第9話 孤児院

 百八十センチ程の身長であるエウトロピオの頭よりも少し高い塀にぐるりと囲まれた建物。塀の上には有刺鉄線が張られていた。逃亡など許さないと無言の圧力を掛けている。ぴいひゃらと口笛を拭きながら塀に沿う様に歩いているエウトロピオ。

 

 暫く歩いていると孤児院の門が見えてきた。ここもまた、孤児院とは思えない鉄の門扉である。エウトロピオの胸の少し上あたりまで鉄の板で目隠しされる様に覆われており、それから上は十センチ間隔で太い鉄格子。

 

孤児院Orfanatoっていうより、刑務所carceremみたいだね」

 

 その鉄の門扉に大人の頭程の大きさの鐘がぶら下がっている。これで中の人間を呼ぶのだろう。

 

 がらんごろん……

 

 鈍く低い音。

 

 こんな音で中の人間に聞こえるのだろうか?

 

 案の定、一度鳴らしただけでは誰も出てこない。エウトロピオは更に二度三度と鐘を鳴らす。

 

「はいはい」

 

 門扉から少し離れた先に見える扉が開き、中から腰の酷く曲がった老婆がよたよたとした足取りで出てくるのが見えた。そして、ひょっこひょっこと体を揺らしながら、門扉前まで来ると、じろりとした目付きで門扉の鉄格子から覗き込むエウトロピオを見上げた。

 

「どなたさん?」

 

「あぁ、申し遅れました。特務部隊所属のエウトロピオと言いますが……アンへリカの事で少しお話しがあるんですが?」

 

 特務部隊でぴくり、アンへリカの名前でさらにぴくりと眉を動かした老婆。そんな老婆の様子を見たエウトロピオがすっと瞼を閉じた。どす黒い炎の様な光りに全身が包まれている。

 

『あぁ……この婆さんは多分、嘘つきだ』

 

 大きく吐息を漏らすエウトロピオ。

 

「なんだい、特務部隊隊員様が、アンへリカになんの用事だい?アンへリカならまだ、散歩から帰ってきちゃいないよ?」

 

「それは知ってますよ?アンへリカについて話しがある……そう言ったはずですが。中に入れてもらえませんか?」

 

 この老婆は何かを隠そうとしている。黒い炎が見えただけではなく、直感的にそう感じたエウトロピオが門扉に手をかける。

 

「本当に少しだけで終わるんですけどね?」

 

「……それなら、ここでも良かろうて?」

 

 老婆も引き下がらない。いよいよ怪しい。その時、エウトロピオの目の端に黒い影が老婆の後ろを通り過ぎて行くのが見えた。とても速い動き。エウトロピオだからこそ見えた。常人なら見えなかっただろう。その人影がするりと建物の陰に入っていくその前に、エウトロピオへと振り返り、手を上げたのを見逃さなかった。

 

 その人影の正体は、ロドルフォであった。彼は特務部隊隊長であるライネリオから孤児院を捜査する事を命じられ、エウトロピオはその手助けを兼ねて、老婆の足止めをしていたのだ。

 

 無事にロドルフォが孤児院の中へと消えて行ったのを確認したエウトロピオがもう一度、吐息を漏らす。

 

「分かりましたよ。それでは簡潔に言いますね。アンへリカは僕ら特務部隊が預かりますので、もう孤児院へは帰りません。それに伴い、アンへリカの荷物は後日受け取りに参りますので、よろしくお願いします」

 

 アンへリカを特務部隊が引き取る。

 

 突然の申し入れに驚きを隠せない老婆。鳩が豆鉄砲を喰らった様な間抜けな表情をしている。それをみて、必死に笑いを堪え、無表情を装うエウトロピオ。

 

「な、なんでアンへリカを特務部隊がぁ?あの子は里親が見つかって……」

 

「そうみたいですねぇ……その里親先を教えて頂くと助かるのですが?」

 

 淡々と受け答えするエウトロピオと、明らかに動揺している老婆。

 

「そ……それは、教えられないね」

 

「何でです?里親として引き取るなら、公に戸籍にも載せなくちゃならないのに、教えれない事は無いでしょう?」

 

 だらだらと額から汗を流しながら話す老婆を見て、ここら辺で良いかと思ったエウトロピオが、ちらりと老婆に見える様に懐中時計を取り出し確認した。

 

「あぁ、もうこんな時間ですね……しょうがない、今日はとりあえずアンへリカを引き取ると言う事だけをお伝えします。また、後日、詳しいお話しと荷物の引き取りに来ますので、その時はどうぞよろしくお願いします。お互いに穏便に行きましょう」

 

 穏便に行きましょう。

 

 その一言は老婆にかなりのダメージを与える事ができた。相手は特務部隊なのである。そこら辺の警察とはちがう。権力も捜査手段も。いざとなれば、簡単にこの仰々しく構えた門扉などぶち壊して中に入る事も可能なのだ。それをせずに話し合いましょうと暗にエウトロピオが老婆へ伝えたのである。それを老婆は直ぐに理解したのだった。

 

 恨めしそうにエウトロピオを睨みつける老婆に、今まで無表情を装っていたエウトロピオがにたぁっと笑った。

 

「それではお婆さん、ご機嫌よう」

 

 そう言い残し、エウトロピオは孤児院を後にした。エウトロピオの姿が見えなくなるまで様子を伺っていた老婆が、そそくさと扉の中へと入っていく。

 

 そして、無線機を取ると何処かへと連絡を始めた。それをこそりと聞いているロドルフォが天井裏にいる事も気づかずに。

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