第四章

第18話 雲水の善行

 十年前。

 無慚の心中未遂事件ののち、町のなかでも大きく三派に分かれたという。

 第一派は、無慚を徹底的に排除せんといきり立つ、正義感を盾に暴力をふるうことも厭わぬ連中。程度の大小はあれど、町人の多くがここに分類される。その筆頭が本間の主人や、先ほど無慚の胸ぐらを掴んだ彼らといえる。

 第二派は、心中未遂という事件の本質を嘆き、今後同様の事件が起きぬよう、我が子のほか若い衆に説いて聴かせる連中。無慚への雑言を吐くことのない少数派であり、三郎治の父親である治郎吉、ふなもここに入るだろう。

 第三派とは、無慚信奉者である。

 これはおもに若者に多く、熱情猛々しい行動に感銘を受け、いずれは自身も狂うほどの恋を熱望した連中であった。三郎治や弥市など、無慚の後輩に多く見られた。

 岡部、惣兵衛、泰吉はいずれにも該当しない。

 彼らは絶対的な味方となり、ただ只管ひたすら友の減刑に奔走した。

 とはいえ、と惣兵衛は社に寄りかかる。

「第一派いうても、ほとんどは陰口止まりの臆病者ばかりや。無慚がいっちゃん分かっとるやろうけど、自分を殴る蹴るで制裁食らわしたんは、あそこらへんくらいちゃうか」

「耳が聞こえへんくなるまで蹴りよってから──ホンマに、わしが倍にしてやり返したかったわい!」

 バチ、と泰吉が拳を打つ。

「そういやそこまでやったんは誰やったけ。無慚、覚えたはるか」

「覚えてねえよ。んなことまでいちいち」

「なんでやねん! わしやったら死の床に入っても一生忘れへんやろうがのう」

「ハッ。根深ェな」

「他人事みたく言いよって。しかしなにゆえそんなことを聞くんや。昔は、こちらから話そうにも自分が聞きとうないって突っぱねとったくせに」

「今回の無差別ころしと関係があるんか」

「これァ無差別なんかじゃねえ。……」

 無慚はぎろりと旧友をにらみつけた。

 いまだ推測の域は出ず。が、無慚のなかには確信めいたものがある。これまでにわらわらと集まった将棋の駒は、無慚の確信どおりに画を描きゆく。

 無差別とちゃうて、と惣兵衛が目を見開いた。

「分かったんか。ころしの犯人が」

「犯人は分からんが、一連の被害者がどういう選定をされておるのかは想像がついた」

「────」

「十年前のアレと、関係があると?」

 と。

 めずらしく泰吉が核心をつく。

 無慚はむっつりと押し黙った。なんでそうなる、という惣兵衛からの問いは無視して、ゆっくりと辺りに視線をめぐらせる。なぜか無慚は天満宮前で立ち話をしたまま、一向に中へ入ろうとしない。

 ふいに、無慚が首を右にかしげた。

 それを見て惣兵衛と泰吉は同時に閉口する。この動きをする際、無慚は往々にして草木の声を聞いている。そう時をかけず、

「ふむ」

 と顎をさすった。

 今度はなんや、と惣兵衛が問う。

 風の便りだ、と無慚はぼやいた。

「数ヵ月前、紀伊の村で助けてやった娘ッ子が、籍をいれるとよ。どうしてもこのおれに伝えておくれと風に乗せてきた」

「助けた──? 無慚自分ホンマに、村を出てから方々巡ってなにしとってん。そのツラで人助けか」

「そのツラってなぁ人聞きわりい。おれァ人命をひとつ天に還しちまった咎を背負っているんだぜ。人助けをして回ってるに決まっとろう」

「金か! 金やな」泰吉が飛びはねる。

「イヤだねえ、心がさもしい人間は──」無慚は呆れ顔をした。

「いくらもろたん」惣兵衛がじとりと見る。

 無慚は一瞬閉口し、

「五両」

 とわらった。

 再会してから初めて見る恍惚の笑みである。惣兵衛は「ごっ」と口ごもる。

「地主の娘だったからな。とれるとこからは搾取しねえと」

「やっぱり金やないか」

「いいんだよ。向こうもよろこんで払ってんだから」

 無慚は飄々と言いのけた。

 くわしく話を聞いてみると、どうやら本当に全国各地で人助けをおこなっているらしかった。紀伊の娘については用心棒として。坂東の武士団頭領には軍師として。はたまたここの隣村では医者として──。

 そこまで聞いた泰吉は眉を下げた。

「自分いつから医者の真似事までするようなったんや!」

「雲水ってのは元より、ありったけの知識を持っとるもんだ。加えておれは勤勉家なのでね」

 にやりとわらう。

 勤勉家は、嘘ではない。この男の座右の銘は元来『知は万代の宝』である。

 二年前、と無慚は頭をつるりと撫でた。

「和尚が死んだとき、おれがここに帰ェったろう。行きがかりに隣村を通ったところでとある病人に会ったのサ。奇病だった。そいつをおれが治してやった。……いや、治したと思うたが、それがどうやら再発したとかで──これもまた風の便りをもらったわけだが。ゆえに先日、ようすを見に行ってきたのよ」

「はあ。風の便りを言葉そのままに使いよる人間初めて見たわ、便利なヤツ」

「奇病ってなんや。どんなんや」

「──ありゃあまるで化け物憑きだ」

「化け物憑き?」

 聞き慣れぬ。泰吉が首をかしげた。

 無慚はたっぷり間を置いて、つぶやいた。


人面瘡じんめんそうというやつだよ」


 と。

 『人面瘡』──という名もそうそう聞き慣れぬ。無慚はゾッとした顔でつづけた。

「初めは膝の瘤だったそうだ。それがいつしか人の顔になり、饅頭を食い、酒を飲み、ものまで喋るようになった。そやつが空腹を訴えるとたちまち身体が痛み、気が狂う。次第に宿主の意識すら瘤が支配することも──そんな折、おれがたまたま村を訪ねたというわけだ」

「ひ、膝の瘤がものを喋るんか? こえェ!」

「なるほど。そらァある意味化け物憑きやな。ほんで無慚はそんなもん、どないして治したんや」

「草木の力を借りたよ。この奇妙なモノはどうすりゃ消えると聞いたら、ありったけの薬草を飲ませてみろと」

 するとどうしたことか、と無慚はククッと肩を揺らす。

「とある薬草だけ吐き出しやがった。なるほどこれはと思い立って、その薬草を煎じて大量に飲ませたわけだ。そうしたらえれェ叫び声をあげて消えていった。──」

「でもそれが、消えてへんかったちゅうことか」

「んン。また瘤が出てきよったと男が錯乱しとったんで、同じように飲ませてやったよ」

「なーんでィ。対処法がわかってンなら、自分でなんとかすらァ良かったやろが」

「あの薬草自体、そこいらで生えてるもんでもねえ。おれを呼んだ方がはえェと思ったんだろう。──」

 風に便りを乗せて、と。

 茶目っ気を含んだ無慚のことばに呼応するように、


「『無慚といふ男、人ならざるものの声聞くことあり』──見立て以上ですな」


 境内の奥からひとりの男があらわれた。

 男の様相に、惣兵衛と泰吉は怪訝な顔で互いを見やり、無慚は嘲笑混じりに口角をあげる。

 身にまとうは、いささか時代遅れの真っ黒な忍び装束と、顔面のほとんどを隠す口布。すっかり日も落ちた夜闇のなかでは、紛れて視認もむずかしい。闇のなかでぎらりと光る男の瞳だけが黒々と浮かんで、少々不気味にすらおもう。

 なんだよ、と無慚は可笑しそうにうつむいた。

「やっぱりただの蕎麦屋じゃなかったな」

「ははあ。あのとき、やはり正体を勘づかれておりましたか」

「ただの蕎麦屋は、あんなに眼光するどく坊主を見ねえもんだ」

「──左様か」

 男はクスクスわらって口布をとる。

 すっかり蚊帳の外に出された惣兵衛と泰吉。とはいえ下手に口を挟んで話をさえぎるわけにもゆかぬ、と惣兵衛の気遣い屋が発動する。が、気遣い屋とは正反対に属する泰吉は気にしない。

 なあ、と鼻をすすりながら無慚に寄った。

「だれやコイツ」

「心斎橋に蕎麦屋があろう。そこの若主人よ」

「蕎麦屋には見えへんど」

「まあどうやら、本職はちがったと見えるな」

 無慚の視線にうながされ、男はカクリと首を下げた。

「変わる時勢に乗り損ねた、しがない忍に御座る。筑前の隠れ里から遠路遙々──無慚様を訪ねにここまで参った」

「なに。おれを?」

「九州に一度、お立ち寄りなられたことがありましょう。その際のうわさを耳にしました。『無慚といふ男、人ならざるものの声聞くことあり。妙技を用いて善行を重ねたり』──と。お力をお借りしたく、無慚様の足跡を追ってこの地にたどり着きました」

「……おれに何を」

 妙な顔で問いかける。

 男は大儀そうに腰を下ろし、頭を垂れた。


「憑きは憑きでも、こちらは『狐憑き』──突然人格も、人相まで変わってしまう、奇病です」


 と。

 男のことばで、周囲の木々が一斉にざわついた。

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