第5話 神様、生け贄

祈りが通じたのか。


「な……」


 およそこの世界において、聖職者たちが会遇を果たせるのなら命さえ惜しくないと思える存在。


『フィリーアだよ。何、その納得いってない顔」


 理解が追いつかない。周りの光景、炎さえ動きを止めて。


「時を、止めたのですか?」


『そうだよ。ったく、頭悪いなあ」


 まるで酒場の女郎のような口汚さ。まとう神々しさと相反した雰囲気に少し冷静になる。


「これは、失礼を」


『そういう堅苦しいの、いいから』


 うんざりといった表情。


『で、何捧げてくれんの?』


 奉るより、大きな魔法威力を欲するならば必要な捧げ物。およそ成される事は無く、無為に終わるはず。女神が現れたこの状況は奇跡に等しい。


 神に祈りを届ける奇跡には当然代償が要る。興味なさげに、自らの爪をいじりながら女神は問う。


「わ、私の命を」


 自らの命を、捧げる。


『いらないよ』


「え?」


 即答。女神の機嫌が、あからさまに悪くなる。


『いらない、つか足りないんだよ。思いも、力も何もかも』


「ですが、私に捧げるものは他には……」


『嫁と娘がいんじゃん』


「は?」


 あまりの衝撃に、思考が止まる。

 自らの神が、平然と犠牲を迫るその姿に。


『チッ。じゃあ、こうしてやるよ』


 女神が宙に手をかざすと空間が裂け、人が現れる。


「あなた……」


「お父さん!」


 妻と娘。制止した時の中に、加えられる。


『さぁ、神父様。お前の嫁か娘。どっちか、捧げろ』


「な、何故この身ではダメなのでしょうか?!」


 縋る。妻か娘の命を犠牲にできるものか。


『あぁ、憐れで無知な神父様。教えてアゲる』


 手を広げ、大仰に。気取った態度に、嗜虐しぎゃく的な笑みを貼り付けて。


『あなたは、妻と娘さえ助かれば良いと思ってる。村を焼いた連中も、殺され続けてる同胞達もどうでも良いと』


 この世界における魔法。力の源点とは、


『てめえには、が足りないんだよ、偽善者』


 見下したように、女神は言い放つ。


『でも私は優しいからな。そんなお前も愛してやるよ。さぁ、選べ』


 妻と娘の首をそれぞれ掴む。


『娘の方か? また作ればいいもんなァ。ははははははは!」


 娘の頭を掴んで乱暴に振り回す。


「ゥウ」


「やめてぇ!」


 娘を守ろうと妻が必死に抵抗する。


「やめろ、やめてくれ!」


 神に対して不遜だろう。


『あははははははははは!!!』 


 顔を歪ませ、表情は邪悪そのもの。

 だが、この少女が紛れもないこの世界の神なのだ。


「あなた。私でいいから、お願い!」


「そんな……!」


『ホラホラ、選べよ。神父様よォ。それとも、嫁の方殺すか、あァ?』


 妻の首が、女神によって締められる。その細腕は、大人一人を軽く持ち上げた。


「う……っう」


『あ、詠唱を撤回してみろ。どっちも殺すからな』


 妻が宙づりになる。


「おかあさん! おかあさん!」


 娘の悲痛な声。


「やめろおォォォ!!」


「やめてよ! イジワルしないでよ!」


 女神にすがりつき、娘が力なき腕で女神を叩く。

 虫でも払うように、女神の手が……


 もしも、身に余る力を望むなら。

 神に愛されてしまったら。


「分かった……」


『お、決めたか?』


 目が合った妻は、苦しそうに。でも、こちらへ精一杯微笑んでいた。


「ナタレア、すまない……」


「やめてよ! おかあさん、おかあさん!」


 尚も呼びかけ続けるミアの声。


「ミア、あなた。愛してる」


 一筋、ナタレアの頬に涙。食いしばった奥歯が、割れる音がする。


『はははは! 良いだろう、神父。君に力を与えよう! さぁ、祈れ!!』


 憎むべきは、世界か。神か。

 

「創造神に、愛しき妻を捧げる」


 本来、奇跡とは正の感情が司る魔術。


「我は愛しき娘を守らん」


 なのに神父がまとうは黒いもや


「ここに葬列を」


 ガラスが割れるような音がして、止まった時が動き出す。

 愛しい妻は、光の泡となって消えていった。


「ン?」


 ノルン達、盗賊団も動き出す。


「「は?」」


 同時に、動いてはいけない者達が動き出す。

 首の無い子供。角を断ち切られた女性。内臓がこぼれ落ちた自警団の男。焼け死んだはずの村長。


「嘘だろォ」


 死体達が動き出す。


 生きている同胞を守る為。犠牲となった女性をいたむ為。幼き娘を守る為。ただひたすらに、殺戮を始めた。


「うわぁぁああああ!!」


 盗賊団の連中が、無造作に、無慈悲に、魔法も用いられずに。潰され、引き裂かれ、食らい付かれて殺される。


「チィ……!」


 ノルンが呪術刻印を発動し、蘇った死体達を焼く。


「愛しき妻に奉る。我は怨敵を滅さん。ここに悪魔を」


 呟くような詠唱。神父は腕に湧いた黒い靄を飲み込む。


「馬鹿が」


 見下すように、ノルンは手を神父へとかざす。


「は?」


 呪術師ノルンが最後に見たのは、首の無い刺青だらけの自分の身体。首を持っていたのは、二本角の化け物。首は小石のように投げられた。


 黒い靄が、風に流されるようにして晴れる。血の涙を流した神父の姿。項垂れる娘を抱きかかえる。


『やったね、パパ』


 邪悪な笑み。灰色だった娘の瞳は、あの女神と同じく蒼くなって。


「あ……あァあァァァァァァァアアアア!!!!」


 その日、一人の神父が奇跡を起こした。


 世界の創造神を、娘を依り代に顕界げんかいさせた。されどそれは望んだものでは無く、一人の化け物を生むことになる。


 後の聖典で『魔王』と語られる存在は。

 曰く、神に愛された愚かな父であったという。

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