ヨガとアイマスク

猿川西瓜

お題 おうち時間

緊急速報「エリアメール」

大阪市内の皆様。

こちらは大阪市です。

発令内容:本日3月8日中の外出は認められません。大阪市内全域に外出禁止要請が発令されております。

行動要請:窓を閉めて、ドアには鍵をかけてください。カーテンは締めてください。できるだけ窓の外を眺めないようにお願いいたします。生活の維持に必要なものの買い出し等は必ずお控えください。

皆様のご協力をお願いいたします。



 携帯のアラームと共に、緊急事態のエリアメールが送られてくる。一瞬地震かと思ってビクッと身体が動いた。

 ヒーターの前で毛布をかぶって、マンションで一人暮らしをしている私は、ひたすらスマホをいじりながら一日過ごすことにした。今日は外出禁止の日らしい。まあ従うしかないでしょ。せっかくの土曜日の休みだというのに。大阪市だけでなく、日本中がそうだ。世界中もそうなのかもしれない。そこまではテレビでもやってない。

 あーあ。しばらくぼんやりと過ごす。SNSをチェックしてみても、みんなちゃんと外に出ないで過ごしているみたいだ。政府に説明を求めるハッシュタグの運動が始まっていた。窓の近くに立つことすら控えること。ホントなのかデマなのかわからない情報が流れていた。外を見ていると目がやられるとか。何かが始まりそうで、外に耳を澄ますけれども、雀とカラスの声しか聴こえなかった。

 やることもないので、掃除を始める。イスの脚の裏にこびりついた埃をとる。床に掃除機をかけてから、クイックルワイパーで仕上げる。洗濯は乾燥モードを長めにかけて、一日かけて乾かす。ついでに洗濯機のまわりを雑巾で拭く。洗面台の排水溝に塩素を投入。お風呂掃除も始めることにする。隅のほうに赤いカビと滑りをこすって取る。トイレの手洗いするタンクのフタにたまった埃も拭きとる。トイレポットがパンパンになっていたのでビニールを取り換える。

 明日の朝のごみ出し、2往復しなきゃ。玄関にゴミ袋が積み重なる。ドアも開けちゃだめなので、入口が狭くなった。まだお昼か……。

 冷蔵庫にあったもので適当にスープを作って、パンと一緒に食べる。携帯を見ると、ハッシュタグが規制されていて、さらにSNSの抗議は過熱していた。あまりに時間を持て余すので、パソコンやスマホの写真の整理をする。元カレとの写真があったので消していく。さよなら。



緊急速報「エリアメール」。不穏な音。読み上げる。

本日の外出は認められません。決して外には出ずに、室内で有意義な時間をお過ごしください。また、窓と玄関のカギは必ず締めてください。SNS等にデマが流れています。落ち着いて家族の方と話し合ってください。一人で外を歩いている映像などに惑わされないよう、お願いします。皆様一人ひとりのご協力をお願いします。



 一人暮らしの私には関係ない事柄があった。朝だけでも十分わかっているのに、昼も緊急事態のメールが流れてきた。気を取り直して、写真の整理の続きをやる。憶えのないディナーや割と高いランチの写真も、なんだか色あせて不要に思えた。誰かと一緒に行った近江八幡の写真はとにかく量が多かった。ぐんぐんフォルダが軽くなる。気がつくと、ほとんど写真データがなくなっていた。午後3時くらいになって、ちょっとだけ眠たくなってきた。

 

 ツイッターで、裏アカの整理も始めた。病んだツイートばかりで一年間放置されているので、消した。あの頃の私は本当にダメだった。緊急事態速報、来る。すぐ消す。消す速さは、毎朝の目覚ましアラームを消す動きと似ていた。昨日まで何もなかったのに、あのアラームが今は恋しい、気がする。

 自分のアカウントがだんだん減っていく。いくつ作っていたんだ私は。愚痴アカ、結構良いランチとかショッピングした時とかのキラキラアカ、その女子会の悪口を言うための病みアカ。闇のアカ。痛いアカ。消えていくと割とすっきりする。この際だし、SNS断ちしてみようかなと思う。ツイッターをアンインストールすると、政府への抗議や重苦しい文章を読まなくて済んだ。インスタを開くと、高校の頃好きだった歌手に子どもができていて、一緒にケーキを食べて家でちゃんと過ごしている写真が数分前にあがっていた。緊急事態エリアメール来る、消す。


 インスタをぼーっと長め、機械的に「いいね」をしながら更新すると、高校の頃に追っかけていたバンドの男が、政府への抗議運動を行っていた。たくさんの「いいね」がついていた。男には息子が二人いて、顔はスタンプで隠されていた。「自由を!」といって、完全にちゃんと窓を閉めている。外に出ている写真は一つもなかった。インスタを閉じる。パソコンを開いて、デスクトップの散らばったデータをゴミ箱に入れていく。夕方5時近くになってお腹が空いてくる。コンビニの店員は、コンビニの中に自動ドアも閉じたまま籠っているのだろうか。ウーバーイーツの人、ごみ処理の人、掃除のおじさん、おばさん。工事現場の人、トラック運転手、クロネコヤマトの人。みんな外に出ているんだろうか。窓にそっと近づく。ヒーターの音よりも、外は静かで、鳥の声がやたらした。鳩でもなければ雀でもない。


 ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……ギョギョギョギョ……。


 なにこれ? リビングの真ん中で声が出た。

 昔、カラスが雀を食べていて、ぐちゃっとなった鳥が上から落ちてきて、姪っ子と驚いたことがあった。そのとき、カラスの声じゃなくて、雀たちの叫びのほうが大きかった。仲間が食い殺されたことをこれでもかと伝えあっていた。ギョギョと鳴く鳥は何を叫んでいるのだろう。そもそも鳥なのだろうか。結構、野太い感じもする。


 ギョギョ、家の中でも聞こえる。唐突に、今まで以上に激しくスマホが震える。私は手がいつの間にか震えていた。スマホを持っていない方の手が震えていた。緊急事態速報だった。


 SNSでツイッターをダウンロードしようとするが、重くてなかなか終わらない。インストールが終わってアプリを立ち上げても、画面がうまく開かない。回線が障害を起こしているみたいだった。緊急事態のエリアメールが次もきちんと来るのだろうか。

 午後6時になる。日は落ちて、外は重く青みを帯びてくる。冷凍庫からうどんを取り出して、お湯を沸かして、長ネギとおあげを切って、鶏肉と一緒に煮る。そこにうどんを入れて、器に盛って、七味をかけて食べ終わって落ち着くと七時だった。つけっぱなしだったテレビは、すべてのチャンネルが緊急事態の協力の呼びかけと、解説がロボットのように喋り続けている。これってずっと同じ映像がリピートされているだけなんじゃないかな。「同じ映像がリピートされているだけなんじゃないかな」と同じ言葉を何度もつぶやく。ラインは全然つながらない。ラインも落ちているんだ。どうりで誰からも通知がこないはずだ。広告もこない。ついでにラインのメンバーの整理をする。どうでもいい男や、あんまり良い印象じゃない女友達を消していく。通話履歴も消えた。割と消えてしまって、亡くなった友だちや肉親のラインアイコンだけが残った。

 夜9時、もう全部の整理が終わった。本棚も整理した。古本で捨てるものが玄関に山ほど積みあがった。それから、ずっとサボっていたレシートの入力を家計簿アプリにぜんぶ入力し終わると11時。お風呂に入る。風呂の中で、膝を抱えてくつろぐ。小さく、ほんとうに小さく、それでいて、お風呂だからこそ反響して、何重にもギョギョギョ……と音が聴こえた。バスタオルも羽織らずにリビングに出ると、外で何かが鳴いている。窓を開ける音がたくさん聞こえてくる。がー、ばたん。ばたん。上の階もそうかもしれない。緊急事態の通知が来る。



緊急速報「エリアメール」

大阪市内の皆様。

こちらは大阪市です。

発令内容:本日、大阪市内全域に外出禁止要請が発令されております。3月8日中、市民の皆様の外出は認められません。

行動要請:窓を閉めて、鍵をかけてください。ドアにも鍵をかけてください。ドアスコープから外を見ることもご遠慮ください。カーテンも締めてください。できるだけ窓の外を眺めないようにお願いいたします。生活の維持に必要なものの買い出し等は今日一日は必ずお控えください。

「お家で過ごそう」皆様のご協力をお願いいたします。



 毎回エリアメールの文章が少しずつ違う。大阪市の人はまだ市役所の中だろうか。ツイッターを再び開こうとする。メンテナンス中を知らせる、よくわからない英文が並ぶ。布団にもぐりこむ。

 他の階の人が、窓を開けた音のあと、閉めた音が聞こえたかどうか、思い出そうとする。開けた人はいったいどうなったのだろう。せめて向かいのマンションの様子だけでも覗いてみようか。誰かの明かりを見たかった。誰かがそこにいる標となるような光が欲しかった。向かいのマンションにも同じように家に籠っている人がいるのだとわかるものが欲しかった。真っ暗なリビングをそっと進む。壁時計をちらりと横目で見る。深夜12時を過ぎる手前だ。寝室からエリアメールの通知音が鳴り響いた。それから、激しくバタン!バタン!とドアや窓を開け閉めする音が、上下の階や正面から聞こえる。そんなに強くして、ガラスが割れないだろうか。閉じ切ったカーテンが、風もないのに揺れている気がした。手が震える。単純に寒いんだ。風邪をひかないように、外を見るのをやめて、布団に戻る。開け閉めの音は死んだように止んでいた。エリアメールの文面は読まずに消した。


 思い出した。

 私は寝る前にヨガをする。

 アイマスクの場所はいつも忘れる。

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