デブは走る。ライバルと共に

まんじ

生きるために走る

走る。

大歓声の中、俺はひたすらに走る。

心音は早鐘を打ち、このままでは爆発してしまうと俺に告げて来る。

だが俺は止まらない。


前方に霞んで見える真っ白なゴールテープ。

その向こう側に向かって、俺は今にも意識の飛びそうな真っ白頭でひた走った。


あと少しでゴールだ!


だがその直前に、視界があらぬ方向へ傾いた。

正面から地面に向かって。


「ぐっ……」


足首に激痛が走り、気づくと俺の体は地面に横たわっていた。


――転倒。


その事実に気付いた俺は、すぐに体を起こそうとする。

だが足の痛みで立ち上がる事が出来ない。


何とか立ち上がろうと必死にもがいていると、その横を誰かが走り抜けていく。


そしてゴールテープは俺ではなく、その男によって切られ。

周囲からは割れんばかりの歓声が沸き起こる。

ライバルが脚光を浴びる中、俺はその様子を呆然とただただ眺める事しかできなかった。



「ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ」


体をゆっくりと起き上がらせ、タイマーを止める。


「またあの夢かよ」


10年前の夢だ。

駅伝のラストで俺はスッコロビ、見事にライバルである鷹尾に優勝を持っていかれた。

あの忌々しい記憶。


当時のチームメート達は仕方がない事だと慰めてくれたが、あれ以来俺は走り事を止めている。


「お陰でこのざまだ」


体を起こすとベッドが軋み、床に足をつけると床が悲鳴を上げる。

姿見を見つめると、そこにはオーク豚人間が映っていた。


それが今の俺の姿だ。


いやまあ、別にゲームに出て来る様な魔物になった訳ではない。

単に太っただけだ。

それも猛烈に。


走るのを止め、駅伝での悔しさを紛らわす為に食に走った俺の体は、見事にだるんだるんのオークへと進化を遂げてしまった。

かつての細身の体が今や見る影もない。


「はぁ……だる」


時計は現在、朝の5時を指している。

別に会社が遠くて、通勤のために早起きした訳ではなかった。


むしろ会社は近い。

徒歩10分程だ。

出勤時間も9時と来ている。


では何故こんなに早起きしているのかというとだな、走る為だ。


10年前走る事を止めた俺が再び走り出す。

それは何故か?

会社の健康診断で、今のままだとそのうち死ぬよ脅されたからだ。


そりゃ走るわ。


最初は食事制限でなんとかと思っていたのだが、世の中そう甘くはなかった。


昼食時に目の前で天ぷらを食べられたら、デブに我慢など出来るはずもない。

そして大人の付き合いたる飲み会。

体調がなんて言えば場がしらけるのは目に見えている。

そんな大義名分を得た俺は笑顔で大量のから揚げを口にする。


痩せるわけがない。

痩せられるわけがない。


だから走るのだ。


長寿みらいに向かって。


「へぇ……ほぁ……」


情けない声を上げてつつも、ドスドス足音を立てて走る。

まだ5分も走っていないが、ジュースが飲みたくなってきた。

今飲めばカロリー的には大赤字だ。

何とか踏ん張らなければ。


「ん?」


三叉路で人とかち合う。

見ると相手は俺と同じぐらい太っており、これまた俺と同じく青のランニングウェア着こんでいた。


「どうも、ランニングですか?」


「ええ、貴方もですか?」


「そうなんですよ。医者に痩せろって言われちゃって」


「実は私もなんですよ」


仲間意識が一瞬で芽生え、朗らかな雰囲気へと変わる。

しかしなんだろう?

この人、どこかで見たことがある様な?


「あのー。つかぬ事をお尋ねしますが、ひょっとしてどこかでお会いした事ありませんか?」


相手も同じ事を考えたらしい。

という事は、どうやら思い違いではなく知り合いで間違いない様だ。


俺はかなり太ってしまったからな、相手が気づけなくとも無理はないだろう。

そう思い、自分の名を口にする。


「あ、鷲山と申します」


「鷲山!?」


俺の名を聞き、相手の顔がぎょっとなる。

俺が太ったのが余程衝撃的だった様だ。


「……鷹尾です」


………………………………ん?


たか……お?


俺の中で目の前のデブと、かつてのスリムだったライバルの姿が重なる。


「えぇっ!!?」


思わず大きな声を上げる。

いやそりゃ上げるだろう。

あの鋭い眼光で精悍な顔つきだった鷹尾が、クマのピーさんみたいになってるんだから。


驚くなという方が無理がある。


「お互い……まああれだね」


「ああ。人は変わるとは言うが、揃ってこうなるとはな」


死ぬ程気まずい中、どちらともなくランニングを再開する。

お互いデブでスピードが出ないので、結果的には並走する形になった。


だが所詮はデブだ。

息が上がり、坂の前で俺と奴は限界を迎える。


「はぁ……はぁ……お互い情けなくなったもんだ」


「ははは……そうだな」


鷹尾は目の前の自販機でジュースを買う。

二本も飲むのかよ、こいつ。

そう思っていたら、一本を俺に手渡してきた。


デブのパワーエナジー事、お汁粉だ。

流石に分かってやがる。


「センキュウ」


プルトップの蓋を開け、俺はそれを一気に飲み干した。

ドロリとした甘みカロリーが五臓六腑にしみわたり、生き返った気分だ。


飲んでからカロリーを確認する。

缶には200弱と記載されていた。

思ったより高いな。

ま、生クリーム入りならしょうがないか。


気にしない気にしない。


「10年前の事……覚えてるか?」


「ああ、勿論覚えてるさ。お前に見事に負けちまったからなぁ」


「見事に負けた……ねぇ」


高尾は陰のある表情をする。

デブがそういう表情をしても笑っているようにしか見えないのだが、同じデブの俺にはその機微がハッキリと見て取れた。


「周りは誰も、俺が勝ったとは思ってないぜ。ただ運が良かっただけだってな」


「勝負ごとに運も糞もないさ。俺は転倒し、お前が勝った。それだけだ」


そして俺は自分の間抜けさを悔やみ、走るのを止めた。


「そう割り切れたらどれだけ楽だったろうな。実はさ……あの時の夢を今でも見るんだ。なんであの時、倒れているお前に手を差し出さずにゴールに向かっちまったんだろうなって」


「鷹尾……それはしょうがないだろう。勝負事ってのはそういうもんだ。それに駅伝は個人競技じゃないんだから」


「ああ、わかってる。仲間が繋いでくれたタスキを握っている以上、あれが正解だったって事は。だけどさ……」


負けた俺は、自らの不甲斐ないなさを未だに轢きづっている。

だが勝った鷹尾も、ずっと苦しんできたのだろう。


「よし!勝負しようぜ!」


「え!?」


「あの時は微妙な結果だった。だったら、今度こそ白黒ハッキリつけよう」


俺がこけたせいで、鷹尾も重い物を背負う羽目になっている。

そして俺もまた。


今更勝負したからって、それがなくなるかは分からない。

だけどあの時の決着をきっちりつければ、少しはお互いスッキリするはずだ。


「そうだな。じゃあこの坂の頂上まで勝負するか」


目の前には結構な角度の坂が続いている。

在り来たりな呼び方で言えば心臓破り、もしくは自転車キラーだ。


俺は缶を専用のごみ箱に捨て、スタートにつく。

その横に鷹尾もならぶ。


「よーい……スタート!」


俺の掛け声とともに、坂を駆け上った。

だがデブの受ける重力は、常人のそれを遥かに上回る。

坂半ばに到達する頃にはお互い息が上がり、ふらふらと蛇行し始める始末。

だが俺と鷹尾は歯を食いしばり、その頂を目指す。


そしてゴール直前。


俺と鷹尾が二人そろって、同時にゴールに――


「ぐげああああぁぁぁぁぁ!!」


「ぶろろろろろろろろろ!!」


たどり着く事無く、二人揃ってすっころんだ。


限りなく球体に近い体。


そして角度のきつい坂。


後は言わなくともわかるだろう。


気づけば俺は病院のベッドの上で、包帯ぐるぐる巻きだった。

全身死ぬ程痛かったので、看護師さんに尋ねたら全身打撲で3か月の入院と言われた。

鷹尾もほぼ同じ状態らしい。


結局、勝負はまたつかなかった。

だが何故だろう。

全身はひどく痛むのに、気分は何故だか晴れやかな気分だ。



「はっはっは!懐かしいな!」


「やっぱデブは無茶したらいかんよな」


あれから10年。

俺と鷹尾の奴は唐友になっていた。

週に一度の唐揚げパーティーを開く仲間という奴だ。


だが安心してほしい。

今の俺と鷹尾はもう太ってはいない。


ライバルと切磋琢磨してきたおかげだ。

俺一人だったら、きっとこうはいかなかったはず。


「さて。もういい時間だし、走って帰るか」


「そうだな」


俺は走る。

走り続ける。


人生が終わるか。

胃腸を壊すその日まで、俺はきっと走り続けるだろう。


この週に一度の唐揚げパーティーを親友と楽しむために。

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