未来のおうち時間

黒木耀介

青年の朝の出来事

 簡単に言えば、地球の空気もよくなって、いろんな出来事が忘れられてしまいそうな時代が訪れた。


 画面に表示された「小説世界、ついにダイブ可能に!」、「シニア世代のスマホ普及率が99%」という題に呆れてため息をつく。



 青年、黄泉柿よみかき読太よみたはスマホのニュースサイトを見ながら歯を磨いていた。



「歯ブラシはいいね。アナログで」


 歯ブラシもデジタルになってしまったら、また一つ心の安寧がなくなってしまう。

 こうして水を流して歯ブラシを洗い、水を切ってコップに差す。


 すると顔面保湿乾燥機が作動し、顔を湿らせたあとほんのり暖かい風を吹かせて水滴を払う。



 気持ちはいいが、やはりどこか物寂しく感じる。手を動かさず、人体センサーや声ですべて動くのは便利に違いないのだが、時折手持ちぶさたであることに飽きという感情が降ってくる。


 今何時だろうと頭に浮かべれば、目の前にデジタル時計がポップアップし、年、月日、今日の気温さえも事細かに教えてくれる。




「さて、そろそろ仕事の時間だ」


 8時ちょうどになり、デジタル時計が瞬時に消える。

 ぼさぼさの頭のまま自室に向かっていった。



 部屋は1DKで一部屋7畳あるそこそこの広さに、懐かしみと開放感を覚えるカウンターキッチンがついている。

 ダイニングルームの窓から差し込む光が、いつもより眩しく見えて余計に目が覚めそうであった。



 仕事場所はダイニングルームの隅に置かれた椅子一つ。

 小柄の大人ほどある重量だが、人体工学に基づき使用者の体格、体調を感知して自動的に使い心地のよい姿勢にしてくれる機能が付いている。


 椅子に座って、ふともう一度窓の外を見る。

 目が慣れたのかはっきりと景色が映る。



 ビルが並び、小さな建物たちが影になっている。

 その通りを背広の着たサラリーマンがまさに出社しようと歩いていく。

 口元には昔の名残で白いマスクをつけ、うっとうしそうにしばしば鼻下にずらしていた。



「おっと、いけないいけない……」

 手を横に広げて白い画面を映し出す。いつものように声を出して語り始める。


「冒頭は──」

 その時、目の前にあった白い画面が消えてなくなった。

 すぐさま気が付いたが、ああ、と言葉を漏らしていた。



 椅子に登って天井についた投影機を見てみると、電源センサーは赤く点滅していた。

 赤く点滅しているときは、5秒ほど手をかざして緊急停止をする必要があり、中のデータ容量を減らさなければならない。



 電源を落として投影機の蓋を開けると読太はなにかに気が付く。


「うわ、このタイプだったっけ」

 投影機の中には今の時代では珍しいメモリーカードが入っている。

 引き抜いて椅子を降りるとパソコンの置いてある自室へと向かった。



「さすがにお店開いてないだろうし、一旦データ移してもう一回これを使うか……」



 パソコンの前に立つと自動で電源が入る。

 旧タイプメモリーカード対応の差込口に入れて声をかける。


「データを移して」


 だがパソコンはうんともすんとも言わず、ただメモリーカードのデータが入ったフォルダだけ開き始めた。


「ん? え、これも手動でやるの!?」

 目を丸くして思わず叫んでしまった読太は、急いで引き出しを開けてマウスを取り出した。

 少々埃をかぶっているのに気付き、表面をはたいて机に置く。



 しかし動かしてもカーソルが出る様子がない。裏をみると赤外線のライトが点灯しているので問題はなさそうに見える。


「もしかして、ワイヤレスのUSBタイプ……」


 マウスの裏についた蓋を外してみる。普段なら入っているはずのワイヤレスUSBアダプタがどこにも入っていない。



 もう一度引き出しの奥を見てみるが中にはなさそうである。指でつまめるほどのサイズのため、あっても埋もれてしまって気づかないかもしれない。


「よく考えろ。確か……前の使ってたパソコンがどこかにあるはず」



 クローゼットの前に立つと、自動で戸がスライドしていく。

 服をかき分けた中に、ケースに入ったノートパソコンが一台あった。


「絶対これでしょ……!」

 ジッパーを開けてノートパソコンの側面についたUSBを見つける。

 引き抜いたその足でもう一つのパソコンに差し込み、マウスを動かすとカーソルが出現した。


「お、おお!」

 移動した通りにカーソルが動いたのを見て、久しぶりなせいか少々感動してしまった。


 フォルダに入ったデータを別のフォルダにコピーし、データをすべて破棄する。

 メモリーカードを安全に取り外せる状態にしてそっと引き抜く。



「はぁ……やっと出来た。なんか朝から慌ただしかったな」


 へとへとになりながらダイニングルームに戻り、もう一度椅子の上に乗りながらメモリーカードを投影機に差しこんだ。


 再び白い画面が椅子の前に映し出されるのを見てほっと胸をなでおろす。



「よかった、ようやく小説がかけるよ」

 ゆっくり椅子に腰かけ、もう一度語り始める。




「えーっと、そうだ。冒頭は、『未来は面倒くさいけど明るい』だ」


 たまにはアナログで作業してみようかなと思う読太であった。

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未来のおうち時間 黒木耀介 @koriy_make

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