第24話 無慚の故郷

 なに、と無慚がたじろいだ。

 その隙をつき、徳兵衛が無慚の首を掴む。

 泰吉があわてて男に掴みかかるも、小柄な泰吉は簡単に転がされてしまった。突如はじまった乱闘により遠巻きにいた三人も駆け寄る。が、もともと大きな体躯の三郎治にはかなわず、岡部と惣兵衛も尻餅をつく。

「このうっ」

 こいとが腕を振り上げる。

 瞬間、男は無慚を突き飛ばして、こいとを羽交い締めた。右手にはいつの間にか短刀が握られ、こいとの白く滑らかな肌にひやりと切っ先が添えられる。

 ヒッ、とこいとが息を呑む。

 突き飛ばされて床に転がった無慚は、ゆっくりと立ち上がった。

「むちゃくちゃしてくれるじゃねえか──てめえ」

「のう、無慚とやら。気付いとるのだろう。おのが為に娘たちがころされたことも、すべては十年前のあの日に起因しておったことも。三郎治に狐が憑いたというのなら、それはたがためにつけられたもの」

「…………」

 無慚はなにも言わず、徳兵衛を睨み付ける。

 しかし徳兵衛は虚空を見つめてうっそりと微笑み、刀の柄を握る手に力を込めた。

「わしが狐ならばきさんも狐じゃ。この娘はきさんの業によりて、いのちを落とす」

「おれの業はおれのものだッ、娘に背負わせる筋はねえ!」

「なれど仕方なし。三郎治がこれを望むのだから!」

「む、無慚さま──」

 こいとの瞳からぽろりと涙がこぼれた。

 いいか、と無慚が右手を横に突き出す。徳兵衛の眉が潜まる。しかしこちらは理解している。岡部がパッと立ち上がり、床にころがる錫杖を拾って無慚に投げた。

 錫杖を掴む。金属音が鳴る。

 徳兵衛がとっさに短刀を振りかざす。が、その腕は無慚が突き出した錫杖によってピタリと動きを止められた。


「おれの前で女をころそうとは、いい度胸してるじゃねえか。エッ?」


 と。

 言う間に、無慚は突きつけた錫杖で徳兵衛の顎を突き上げ、男が体勢を崩した隙にこいとをおのれの腕のなかへと引き寄せる。

 こいとはなにも言わずに、ただ無慚の胸に顔を埋めた。

「無慚──!」

「もういい。てめえも話になりゃしねえ。いつもの三郎治を呼んでくんな」

「この人殺しめがっ」

「てめえにゃ」無慚の錫杖が男の喉元を突いた。

「言われたかねえんだよ。このタコ!」

「────」

 徳兵衛は倒れた。

 そのまま気を失ったようで、ピクリとも動かない。これでは本来の三郎治すらもしばらく目を覚まさぬかもしれない。無慚はゆっくりと錫杖をおろし、胸のなかのこいとを見下ろした。

「オイ。いつまでそうしとるつもりだ」

「…………無慚さまのいけず。女がこんなんしよるのに、肩のひとつも抱いちゃくれへん」

「なァにが女か。てめえはガキだ、ガキ」

「さっき女って言うたもん!」

 うるせえな、と。

 むくれるこいとを手で押し退けたとき、本堂本尊の裏、暗がりからパチパチと拍手が響いた。一同がびくりと肩を揺らすなか、無慚はひとりおどけたように片眉をあげた。

「ずいぶん悠長な登場だな」

「いやなに。無慚様ならばなんとかなさると、信じておりました」

 世辞とともに現れたるは、忍び装束をまとった蕎麦屋主人である。彼は一連の騒動のあいだもずっと本尊の裏で息をひそめ、三郎治の動向をうかがっていたという。

 こいと様をつけたときからです、と主人はわらった。

「無慚様の見立てどおりでしたな」

「おい無慚、説明せえ。ここに来る前からのことすべて。おのれだけ知った顔はずるいぞ!」

 岡部の声が尖る。

 そーだそーだ、と便乗する泰吉の鼻が今日も今日とて垂れるので、無慚は分かったよ、と脱力した。


『──川向かいの廃寺、目標の娘と男ひとり有』


 猫の首に括られた紙にあった情報は、それのみ。あとは猫から直接聞いた。蕎麦屋の主人が猫に言伝てを託したのだという。

「この寺で、三郎治なる男が身をふるわせてこの無慚が来るのを待っておる、とな。まさかこのお転婆娘が自ら迎えに来るとはおもわなんだが」

「猫。たしかにこのこいと、たくさんの猫に連れられて走りました。無慚さまのとこ、連れてってくれたはるんやってすぐわかったから」

 というこいとに、

「それも蕎麦屋の仕業かえ」

 無慚が問う。

 蕎麦屋はうっそりと笑んだ。

「あのときの招き猫に、娘を導くよう頼んだのです。ことばを理解しておったとはおどろきでしたが」

「暗闇のなか、ホンマに怖かったけど──猫たちのおかげで無慚さまに会えました。ええと、どなたか存じませんけれどもおおきに」

「なんの。こいと様を守るは無慚様の言いつけで御座る。礼ならばやはり、無慚様へ」

「いい、いい。余計なことを言うな蕎麦屋。どうだ岡部。説明というてもこのくらいのこと、どうってことなかろうが」

「うむう」

 岡部は閉口する。

 ほんなら、と代わりに口をひらくは惣兵衛だった。

「下手人が三郎治っちゅうのは、無慚もそのときまで知らんやったんか」

「──この事件が、十年前のアレと関わりがあることを察した時点で、当時を知る人間の仕業であろうとはおもっていた。とはいえまさかお前らじゃあるめえ。ならば誰だろうと数人に当たりをしぼった。そのなかに、三郎治は入ってたよ」

「うーん? ワシにゃまだよう分からんぞ。なぜ三郎治は娘たちをころした?」

「それは──話の分かる三郎治の口から聞くのがいちばん早ェだろよ」

 無慚の視線が床で伸びた三郎治に移る。

 先ほど受けた錫杖の突きが効いているらしい。いまだ目を覚ますようすはない。もしかすると、彼のなかにて話し合いが長引いているのやもしれぬが。

 それで、と岡部が頭を抱える。

「この事件はいったいどう落とし前をつけよう。三郎治が犯人だとお上に告ぐるはすこし……躊躇いもある」

「なに、三郎治だなどと言わなければええ。娘ごろしを捕まえたと言うておけ。その首よこせと言うならば、この無慚が憤って川に捨てたとでも言えばよい。せいぜい川底浚ってみろってよ」

「こ、心得た──」

「とはいえ、今後のコイツをどうするかねェ」

 無慚はぽつりとこぼした。

 ふだん見せていた顔の三郎治は、だれからも好かれる好青年であった。凶暴性を持つふたつの顔が彼のなかからいなくなれば、あるいは村に残る選択肢もあろうものだが──いや、三郎治自身がおのれを許すまい。

 未来、三郎治がこの大坂の町にとどまることはないだろう。と、無慚はおもっている。

「徳兵衛の顔と子どもの顔をした狐、三郎治のなかから祓ってやることはできひんのか」

「祓う──もんでもねえだろよ。おそらくはすべてが三郎治だったのだろうから」

「…………」

「ちと、知恵を分けてもらおう」

 と。

 無慚は本堂から外に出た。

 昔々に慣れ親しんだ草木は、いまも無慚をよろこび迎え入れる。無慚にとってはこの町の人々よりもずっと居心地のよい相手である。

 一本の大木に手を添えた。

 ゆっくりと木の根元へ腰を下ろし、首をかしげる。その顔はすこし憂い気で、しかしとてもおだやかだった。

「草木も眠る丑三つ時──と言わはるけど、意外と起きとるもんなんやなぁ」

 ふとつぶやいた惣兵衛のことばに、こいとと泰吉はくすりとわらった。

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