2. 【異】襲撃

「お父さんっ!お母さんっ!みんなっ!」


 キヨカは未舗装の山道をひたすら走って下って行く。

 何度も転び、そのたびに生傷が増え、息が激しく乱れるものの、進むスピードを緩めることは無い。

 だが登りで片道一時間半はかかる道のり。

 普通に下ると一時間、急いだとしても四十分はかかる。


 焦りながら下山する間に、爆音はいつの間にか止まっていた。


「はぁっはぁっ……お願いっ、無事でいてっ!」


 祈るような気持ちを抱きながら、少しでも早く村へと辿り着くよう、走り続ける。


 そうして息を切らしながらなんとか戻ったキヨカが目にしたのは、変わり果てた村の姿だった。


 いくつかの建物は完全に崩れ落ち、崩壊を免れた建物にも大きな爪跡が刻まれていた。そして何よりも酷かったのが村の地面。あらゆる場所がまるで掘り起こされたかのように盛り上がっており、まともに歩くことすら難しい状態であった。


「そんな……村の畑が……」


 当然畑は壊滅。

 育成中の野菜たちは地面に投げ出されている。


「……っ!」


 少しの間だけ立ち尽くしていたキヨカだったが、意を決して歩きにくい村の中へ入り、まずは家族の無事を確認すべく家に帰ることにした。


「誰も居ないっ……お父さん……お母さんっ!」


 ところどころ血痕と思われるものを見かけるが、肝心の村人の姿が全く見えない。


 キヨカの不安が大きくなって行く。


 幸いにも、キヨカの家は村の外れの方にあったためか、被害からは逃れることが出来ていた。


「お父さん!お母さん!」


 勢い良く玄関を開けて中に飛び込む。居間やキッチンには人影が無い。普段なら外に仕事に行ってる時間だから、誰も居ないのかもしれない。そう思ったが両親の寝室の方に人の気配がした。


「……キヨカ……おかえりなさい」


 そこでキヨカが見たのは、全身を包帯で巻かれてベッドに横になる父親と、上半身を自分のベッドの上に乗せながら苦しそうに床に座り込む母親の姿だった。


「お母さんっ!」


 母親の元に駆け寄り、ベッドの上に横たわらせる。


「ありがとう。ちょっと魔法を使いすぎちゃって」

「使いすぎって……お父さんは!?村の人は!?何があっ……」


 苦しんでいる母親に詰め寄ろうとしたキヨカであったが、自分が焦っていることを自覚して冷静さを取り戻す。


 普通であれば、錯乱してもおかしくない状態。


 それなのに冷静になれたのは、キヨカがこれまで経験してきたとある体験が理由であった。


「ふぅ……うん、大丈夫。お母さん、私がやれることはある?」

「……ふふ、それでこそ私たちの娘だわ。そうね、お父さんはお母さんが手当てしたから大丈夫。だからキヨカは村のみんなを助けてあげて。強い邪獣がやってきて、色々大変だったのよ」

「うん、分かった。救急箱持っていくね」


 村の惨状と邪獣に襲われたという話を合わせれば、怪我人が多い可能性が高い。死人が出ている可能性もある。まずは何よりも怪我人の手当てが最優先だ。キヨカは応急処置の心得があるので、役立てる。


 家の救急箱を持ち、外に出る。


 両親のことは心配だ。

 でも、自分にはやるべきこともやれることもある。

 ならば迷わずに走り出すのはキヨカにとっては当然のこと。


 心の強さの持ち主。それこそが、キヨカがここにいる理由の一つなのである。


「怪我人多かったら、きっと一番大きな建物に避難させているはず。でもこの村で一番大きな建物は壊れてた」


 家に帰る途中、村の中心にある広場を通過したが、そこが一番被害が酷かった。傍にある村の中で一番大きな建物である公民館も崩壊していた。


「次に大きいのは……宿屋。ケスリーさんのところだ!」


 宿屋は村の入り口付近にあり、まだキヨカが確認していない場所だった。そこが無事ならば怪我人も村民も避難している可能性が高い。


 キヨカの考え通り、村人達はみな宿屋に避難していた。

 村の入り口付近は被害が少なく、宿屋も無事であった。

 宿屋の周りでは傷だらけの沢山の人が座り込んでいた。


「キヨちゃんじゃない」

「おお、無事だったか。良かった」

「うんうん、不幸中の幸いだね」


 自分が傷ついているにも関わらずキヨカの身を案じてくれている村の人のことがキヨカは大好きだった。だからこそ、そんな大切な村の人が傷ついている姿を見るのは堪らなく辛かった。


「私も手当に協力します」

「じゃあケスリーさんのところに言ってちょうだい。重傷者は宿の中に居るのよ。無事な人が少なくて、手いっぱいだったから助かるわ」


 キヨカは野戦病棟に足を踏み入れた。


――――――――


「お疲れ様。助かったわ」

「いえ、このくらい平気です。みなさんの苦労に比べたら……」


 手当てが一通り終わり、ケスリーさんと一緒に宿屋の外で休憩する。椅子なんか無いので地べたに直接だ。


「何言ってるのよ。感謝してもし足りないくらいだわ」

「…………亡くなった方がいなくて良かったです」

「本当ね」


 幸いにも死者は出なかったが重症者は多い。

 だがそれも回復魔法を使えば大丈夫。


「それにしても、先生が往診に出ているタイミングで来るなんて、間が悪過ぎよ」


 先生、とは回復魔法が使える医者のこと。スール村に居を構えているけれども、月に何回か周囲の町や村へ巡回している。丁度今朝、巡回に出たばかりで、後三日は戻って来ない。


「そのことで、キヨカちゃんにお願いがあるんじゃ」

「村長!」

「寝てなきゃダメですよ!」

「はっはっは、動くくらいなら大丈夫じゃよ。ほら、怪我した右腕だってこのとおっっ!」


 調子に乗って包帯でグルグル巻きの右腕を動かそうとして呻いているのはスール村の村長。六十を超えた白髪のおじいちゃんであるが、村を守るために果敢にも邪獣に挑み大怪我を負った。両足も負傷しており、唯一無事な左手で杖をつきながら宿の外まで出て来たのだ。本来であれば絶対安静、動かすなんてとんでもない。


「ほらぁ、ベッドに戻りましょ」


 仕方ない人だなぁと思い手を差し伸べるキヨカだったが……


「いや、その前に話を聞いとくれ。急ぎなんじゃ。キヨカちゃん」

「急ぎのお願い、ですか?」

「ああ、キヨカちゃんには先生を呼び戻してもらいたいんじゃ」


 村人を一刻でも早く回復させるために、巡回に出た先生に村の危機を伝えて欲しい。それが村長のお願いであった。


「でも私、魔動車を運転できませんよ?」


 この世界では魔力を使った技術が発達している。魔動車もその一つで、魔力で動かすことの出来る自動車だ。魔力そのものは魔道車の中に溜め込まれているため、魔法が使えない人でも動かすことが出来るが、キヨカはそもそも免許を持っておらず動かし方が分からない。


「いや、予備の魔動車も壊れてしまったんじゃよ」


 魔動車は高級品。一家に一台というわけには行かない。スール村には二台の魔動車が共有財産として置かれており、そのうちの一台に先生が乗って出発し、何かあった時はもう一台で先生のところに向かうはずが、それを壊されてしまったのだ。


「それじゃあどうやって?まさか歩いて?」

「申し訳ないが、歩いてもらえないかのぅ。追いつくことは難しいかもしれんが、道なりに進めば折り返してきた先生に出会えるかもしれん。少しでも早く戻って来てもらいたいのじゃよ」

「……気持ちは分かりますが。その間この村は大丈夫でしょうか?」


 無事な人がほとんどいないのに、元気な自分が村を離れるわけには行かないのではないか。先生が戻るまでの手当て、村の復興、炊き出しなど、やらなければならないことは山ほどある。


「大丈夫じゃよ。ボロボロとはいえ、スール村の住人はこの程度じゃあびくともせんわっっ」

「村長!」


 調子に乗ってまた右腕を動かそうとして顔をしかめる村長を見ながら、このお願いを受けるかどうか迷うキヨカ。


「(先生を早く呼び戻すのが最優先なのは良く分かる。分かるけど……)」


 ふざけて痛がる村長の様子に、どことなく違和感がある。普段の村長の姿との比較では無く、これまで苦しみに喘ぐ人々の悲痛な決意のような何かを。


「この村を襲った邪獣はどうなりました?」

「それなら安心して良いぞ。ボコボコにやられたが、こっちもボコボコにしてやったから逃げ去ったわい。はっはっはっっっ!」


 大笑いして脇腹の傷に響くという、わざとらしい表現をする村長を見て、キヨカは確信した。


 まだこの村の危機は去っていないのだと。


「村長、私はこの村に残ります」

「……っ!そ、そうか……な、ならせめて隣村まで行って助けを呼」

「村長、邪獣はどこにいるの?」

「……」


 明るく振舞っていた村長の顔に、初めて陰りが見えた。

 見えてしまった。

 村長はとても人が良い。良い意味でも誰かを騙す経験が無かったため、最後まで誤魔化しきることが出来なかったのだ。


「だ、だからどこかに去って行ったからだいじょう」

「無理ですよ、村長」


 焦りながらも、問題は無いと釈明しようとする村長だったが、遠くから歩いて来た男性がその言葉を止めた。


「お父さん、もう大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないな」

「んじゃさっさと用件言って帰って寝る!」

「ははは、手厳しい」


 無理してここに来たからには、やらなければならないことがある。キヨカは父親のことを信じていたので、心配だからと言って無下に追い返すことはしない。


「村長、私の娘なら大丈夫ですよ」

「だがっ……だがまだこんな若い娘がっ……この娘だけでもっ……」

「村長」

「……っ」


 決してきつい言葉では無かった。

 穏やかで優しさに満ち溢れた一言だった。

 でも村長は、覚悟の決まった父親の言葉を前に、口を開くことが出来なくなっていた。


「村長、心配してくれて、娘のことを想ってくれて、本当にありがとうございます。思えば私たちがこの村に来た時から、お世話になりっぱなしです。ですからここは私たちに任せてください。せめてもの恩返しをさせてください」

「……っ!だがっ……だがぁっ……!」


 腕が痛むのも忘れ、泣き崩れる村長。


「私は娘を信じています。村長もどうか、信じてやってくれませんか?」

「ぐぅっ……」


 それは、村長だけにかけた言葉では無い。

 宿の周りで休んでいる村人たち、開いた窓から話を聞いている怪我人たち。


 お世話になったこの村の人たち全員に伝えた言葉だった。


「お父さん。何があったのか、教えて?」


――――――――


 キヨカが主様に認められ、昼食を食べ終えた時刻。


 村を襲ったのは巨大なモグラの邪獣。


 どこからか現れた邪獣は村中を暴れ回り、多くの家屋を倒壊させ村人たちに攻撃を仕掛けて来た。辺境の村ではあるが、主様の修行などの影響で腕に覚えのある人が多いスール村。村人たち総出でモグラ邪獣に立ち向かい激戦を繰り広げた。


 鋼鉄のように硬い皮膚をボロボロにし、鋭い爪や牙を何本も折り砕いた。

 しかし剣は折れ、魔法も使い尽くし、次々と村人たちが倒れて行く。


 熾烈な争いの末にモグラ邪獣を撃退したが、村人たちはもう一撃たりとも繰り出せないほど疲弊し尽くしていた。


「後一撃、それさえ出来れば倒せたんだ」


 トドメの一撃を与えられなかった。

 それが、今村が直面している絶望の理由の原因。


「それで、邪獣はどこに行ったの?」


 村長に投げかけた質問を今度は父親に向かってする。


「邪気の森だ」

「うへぇ」


 邪気の森。


 いつからか世界中のあちこちで発生した邪気。これが満ちているところでは邪獣が生まれ、他の生物へと牙を向ける。邪獣が邪気の中から出て来ることは少ないが、ときおり出て来て被害を与えるため、放置しておくことは出来ない。


 スール村でも、主様の修行を終えた一人前の戦士が、村近くにある邪気の森へと侵入し、邪獣が村を襲わないように定期的に数減らしの狩りをしている。


 また、時々強すぎる凶悪な邪獣が生まれ、大きな人的被害を被ることがある。今回のモグラの邪獣もこのタイプ。丁寧に管理している邪気の森での発生ならば襲撃の前に誰かが気付くはず。どこかで生まれて偶然スール村までやってきたのだろう。


 キヨカは明日から邪気の森での狩りに参加して腕を磨こうと思っていたのだ。


「さて問題です。邪気の森で注意すべき点は?」

「邪獣が突然目の前に現れることがあるから油断しないこと」

「それと?」

「狩り尽くすことは出来ないから、回復手段が切れる前に必ず撤退すること」

「それと?」

「必ずトドメを指すこと」

「うん、よく勉強しているな」


 キヨカが父親から教わっていた邪獣対策のアレコレ。まだ森の中には入れないけれども、勉強だけはやっていたのだ。脳筋だけど頭が悪いわけでは無いので、ちゃんと覚えていた。


「それでは、何故トドメを指す必要があるか、分かるか?」

「ええと……ほおっておくと全快するんだよね。でもそれには時間がかかったはず。確か……」


 傷ついた邪獣。

 彼らは邪気の中で休むことで回復するため、逃げたら身を隠してしまう。

 そしてその回復タイミングは、人間が宿屋に泊まるのと同じ。


「日の出……そういうことね」


 モグラの邪獣は邪気の森に逃げた。

 このままでは明日の朝には全快してしまう。


 そうなったら当然、自分を痛めつけた人間たちに復讐するとなるだろう。

 村はボロボロのまま、戦える人は居ない。


 村の滅亡は時間の問題だった。


「これ、仮に私が逃げたところで追いつかれるよね」


 怒り狂った邪獣が、隣村に向かうキヨカを放置するとは思えない。村を全滅させてから、すぐに追ってくるはず。


「つまり、みんなが生き延びる方法はたった一つってことね」


 どういうわけか、邪獣は朝になるまでは例外を除いて一切回復しない。


 つまり、今もなお瀕死のまま邪気の森の中に隠れているということになる。


 邪獣が回復する前に、ラストアタックを決める。


 それが出来るのは、唯一元気なキヨカだけだった。

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