そして僕はカレーをつくる

高野ザンク

ひとりぐらしのおうち時間

 よし、とりあえずカレーをつくろう。


 耕介は、スマホで見ていた「おうち時間の過ごし方」なるサイトを閉じて、そう呟いた。

 遅めに朝を迎え、ダラダラと過ごしてしまった午後1時。さて今日はこのあと何をしたものか、と時間の潰し方を検索していたのだった。

 テレワークの日が増えてから、家で過ごす時間が多くなった。検索してみてもなかなか自分に合ったものがなく、結局、自炊に使う時間が増えたように思う。

 カレーの具材は2日前に買っておいた。人参、玉ねぎ、じゃがいも、それから牛肉。ひとり者の耕介にとって、カレーは作ったら4〜5日は続くメニューだから、肉は贅沢にと決めている。

 食材の下準備をするために立ち上がると、大きなビニール袋に入れた洗濯物に目が止まった。今日は晴れてるから、洗濯してしまったほうがいいな。料理する気持ちが少し削がれてげんなりした。


 洗濯物の“上だけ”を洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を入れ、自動運転をかける。こんな用でも、日々のルーティンとなると結構な負担になる。

「恋人がほしいとここで思っちゃいけない」

 学生の頃、先輩がカラオケで歌った曲のフレーズが頭に浮かぶ。あとは頼むよ、と洗濯機にお願いして、小さなキッチンで調理を始めた。


 ここ半年で自炊がする機会が多くなり得意料理が増えた。とはいっても、カレー、グラタン、焼きそば、チャーハンなど、子供の頃に母親に作ってもらったレパートリーばかりが増える。耕介にとっての料理は、実家の味を再現することがひとつのゴールになっている。

 カレーはその中でも比較的実家の味に近くなってきた。飴色にまで炒めるのは面倒だからやらないが、みじん切りした玉ねぎを先に炒めておくのと、にんにくとコンソメを追加するのが隠し味だと気付いてから、ぐんと近づいたのだ。


 玉ねぎを炒めていると、LINEにメッセージが入る。相手は妹の佳奈だ。

「ごめん、今月のお小遣いまだもらってないんだけど…(´-ω-`) 」

 ああ、そういえば月末に振り込むはずの妹への仕送りをすっかり忘れていた。このところ曜日感覚はおろか、日付の感覚も少しずつ鈍感になってきている。いかんな。

「悪い、悪い、すっかり忘れてた。明日振り込むんで良い?」

 と返信すると、

「OK!」とパンダのゆるキャラのスタンプが送られてくる。

「いやー、不況でクビになっちゃったかと思ったよ;( ;´꒳`;):

 催促してゴメンね。でも超助かってます!申し訳ない!!!」

 気遣いながらも主張をする佳奈の様子が浮かんできて、思わず笑みが溢れる。

 耕介はスピーカー通話のボタンを押した。


「はーい!なーにー?」

「なーにー?じゃないよ、ただ妹の声が聞きたかっただけ」

「えー?なにそれシスコン?マジウケるんですけど」

 佳奈がふざけて気持ち悪がる。

「お小遣いくれる人に対して、その態度はないんじゃないの?」

 耕介も強気に主張してみる。

「申し訳ない、って言葉をちゃんと肉声で聞いてみたくてさ」

「ふぇー、根性悪いね、兄貴。都会に投げ出されて、一人慎ましやかに生きているかよわい妹に、わざわざ猫撫で声でおねだりしろってわけ?」

 佳奈は、有名雑貨店に就職が決まって東京に出てきたものの、不況によって内定取り消しになり、今は知り合いのツテでアルバイトをして日銭を稼いでいる。「このところ、シフトに入れるときが少なくなってきたんよ」と先日も愚痴っていた。

「まあ、ホントに感謝はしてる。兄貴も大変だろうけどさ……」

 佳奈の声がシュンとなった。きっと顔までシュンとしているんだろう。こういうわかりやすさを妹としても異性としても可愛いと思う。

「大丈夫、俺も今のとこは大丈夫だから。社会人としちゃ先輩だからな、安心しろ」兄ぶってそう言うと、

「へーい」

 と、子分のような返事が返ってくる。

 そこで、ちょうど玉ねぎが良い感じに炒められたので、残りの具材を一気に入れる、鍋底から油と食材の跳ねる音がボリュームをあげた。

「え、なに?なんか作ってんの?」

 スマホの向こうにもその音が聞こえたようで、佳奈が興味深く訊ねてきた。

「カレー」

 少し得意げに答える。

「へー、兄貴、あいかわらずマメだねー。そんなにマメなら彼女できるだろうに、なんでできないんだろうねー」

「うーん、それを言われるとメンタルにくるな」苦笑いになる耕介。

「アタシ、こっちに友達少ないからさー、兄貴の彼女と友達になりたいなー。彼女も兄貴の愚痴とか、アタシに言いたいだろうしさー」

「おいおい妄想が進みすぎる。そんな相手いないからな。残念ながら」

 一番残念なのは俺なんだけどな。

「まあ、カレーづくり頑張って。それから彼女づくりもね。これからバイトだから切るねー」

 とまくしたてて佳奈は通話を勝手に切ってしまった。

 直後に

「あ、お小遣いはホントすんませんが、お待ちしております」というメッセージと、パンダがペコリと頭を下げたスタンプが届く。

 まあいい。彼女なりの気の使い方に気持ちは少しほっこりする。


 食材を炒め終えて、水とコンソメ、おろしにんにくを入れて沸騰するのを待つ間に、すでに出来上がった洗濯物を干して、次は“下のもの”を同じように洗濯機に突っ込む。


 ベランダから戻るとLINEの通知が来ていた。佳奈からかと思って開けてみると、会社のグループ通話だった。リーダーから「今日メールで送った資料、各自コメントを夕方までに送ってくること」とメッセージが入っている。

 あ、そうか今日はテレワークの日で、休日じゃなかったんだと、慌ててパソコンの電源を入れてメールを開く。11時半に添付ファイルが届いていた。確認と同時に「了解です」とLINEに返事を返す。すると5人ほどのグループのみんなから一斉に「わかりました」「かしこまりました」「OKです!」などのコメントが表示された。

「みんな、ちゃんと仕事してると思っているから細かいこと言いたくないが、締切は守るように。開封通知来てたの真中だけだぞ」とリーダーの返事。

 メールは、読むと差出人に通知が届く奴で、あまりに通知が届かないのでLINEで忠告してきたのだろう。申し訳ないという気持ちと、俺だけじゃなくて良かった、という気持ちが耕介を襲った。今更ながら「今日は仕事の日」ということがわかったので、カレーのアク取りをしながら、資料を斜め見で読み始めた。

 

 個人のLINEにメッセージが届く。先程名前があがった真中からだった。

「リーダーって、こういうところ抜け目ないですよね」

 真中伶子は耕介の2年後輩で、比較的仲の良い同僚だった。

「そうだね。でも、俺、今日仕事だってすっかり忘れてたんで助かったわ」

 今の正直な気持ちを送ってみる。

「忘れちゃいますよねー(*´ω`*)。私は今日、たまたまメール開けてたんで助かりましたけど、ホント、偶然ですから!ネトフリみてましたから!」

 最近、韓国のドラマにハマっていると言っていたからだろうが、基本的に几帳面で真面目な性格の彼女が、仕事を忘れるとは思いにくかった。きっと耕介がヘコんでいるのではと慮ってメッセージをくれたのだろう。

 アク取りが終わって、具材を本格的に煮込み始めながら、どう返信をしようかと浩介は迷った。

「今、カレーを作ってるよ」と一旦打ち込んで、悩んだ末にそれを取り消す。

「お互い、日付感覚狂ってんのかもね。気をつけよう!俺、これから急いで資料読むわー」と無難な返事をすると、彼女から「りょ」と言う敬礼をしたウサギのスタンプが届いた。

 カレーの話をしたら、彼女は興味を持ってくれたのではないかと思う。でも、同じぐらいの確率で「りょ」のスタンプが来たり、「おめでとう」なんてスカされるような気もする。こういう距離感がつかめるようにならないと恋愛は難しいのだろうな、と改めて思った。

(あ、あの歌、確か槇原敬之だったよな。)

 大きく息をついた耕介は、火を止め、ルーを入れて、カレーの仕上げにかかった。


 二度目の洗濯物を干し、資料をなんとか読み込んでコメントを送ると、すっかり夕方になっていた。

 退にはまだ早いが、カレーもできたことだし、もうおひらきにしてしまえ。カレーをよそい、冷蔵庫からビールを取り出してプルタブを開ける。炭酸とともにアルコールが喉を通ると、とたんにかったるくなり、物事に対する感覚が少し緩くなった。


 “おうち時間”なるものが増えてから、こういう日ばかりでいいのかと不安にもなるがまあいいか。今日はいい天気だし、カレーも美味い。こうしてダラダラと気持ち良い日をすごして眠りにつき、明日の朝を迎えられればそれでいい。


 (ホントにそれでいいのか?)

 1ミクロンの漠然とした不安が1ミリほどに膨れ上がったが、それをカレーとともに飲み込んだ。


 天気予報だと明日も晴れるという。

 明日は仕事の日だっけ、それとも休みだっけ。もし仕事の日なら、資料の相談ついでに「昨日つくったカレーが美味しくできたよ」と伶子に送ってみようか。そんなことを考えながら、耕介はまたひとつ母の味に近づいたカレーを口にいれた。


 何かが足りない気がしたが、それが何かはまだよくわからない。

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そして僕はカレーをつくる 高野ザンク @zanqtakano

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