第4話 闇夜のいざない

 さんざん酒やつまみをすすめられ、ようやく解放されたのは丑二つ刻。

 解放されたというよりは、つまみの具を切らした店の主人に叩き出されたという方が正しい。案の定、ぐでんぐでんに酔っ払った泰吉を近くの板葺き小屋へ放り込む。持ち主がだれかなど知るまい。が、泰吉は顔も広いから発見されても問題あるまい。

 無慚は月を見上げる。吐く息が白く濁る。

 いまから、自身が身を寄せる廃寺まで登るのも億劫だ──と思い直し、近くの旅籠へと足を向けた。


(あ?)

 気配がした。

 左の小道、藪のなか。ぐっと目をこらすと、ぼんやり光る黄色の双眸がある。

 闇に紛れて見えにくいが黒猫のようだ。錫杖を鳴らして近寄るも、猫が逃げる様子はない。

 むしろ無慚の目をまっすぐ見つめ返している。

「なんだ──なにか用かい」

 問うてみる。猫に話しかけるなど、端から見ればただの酔っぱらいだ。が、無慚の場合は冗談でもない。猫は尻尾をゆらりと立ち上げて反応した。

(おれの左耳に言ってみな、聞いてやらあ)

 心でつぶやく。

 無慚からすれば、影のない山川草木より人間味のある畜生のほうがすきだ。

 猫はにゃあと鳴き、無慚の足もとへすり寄ってきた。腰をかがめてその身を撫でてやろうとしたが、猫はすぐさま踵を返し、ふたたび藪のなかへ入ってゆく。

“こっち!”

 猫が振り向いた。

 ついてこいということか。無慚は酒でふらつく視界をなんとか絞って、黒猫のしなやかな体躯を一心に見据えた。不思議とその身体は、闇のなかでも鮮明に見えた。

 獣道、とはこのこと。

 妙にフワフワと現実味のない空気のなか、藪を掻き分け、かき分け──やけに長い道のりをたどった末、どういうわけか天満天神の裏に出た。

「天満──?」

“こっち!”

 黒猫がふたたび言った。

 なぜ身体が黒いんだ、闇夜に同化して見えねえじゃねえか──と悪態をつきながら、無慚がしぶしぶついてゆくと、突然手提げ提灯の灯りが視界に入り、持ち手の人影とぶつかった。

「いてっ」

「わっ」

 と、相手が尻餅をつく。

 同時に提灯の灯りが消えて、周囲はゾッとするほどの闇夜に包まれた。

 無慚は錫杖で身を支えたので無事だが、目の前に転がる人物は痛そうに呻き声を漏らす。

「なんだ──こんな夜更けに。大丈夫か」

 無慚が手を伸ばす。

 すると相手はハッと息を呑み、落とした手提げ提灯もそのままにあわてて来た道を駆けて行ってしまった。

 顔も、姿もなにも見えぬ。

 が、その声とぶつかったときのからだの柔らかさを思うと、おそらくは女だろうとも推測できた。

(こんな夜更けに女ひとり、天満宮に御用とは)

 無慚は天満宮を見上げる。

 時はまもなく丑三つ刻。まさか、五寸釘やろうそくを胸に忍ばせて、丑の刻参りでもやるつもりだったか──と邪推して苦笑した。

“むざん!”

 にゃあ、という鳴き声と同時に聞こえた声。

 黒猫はぐるると喉を鳴らして、

“ありがとー”

 と言うと、先ほどの人影が駆けていった方へ走って行ってしまった。

「……なんだってんだ、いったい」

 まったくひどい足労だ。

 ここから目的の旅籠まではずいぶん遠い。いっそ今宵はお宮で夜を明かそうか──とふたたび天満宮を見上げたときである。


「ヤイチか?」


 闇夜からまた、人の気配。

 無慚は足もとに転がった提灯を拾い上げる。

 火をつけた。

 ぼう、と浮かび上がる相手は、まだ若い青年である。無慚は口を歪めた。

「拙僧、ただの根無し草。──今宵このお宮にて一夜を明かそうという次第。貴殿は如何」

「あっ。失礼、人違いを…………あ、あァ」

 青年はパッと瞳を輝かせた。

「無慚の兄貴?」

「…………あ?」

 知り合いか。

 とはいえこの無慚、よほどの相手でない限りは顔も名もすぐに忘れるタチである。目の前の若造は見知っていたとしても十年は昔のこと。覚えているわけもない。

 しかし青年は、こちらの浮かない表情にも構わず、ぐっと顔を近付けてきた。

「俺です。貴方を兄のように慕うておりました、三郎治です」

「さぶろうじ──おまえが?」

 ついさっき聞いた名だ。

 そう、泰吉が言っていた。名を聞くまではまったく思い当たらなかったのに、不思議なものでそうと分かると面影がある気もする。

「ああ、そう。でかくなりやがったな」

「覚えててくれはったんや。うれしいです」

「ちょうどさっきおまえの話をしてた。こんな夜更けにこんなとこで何をしてやがる──あ。ははぁ、さてはさっきの女」

「え?」

「逢引か。小便垂れのあの小僧が、夜更けに女と逢うようになったとはな」

 おれも歳を食うわけだぜ、と網代笠を持ち上げて頭を撫でる。からかったつもりだが、三郎治はなんのことか分からぬようすで首をかしげた。

 邪魔したな、と無慚がさらにからかってみる。

「まだ追っかけたら間に合うかもしれんぜ」

「え? いや──俺は、野田村の仲間からここへ呼び出されて……肝試しするぞって」

「あーん?」

 どうやら無慚の見当違いらしい。凛々しい眉を寄せて思案する素振りを見せた三郎治だが、すぐに笑んで無慚の袖を掴んだ。

「どうやら仲間に嵌められたようです。それより、無慚さまに逢えたんは奇跡や。ぜひ、今宵は朝まで付き合うてもらえませぬか」

「わるいがおれぁこれから寝るんだよ。だからといって治郎吉ンとこは行きたかねえ。坊やはさっさと帰ェってねンねしな」

「でも──」

「なに、おれもおまえには聞きてえことがある。明日の正午にふなの店に来い、場所分かるな?」

「ええもちろん」

「そういうことだから、今宵はとっとと帰ェんな。おれはもう眠くてたまらねえ──」

 と、言ってさっさと天満宮の本殿前に身を横たえた。神社側からすればたまったものではないだろうが、この不遜な男には関係ない。

 三郎治はわずかに泣きそうな顔をしてから、すぐににっこりと笑んだ。

「ほな、また明日。約束ですよ!」

「わかってる」

 境内を出るその時まで、三郎治は名残惜しげにちらちらと本殿の方を振り返る。その視線がうっとうしくて、無慚はごろりと背を向けた。

 そのあとで、この闇夜に灯りもないまま送り出したことに気が付いた。これを渡してやればよかったな、と先ほど拾った手提げ提灯を手に取る。

「…………こりゃあ」

 提灯に描かれた『丸に本の字』の家紋。これには見覚えがあった。堂島新地近くに屋号を構える米問屋『本間米屋』の家紋である。ここにはたしか年頃のひとり娘がいたはずだ。

 三郎治との逢瀬ではなかったのなら、あの娘がこの場所にいた理由もまた謎である。

(ふなのとこへ行く前にでも立ち寄るか)

 とにかくねむい。

 無慚は深く考えることをやめ、提灯を脇に放ると、すこしも経たずにまどろんだ。

“無慚、ねえ無慚”

 どこかの何かが語りかけてくる。

 もう寝るんだよ、おれぁ──とつぶやき返すが、何かはお構いなしに無慚を呼びつづける。

“ねえったら、お話ししましょうよ”

「あァ?」

 ごろりと寝返りを打つ。

 指先がなにかに触れる。わずかに目を開けると、なんとも可憐な花が一輪、本殿の角に咲いている。声の主はこの花のようだった。

 ずいぶんと、と無慚が口を歪める。

「生きにくそうなとこに咲いたな」

“選んできたの。ここは風も弱いし、だれも踏んづけちゃこないもの。不躾に踏まれるの、きらいなのよね。だけど失敗だったわ”

「あーん? 何故」

“ここ、うるさいったらないんだもの。あなたからやめるよう言ってよ”

「うるさいって──なにが。天神さんに人が詣りにくるのは当たり前だろ、イヤならてめえが移りな。金さえくれりゃおれが土から掘り起こして植え替えてやらぁ」

“ちがうわよ。夜になるとたまにぎゃあぎゃあわめくの。猫も犬も人もみんなよ”

 花は、夜風に揺られながら語る。

 ゆったりした時のなか、無慚は左目を閉じて、右目だけで花をにらみつけた。

「……いまは静かだぜ。おかげでひとりでくっちゃべるおれが馬鹿みてえだ」

“ホントよ。お天道さまがのぼったら、お社のまわりをしらべてごらんなさいな。きっとあたしの言うこと分かるわ”

「…………」

 花は嘘をつかない。

 そう言うならそうなのだろう。いずれにしろ、明日の朝を迎えれば分かることだ。わかった調べてやるから、と無慚はぶっきらぼうに返した。

 もう寝るよ、と宣言すると、花はうたうようにつぶやいた。


“爪繰る数珠の百八に 半繰り念珠まで あとよっつ”


「…………」

 それからまもなく、花は沈黙した。

 指先で花びらをつつくも反応はない。眠ったのか、はたまた会話に飽きたか、どちらにしろ今宵はもう喋る気はないらしい。

 両腕を頭の下で枕にし、夜空にあがる朧月をぼんやり見つめる。

(半繰り念珠まであとよっつ──?)

 半繰り念珠とは、本来の数である百八玉の数珠から半分の数で結われた五十四玉の数珠のこと。この花はおそらくそれを言ったのだろうが、社のまわりに半繰り念珠が隠されているとでもいうのだろうか。

 さがしものとはいったいなんのことか──。

(しゃらくせー)

 草木の言など、考えても分かるまい。

 師走の冷たい風が身を撫でゆくなか、すっかり覚めた眠気を呼び戻すように、無慚はむりやり瞳を閉じた。

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