データと人

 こうしてボクシング部電脳空間で起きた事件は解決した。

 あとは捜査の依頼をしてきた丹下部長さんに事実を報告するのみだ。

 それで果たして矢石先輩と鉄剣先輩がどういう処分を受けるのかは私たちにはわからない。ふたりの処遇を決めるのは私たちでも電脳鑑識委員でもなく捜査を依頼してきたボクシング部の部員たちなのだから。


「いっぬば鑑識委員ー! 冤罪回避おっめでとー!」


 ウキウキとした足取りで近づいてくる青山さんに対して、犬刃鑑識委員は青筋を立てて顔を引きつらせている。

 矢石先輩の自白があったとは言え、青山さんの言うとおりもう少しで冤罪を生み出してしまうところだったのだ。反論のしようもないのだろう。


「テメェは……この野郎……!」

「え~? 何? 全然聞こえなーい。……いや、微かに聞こえるぞ? 『わんわん』って。これは負け犬の遠吠えかな――?」


 青山さんは実に楽しそうに煽り散らかしている。もう本当、その辺にしておいてあげてほしい。

 怒りにわなわなと拳を震わせていた犬刃鑑識委員だったが、やがて脱力したようにため息をつく。


「……何だってテメェはサウスポーだのカレンダーに書かれたイベントだのにこだわるんだ? これは電脳空間の捜査だろうが! だったら俺たちが見るべきは――」

「俺たちが見るべきはデータ?」


 先程とは打って変わって神妙な面持ちの青山さんに犬刃鑑識委員は言葉を詰まらせる。


「違うよ犬刃鑑識委員。私たちが見なければいけないのはデータじゃなくて人だ。もちろんデータは大事だけど、いつだって何かをやらかすのはデータじゃなくて人なんだから。それにたとえどんなに厳格なログ管理があっても、どれだけ人ならざる仮想世界の住人たちの知性が発達しようと、それでも人はシステムを欺けるんだよ」

「それがテメェの哲学か」

「哲学ってほど達者なもんじゃないよ。これ人の受け売りだしね」


 まるで何かを懐かしむかのように遠い目をする青山さんだったが、すぐさまその表情をいたずらっ子のような笑顔に変えると、犬刃鑑識委員の顔を見上げた。


「何にしてもご愁傷さまでした」


 犬刃鑑識委員は実に面白くなさそうに舌打ちすると踵を返す。


「この借りはいずれ返してやらァ。……おい、行くぞ七尾」


 言い残すと彼は七尾鑑識委員を引き連れて部屋から出て行った。ボクシング部の部室には私と青山さんのふたりだけになる。

 ――それからやや間を置いて、


「そうだ、七尾! テメェ、あの女にいいように使われやがって! 覚悟はできてんだろうなァ!」

「ごごごごごごごめんなさい!!」


 廊下の方からふたりの絶叫が聞こえてきて、徐々に遠のいていく。


「憐れ、七尾鑑識委員」


 フッと息を吐いて青山さんは胸の前で手を立てる。七尾鑑識委員に鉄剣先輩を連れてくるように言ったのは彼女のはずなのに。きっとこの人には慈悲の心がないのかもしれない。

 それにしても犬刃鑑識委員と七尾鑑識委員か――。

 犬刃鑑識委員の方は青山さんと相性悪そうだったけど、事件が起きればいずれまたどこかで会うこともあるだろう。無論、敵として。


「じゃあ、私たちも帰ろうか」


 そう言って青山さんが一歩前に踏み出そうとしたその瞬間、


「あら」


 突然、彼女はぺたんとその場に座り込んでしまう。


「どうしました?」

「んー……どうも少し疲れちゃったみたい」

「疲れちゃった?」


 私は先程の青山さんと矢石先輩のスパーリング (ほとんど青山さんがひとりで暴れていただけだが)を思い出す。

 もやしっ子の彼女があれだけ激しい動きをすれば、こうなるだろう。


「おぶりましょうか?」

「いいよ別に。ちょっと休憩すれば大丈夫」

「そんなこと言ったって、もうじきここ出ないといけないんじゃないですか?」


 窓の外はすっかり暗くなっている。

 多分あと少しでここも閉まってしまうだろう。


「大丈夫ですか? 立てないなら肩をお貸ししますが」

「今近寄らないで」


 青山さんは慌てて身をよじるようにして私から距離を取る。

 今?


「あのー……もしかして汗かいてるの気にしてます?」

「………………気にして

「どっちですか、それ」


 妙なところで乙女の恥じらいを発動するのは勘弁願いたい。不覚にも少し可愛いと思ってしまった。

 私はため息をついて青山さんに自分の背中を差し出す。


「ほら、おぶってあげますから。帰りましょう」


 背後で青山さんのためらう気配がしたが、しばらくして渋々といったように私の首に腕を回す。

 軽すぎる気さえする青山さんの体重が私の背中にのしかかる。それと同時にお菓子のような甘い香りも降ってきた。

 私はこの匂いが好きだ。

 時々喧嘩することもあって、嫌になることもある。でも最後は結局また好きになる。


「ほら、汗臭くなんかないですよ」

「汗臭いって言ったらその瞬間に頭引っぱ叩くから。この状態、生殺与奪の権利を握っているのは私だということを忘れないように」


「ふふふ」と笑いながら首に絡めた腕に力を込める青山さんだったが、


「そんなことしたらこのままの状態で後ろに倒れます」

「うわ生殺与奪の権利があったのはそっちだったか」


 そんな馬鹿話に興じながら私たちは建物の外へと出る。それと同時に、湿気の混じったむしっとした空気が私たちを出迎えた。

 外はとうに薄暗くなっており、人の姿も声もなかったが、遠くの方から微かに虫の鳴く声が聞こえてくる。

 季節ももうだいぶ夏らしくなってきた。少し早いかもしれないが、夕食は素麺なんていいかもしれない。

 そう今晩のメニューに思いを馳せていると、背後から青山さんの声がする。


「私は感謝してるよ、千鶴。私のような人間についてきてくれるのは、あなたくらいだから」


 耳元で突然そんなことをささやくものだから、びっくりして本当に後ろに転けそうになってしまった。

 何のつもりだろう。ひとまず4月1日はとうに過ぎていると記憶しているが。


「……あの、どうしたんですか、急に?」

「別に。ただ鉄剣と矢石を見てたら、周りに理解されないような人間についてきてくれる存在っていうのは貴重だって思っただけ」

「自覚があるなら治せばいいのに」

「治せるもんなら治してら」


 なんとも投げやりな言葉が返ってくる。

 これを機に己を省みるつもりなのかと思ったが、そんな予定もないらしい。ただ礼を言っただけか。


「……あまり私を振り回すのはやめてください。プリンならそのうち買ってきてあげますから」

「んー」


 了解したのか何なのかよくわからない曖昧な返事をした青山さんだったが、それからまたしばらくして思い出したように「あ」とつぶやく。


「こんな格好、犬刃鑑識委員に見られないようにしてよ? というか誰にも見られないようにしてね?」


 どうやらおぶられているこの状態を人に見られたくないらしい。

 矢石先輩との試合で散々情けないところを見られたような気もするが、それはいいのだろうか。

 そう疑問に思うと同時に、珍しく懇願するように言う青山さんに対して、少しだけ意地悪してみたい衝動に駆られる。


「見られた方が少しはその性格も丸くなるんじゃないですか? せっかくなんでみんなに見てもらいましょうか」

「余計ねじれるわ! あ、余計って言っちゃった!」


 叫んだ青山さんは隠れるようにして私の背中に顔を埋めるのだった。



---


1話2話ともにチュートリアル回 (世界観説明)という感じでしたが、思ったよりも長くなってしまった。

作中ではサイバースペースのお話になっていますが、ジャンルとしては剣や魔法の世界でミステリーやるファンタジーミステリーとして考えていただければ幸いです。


『手元にあるシステムログを見てこれで捜査終わり』みたいにはしたくなかったので、作品のように足で証拠を得る設定になっています。

今回はボクシング試合場が舞台でしたが、舞台設定に関してはあまり活かせなかったなという反省があります。いずれ作中にあったように宇宙とかもう少し特殊な舞台でかつそこに関係するような事件を起こせたらとは考えています。


古今東西様々な学園モノで出てくる○○委員ですが、鑑識委員というのは初出かもしれません。学校の治安維持をするのは大抵の場合が、風紀委員だからでしょうか。今回出てきた鑑識委員の風体は治安を維持する側というより乱す側ですが、多分色んな人がいるんじゃないかなと思います。


一応の区切りとして全4話を予定していて、お話自体は設定を調整しながら去年の夏くらいから並行して書いてるのですが、次話はまだ初稿すら上がってない状態なので完成がいつになるかわかりません。

年内にはすべて上げたいので、3話目は夏が本格的になるまでには何とかしたいのですが、ニーアレプリカントやりたいので、もう少しかかるかもしれません。

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逆行分析者 青山薫の事件簿 @madokaHD

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