は笑顔? だと思う。ガスマスクで表情は読み取れないが、そんな気がする。彼女は自分の問題と言い切った。だったら、そうなんだ。ボク等が何かをすべきではない。してしまったら、今度はボク等が彼女の敵になってしまう。敵なんて、作らない方がいい。味方は多い方がいいけど。


「な……なんでよ! 私の任務が、失敗じゃない! アンタのせいよ! このバーカーバーカー」


鷹茶は、そう言うと部屋を飛び出した。ボクは一瞬のことで止めれなかった。


「あの〜」

「はい? なんですか?」

「鷹茶さんを追わないんですか?」

「あ〜追います。追いますよ。家も知ってるんで」

「じゃ、早く行って下さい。私も追いかけます」

「来てくれるんですか?」

「掃除をしてから、行きます。この部屋を除菌したいんで」

「………それでも来てくれるんですね」

「これでも人の気持ちは分かる方ですよ。潔癖症ですけど」


彼女は潔癖症という言葉を照れ隠しで、使った。

そんな素敵な使い方をボクは知らなかったので、少しだけ胸がキュンとなった。

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