第7話 遭遇

ボクは父さんから逃げるように走っていた。誰にも捕まらない速度で、今という全てを置き去りにする勢いの走りだった。走るフォームも綺麗で陸上部だったらスカウトするか、ボクという逸材がオリンピックの大舞台で観客の視線を独り占めすることを想像したに違いない。自分でも驚きのスピードと鮮麗されたフォームだった。自撮りの習慣はないけど、こういう時に友達が存在すれば、ボクの走りをSNSへ勝手に投稿する。そしてボクが望まなくても、周囲がボクを放置しない。噂が噂を呼び、ボクは有名人の仲間入りになる。

ユーチューバーになるのも良いだろ。芸能界入りも良い。スポーツ選手でコメンテーターという道が手堅い気がする。人生なんてどう転ぶか分からないけど、可能性は無限に広がっているというわけだ。


まぁ。友達はいないけど。

まだいない。ではなく多分、今後もいない。

出来ない。

いつも思うわけだけど、友達を作る行為とは難易度が段違いに高レベルだ。子供時代でも高校時代でも関係ない。友達作りが下手なヤツは、ずっと下手だ。

「人生で友達がいない人間なんていない」「絶対に分かってくれる人間がこの世界に存在する」とキャッチコピーのようにこの世界には溢れている。

勿論、寒イボよろしくなんだけど。

ぶん殴りたくなるわけだけど。

ボクは言いたい。

は?

有り得ませんけど。

世界は綺麗事で溢れている。友達が出来るヤツは、魅力的なんだ。人間としてしっかりしている。トコトン変なヤツでも、人に嫌われているヤツでも友達は存在する。犯罪者だって支援者がちゃんといたりする。

赤の他人から見れば、何か欠けているかもしれないけど、それは反対に魅力的な容積が大きいってことで、人はそういう人種に惹き付けられる。魅了される。

電球に集まる蚊みたいな感じで、結果として友達が出来る。

友達が出来るってことは恋人も出来るってことで………ボクみたいな変態的な力がある人間は心まで偏屈で、自分をさらけ出せない。

だから友達なんて出来るわけない。

誰がオシッコを出したら、人を転送出来る人間と友達になりたい?

メリットが無い。

デメリットの方が大きい。


ボクは気付けば、走れメロス並の脚力で走っていたのに歩いていた。

そして立ち止まってしまった。

学校は目の前の角を曲がれば、直ぐだ。

多くの生徒がボクの横を通り抜けていく。ボクは若干の汗ばみを感じながら、乱れた呼吸を整える。

呼吸が落ち着いたところで、目を数秒閉じた。

「世界よ終われ! 世界よ滅びろ」と魔術のように呟き、目を開けた。

世界はやはり、変わることなく平和だ。そんな平和の中に存在して、登校する生徒たちを恨めしそうに見た。

希望に満ちている顔をしている。

中には「だるぃ」「帰りたい」「ねむぃ」と平和だからこそ、口に出来るワードが飛び交う。


自分自身と切り離された世界が目の前にあった。

ボクの立っている位置と彼らの違いはなんだろう? ボクも彼ら側を歩いていたはずだった。日向を真っ直ぐに歩いていた。

分かっている。答えは出ているんだ。

これはボクのミスだ。

ボクが彼女を転送したから、彼らの世界で生きれなくなった。

どうしてなんだ? なんで鷹茶綾を転送したんだ?

彼女に惚れている?

いや、そんなことはない。彼女は人気者だ。ボクみたいに気持ちが悪い力を持つ人間が惚れてしまうのは間違っても駄目だ。世界が割れて、滅亡5秒前でも惚れる行為自体が終身刑に値する。

例え、ボクが禁欲生活を8年間実施していたと仮定する。ボクの中のリトルボクちんが風が吹くだけで、臨界点を突破寸前。何を見ても、ナニを想像して、ナニに見えてしまう。同じ形のモノが2つ並んでいたら、シミュラクラ現象のように女性の胸を想像してしまう。

カクテルグラスを見れば、逆三角形のグラスが女性の禁断の地を彷彿させる。

生命の誕生。

全ての起源。

命の泉。

など、思考回路が種の存続に全力を出す。

無駄に、そして恥ずかしげもなく、下半身が元気なってしまう。

しかし! しかしだ! そんな状態でも、彼女をそんな目で見ない。

通常時でも一度もない。神に誓って、有り得ない。

………こともない。

力のコントロールが出来なかったのは、いつぶりだろうか?

それほど、鷹茶綾が魅力的だったのか?

ボクは頭を振る。

もう忘れよう。

彼女はボクにもう会いたくない。

会っても、無視だ。銃社会だったら、ショットガンでミンチになる。それ相応のことをしたんだ。


「はぁ」


朝だというのに気分は最悪で、ダークサイドに侵食されたように暗い。

夜中のように暗い。

考えても分からないことを考えてしまったから、さらに暗い。

ため息を吐いたが、解決されないことは知っている。

だから、ボクは一歩を踏み出すことにした。


「帰ろう」

「帰ろう。じゃ、無いわよ! バッカじゃないの?」

「え? ええ? 鷹茶綾!?」

「なんでフルネームなの? キモいわ」


頭を傾げる彼女。

可愛いと普通で素直な意見が口から出そうになる。軽率にも揺れる髪に触りたいと考え、唇を噛んだ。

ボクの理性は中学生並なのか?


「悔しそうだけど、どうしたの?」

「悔しくはない。本当に申し訳ないと思っているんだよ。君に酷いことをしたんだ。終身刑でも償えない」

「べ、べつに良いわよ。と、は言えないわ。はっきり言って、アンタは殺したい。撲殺からの焼殺がしたいわ」


彼女はストレートに言葉をボクに運んだ。

分かっていたことだ。

オシッコを掛けられたのだ。当たり前過ぎて、逆に笑える。もっと違う言葉を言えないのかと、ツッコミを入れたい。

入れたら、本当に殺されそうだから言えないが、殺意を向けられると防衛本能でイライラする。

殺されるくらいな、殺してやるって感じだ。

でも、ボクが悪い。


「本当にごめんなさい」

「謝っても許さない。ずっと私は汚れたままだし」

「結婚するよ」

「え? は? はい? 意味分からないんだけど? 結婚? え? プロポーズしたの? オシッコ掛けたからプロポーズ? アンタ、バカなの?」

「責任の取り方が分からないから鷹茶を嫁にしたら、黙るかなって」

「アンタねぇ。今は令和よ? 昭和感バリバリの男に付いて行くわけないわ。結婚なんて無理で嫌で、不可能。マジ、死んでくれる?」


ですよね。

結婚してしまえば、オシッコのことは許されると思ったが、作戦失敗だ。

そうなると、許してもらうことは困難だ。どうしようもない。もう会わないように努力をするしかない。高校を卒業してしまえば、もう顔を合わせることも無いんだし、彼女から逃げ回ろう。

アレ?

アレ?

なんで、彼女が突然、目の前にいるんだ?

普通に会話を始めてしまったけど、瞬間移動したように彼女が目の前に現れた?

違う!

ボクが立っていた場所と違う。

ここは父さんから逃げたスタート位置。父さんが教鞭という鞭を見せられた場所だ。

なぜだ?

ボクのオシッコは人間と個体を転送出来るだけ、自分自身が移動することなんてこれまで無かった。

じゃ、なんで?


「もしかして?」

「何が、もしかしてなのよ?」

「君も転送出来るの?」

「残念ながらね。アンタと一緒よ。私の場合はそれよ」


彼女はボクの腕の方を指差した。

制服にシミが出来ていた。ってか少し湿っていた。


「何これ? 尿?」

「アンタと一緒にしないで、それは唾よ。私の唾」

「唾?」


なんだと? 唾が付着している。

JKの生唾が付着しているだと? ネットオークションで売れるというわけか! 

ボクはカバンからカッターナイフを取り出した。


「アンタ、制服切り取ろうとしてるの? 汚いとかアンタにだけは言われたくない」

「違う。君は馬鹿なのか? 生唾だ。ネットで売る。君の生写真付きで」

「………アンタねぇ? 本当に変態なんじゃないの?」

「ボクは変態じゃないよ。世界に変態が多いだけだよ」

「アンタは救えない変態よ。せっかく、私が助けようと思ったのに」

「助ける? 君が警察を呼んだんだよ。ボクの人生は真っ暗だ。ほとんど終焉だ!」


ボクは天に叫んだ。

近くにいる人達がボクの方へ視線を向ける。鷹茶綾も驚いたように目を丸くしている。


「や、やめてよ。なんで叫ぶのよ? しかも警察を呼んだのはあなたのお父さんでしょ?」

「結果的には父さんだけど、君が引き金トリガーだ」

「発端はアンタでしょ?」

「………」


確かに。

何も言えない。言い返す言葉が見当たらない。何処かに落としたみたいだ。周囲を確認しよう。ポケットの奥に入って出てこないだけかもしれない。もしかしたら、一緒に洗濯をしてクチャクチャになっている可能性もある。

よし。

ここは一旦、家に帰ることも止む無しだ。

ボクは鷹茶綾に背を向け、歩き出す。


「ちょっと、ちょっと。どこに行くのよ?」


彼女がボクの制服を掴む。

や、やめろよ。

まるでボクが君の彼氏みたいじゃないか? 別れることを嫌がる彼女に見えてくる。いや、待てよ。

ボクは今まで、勘違いをしていたかもしれない。

ボク等はまるで運命の赤い糸にぐるぐると巻き付かれている。だからボクが彼女を転送してしまった。そうだ! 運命なんだ。

今も彼女がボクを引き止めることも運命。

彼女が可愛いと思っているボクの想いも運命。

転送してしまったことも運命。

なんて、素敵な言葉だ。

運命と思うだけで、心が弾むようだ。駆け出したい気持ちだ。


「そうだったんだ」

「どうしたの? 私的には止まったから良かったけど?」

「ボクは君が好きみたいだ」

「また? 結婚して責任を取る的な話? もうそういうのマジで止めて欲しいんだけど」

「君はボクに転送された。そうだよね?」

「そうよ。アンタに尿をぶちまけられたのよ」

「………ボクの転送には条件がある」

「条件?」

「好意が無いと人間を転送することが出来ないんだ。これまで転送が可能だった人間は母さんだけだった」

「マザコン?」

「断言する。この世界中の男は皆、マザコンだ。少なからずマザコンだ。それは生まれて見た最初の女だからだ。次に幼稚園の先生と相場は決まっている」

「引くわ」

「君だって、そうだろ? 最初は父。次の学校の先生だろ?

「………違うわ」


彼女はボクから視線を外し、虚空を見詰めた。

ボクは馬鹿じゃない。

でもクソ野郎だった。

彼女の過去を検索する気もない。掘り下げることもしない。

ただ、あんな顔をさせてしまった。

好きってことを意識したら、切なくなった。胸の奥を誰かに握られているように心臓が痛かった。


「ごめん」

「謝らないで。何も知らないで、何も分かっていないのに、理解した風に謝らないで。単純な謝罪は要らない。私はそこまで惨めじゃない」


次は真っ直ぐ、ボクを見ていた。

強い力を宿した瞳だった。魅力的で、力強く、ボクとは大違いだ。ボクの瞳は淀んでいる。オドオドと泳いでいる。自信なんて一つもない。だからボクは言わないといけない。しっかりと言葉を届けないと駄目だ。それが受け入れられないとしても。


「違うよ。オシッコ掛けてごめん。本当にごめんなさい」

「そっち? 馬鹿じゃないの。アンタとは本当に、会話にならないわ」

「それは本当にごめん」

「良いわ。で、そろそろ私に転送されたことに対して、リアクションはないの?」

「あ〜確かに。転送ってお湯を通り抜けた感じで温かいんだね。まるで君の中を通り抜けたみたい」

「表現が気持ち悪いのよ。もっと言い方あるでしょ? 近未来的な言い方をすればワープよ? つまりすごいのよ?」

「ボクの転送もすごいと思った?」

「アンタのは汚いと思ったわよ」

「ボクの尿だけど、君のだって唾だからなぁ〜」

「何よ? 文句あるの?」

「JK唾でしょ? 嬉しい人は嬉しいんじゃないの? でも唾って臭いんだよね。時間の経過すると」

「やめなさいよ! はいこれ! ウェットティッシュ」

「準備良いんだね?」

「当たり前でしょ? エチケットよ。エチケット。アンタとは違うの? 尿で転送とか最悪だし」


エチケットか。

ボクの場合は、着替えとお風呂代を用意しないといけないのか。完全に割に合わない。

今の所、母さんと鷹茶綾のみ転送しか有り得ないから、考えるのは止そう。

で、どうしてボクは鷹茶綾に転送されたのか聞きたい。

ダラダラと話してしまったから、学校は完全に遅刻だけど、彼女は気付いているんだろうか?


「ねぇ?」

「何?」

「学校、遅刻だけど?」

「うわぁ! 本当だ! アンタ、マジで言うの遅いから。じゃ、また後でね」

「ってか? なんで呼んだの?」

「あ〜また後で。また後で言うわよ」


彼女は走って行った。

やれやれ。

騒々しいヤツだ。

さて、ボクは家に帰ろう。遅刻をしてまで学校に行く意味はない。遅刻するくらいだったら、ボクは帰宅する。

それがボクの美学だ。どうせ、学校なんて興味無いし。


「ってか、行かないっすか? 学校?」

「? うわああああ」


影の中から、手足の長いアフロが出現した。

もしかしてコイツ、さっきから立っていた? デカイ盆栽と思っていたら、あの取調室にいた脚長おじさんじゃないか。


「昨日ぶりっすねぇ。元気っすか? テンアゲっすか?」


昨日も思ったが、コイツは雰囲気と言動が軽い。

嫌いではないが、苦手だ。

一生、関わり合いたくない人種だ。あの取調室に行かなかったら、ボクと彼がクロスオーバーする事は無かった。

運命とは怖い。


「テンアゲは分からないですけど、家に帰りたいテンションです」

「駄目っすよ? 学校は行くためにあるんっすから。自分、警察官っすから見逃すのリームーっす? 逮捕していいっすか?」

「………」


コイツ、加えて頭が悪い。

知能をアフロに吸収されてる可能性が出て来た。

学校に行かないだけで捕まってたまるか!

お前が捕まれ!


「不登校児っすか?」

「………違います。多分」


予備軍だけど。

下手したら、将来有望選手で有り得るけど。

仕方ない。仮にも警察官に言われている訳だから、行くか。心底、嫌だけど。


「先程、お嬢は言っていませんでしたけど、転送の件は内密にオネシャス。密告は頭バーンの死体ポーンの海でぷかーんっすから」


擬音の多かったが、なんとなく意味は通じたので、ボクは深く頷き学校に向かった。アフロから相当、離れた位置まで来たが、アフロはいつまでもボクのことを見ていた。

まるで黒いブロッコリーが立っているようで不気味だった。

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