志津「早津川! AVを撮るわよ!!」

靑命

第1話(完)

 そう言ってボードゲーム同好会の扉を某アニメの某ヒロインよろしく勢いよく開けたのは、紹介するまでもないあの男だった。

 その大きく放たれた台詞により、ワイワイとボードゲームに興じていたおれたちのテンションはジェットコースターのように急降下していった。あまりの急降下ぶりに気絶者が出なかったのが不思議なくらいだ。

 おれは、笑顔で手を前に出したままこちらを見つめてくる男をとっ捕まえて、勢いよく扉を閉めた。


「てめぇ、何してんだよッ」

「AV作ろうぜ、早津川!」


 おれの剣幕に一切動じず同じようなことを言うものだから、気がついたらおれは志津の腹に膝を喰らわせていた。


「お゙ごほぉ゙っ!?」


 志津は聞いた事のないような声を上げてその場にうずくまった。黙らせることには成功したが、同好会を出た先はエントランスホール兼談話室となっており、あちらこちらでソファーに腰掛けて談笑していた学生の全員がおれたちのことを見ていた。

 なのでおれは、志津の首根っこを引っ掴んでとにかくこの場を去ることにした。


「――AVが作りたいんだ」


 ランチタイムもとうの昔にすぎ、店じまいが行われたあとの食堂は静かだった。そんな食堂にいるのは、おれたち二人の他に、国試の勉強に追われているらしき医学部数人、レポートの制作に夢中な文学部カップル程度で、誰もおれたちの会話など耳に入っていない様子であった。


「いやそれは分かった。分からんけど。まず大声でおれの名前とAVをセットにするな」

「ごめん」

「しばらくおれのあだ名が『AV早津川』になったらどうするんだ」

「えっ、面白いじゃん」

「殺すぞ」

「ごめん」


 まあ、ボードゲーム同好会の連中は、おれが志津ととかいう人間――こいつは果たして人間なのだろうか――と付き合いがあると知っているので、「この間は大変だったな」と慰めの言葉をかけてくれるであろうという淡い期待を抱いておく。

 それはそうと、早くこいつの話を強制終了させないととんでもないことになるぞ、とおれの経験則がそう告げていた。


「AVなんて作らなくても観ればいいだろう」

「いや、それはそうなんだけど。借りたり買ったりするのってなんか恥ずかしくない? だったら作った方が気持ちも入って楽しめるんじゃないかなって思ってさ」


 ――何を言っているのかよく分からないが、おれが悪いんじゃないよな、これ。


「……作った方が恥ずかしいだろ」


 やっとのことで吐き出せた言葉に、志津はやけに過敏に反応した。


「お前、それってAV業界の人たちを下に見てるのと同義じゃないのか? AV業界の人だってなあ、いかなる方法でエロスを提供するかを努力して考えて体張ってくれてるんだぞ?」


 思わぬ地雷を踏んでしまったらしい。そこそこの声量になってきたので、慌ててわかったわかったといなす。


「わかってんの? ねえそれほんとにわかってんの?」


 めんどくせえ。これだから童貞はめんどくせえ。

 しかしこの場合は童貞云々よりこいつに問題があると思う。


「もういいから、お前の『ぼくがかんがえたさいきょうのえーぶい』案を出すだけ出して今日は終わりにしろ」

「わかった。まずね、早津川の彼女を――」


 おれは即座に志津の背後に回ってその首を後ろから締めあげた。


「がっ……ぎ、ぃっ……! し、締まってる……締まってるって、ばぁっ……」

「締めてんだよこの外道がァ!!」

「は、はやつ、がわ……まわり、みて……」


 ハッと我に返ると、先程まで各々の課題に熱中していた筈の学生たちが、こちらを見ていることに気づいた。まるっきりデジャヴだ。

 そしてなにより、それを志津に指摘されるまで気づかなかった己の愚かさを恥じる。こいつに周りの目を気にしろと注意されることほど、哀れなことは無い。

 おれは舌打ちをしながら腕を外し、志津の対面の席に戻った。


「ったく、悪趣味もほどほどにしろよ」

「だ、だって……他におれの関われそうな女性がいないんだもの……」

「だからって友人の彼女を女優候補にするな」


 女優がいなければAVは成り立たない。この様子だと、こいつはそこらへんで素人をナンパしてホテルに連れ込むなどという企画モノをし始めることもないだろう。なんだ、あっさり問題解決してしまったではないか。


「いや待て、おれかお前が女優になればまだ撮れる」


 往生際が悪い上に最低な案をぶつけてきやがった。ケツを掘るのも掘られるのも嫌だが。


「じゃあ、早津川と彼女がセックスしてるところを撮る」


 おれと彼女の愛の営みをエロコンテンツとして消化しようとするな。ただの知性のないホームビデオじゃねえか。


「おれ、おれ、AVが撮りてえよ早津川……」


 却下の嵐をお見舞いしていたら、しまいには泣き出した。酒飲んでないよな、こいつ。


「もうそこら辺の岩とかとセックスしたらどうだよ。誰も傷つかない」めんどくさいので自然との調和案を提示してみる。

「おれのちんちんがズタボロになっちゃうよ」

「どうせ一生使わんイチモツだろが」

「まだそんなこと分からないだろ」


 そもそも志津を好きになるような人間がこの世にいるはずが無い。万が一出会えたとしてもこいつがまともにセックスできるわけがない。おそらく死人がでるだろう、生命を作るはずの行為で。


「ん……でも、そうだよな。AVだって色々あるし、なにも女優は人じゃなくたって……」


 急に真面目な思案顔をし始めた。おれの声掛けには応じず、しばらくブツブツと呟いていた志津であったが、急に両膝をパンと叩いて立ち上がった。


「よし、わかったよ早津川。これでいく」

「どれ?」

「誰も傷つかない、おれのちんちんも無事なAV!」


 どういうことだ、と聞く前に、志津は食堂を出て行った。少し嫌な予感がした。もしかしてペットや家畜と交合うつもりではないだろうな。しかしそれだと家畜は傷つくし……。

 かなり志津の思考に毒されているおれを現実に引き戻してくれたのは、彼女からの着信だった。おれも席を立って、通話ボタンをタップしながら、食堂をあとにした。




 それから数日が経った。すっかり「AV早津川」という不名誉なあだ名が定着してしまったおれの家の郵便受けに、何やら荷物が突っ込まれていた。

 それを無造作に取って部屋の中で確認すると、表には「愛すべき友人へ。志津」とだけ書かれてあった。まさか、という嫌な予感はすぐに的中した。ボール紙を破いた中には、志津の自主制作AVが入れられてあったのである。

 パッケージは見たことの無い女優が飾っていた。タイトルは「恍惚の死」。……もう観たくない。そもそもAVのタイトルじゃないだろ、これ。

 しかし、この女優は誰だろう。おれとそう年齢は変わらなさそうだ。もしかして志津のやつ、出会い系で女を釣ったのだろうか。もしそうだとしたら、一番最悪の手法だ。

 そして志津はちゃんとしたセックスができたのだろうか。誰も傷つかないAVを思いついたと言っていたが……。

 友人のセックスを見たいような見たくないような、そんな好奇心と嫌悪感がしばらくおれの中で戦っていたが、結局は好奇心が勝ってしまった。おれもつくづくバカである。

 DVDプレイヤーにそれを入れてから、少し「しまった」と思ったが、すでに再生は始まってしまった。

 定点カメラ式の撮影。部屋はホテルの一室のようである。ベッドの上に重なる二つの大きな影。すでに行為は始まっていた。

 いや、もう、地獄だった。

 まず結論から言うと、女優は人間ではなかった。かなり精巧に作られたラブドールで、パッと見は完全に人のようでもあった。しかし、その首にはタオルが巻き付けられている。そして志津はタオルをきつく縛りながらラブドールを突き動かしていた。

 いや、首絞めたら締まるとか言っているが、お前それラブドールだからな。もう抵抗しないの、つまらないとか言っているが、お前それラブドールだからな。

 おれは一体何を見せられているんだろうか。ラブドール屍姦モノAVなんて聞いたことがない。というか意味がわからない。

 ぽかんと口を開けて見ているうちに、気づいたら志津は情けない声をあげて果てていた。

 そこで再生が止まった。セックスというよりただのオナニーを見せられた気分だった。悪質な釣り動画か?

 大分と頭にきた上、とにかく苛立ちが収まらなかったので、おれはすぐにこのオナニービデオの制作者を家に呼び出した。


「お前このゴミなんなの?」

「ごめん」


 志津はえらくしおらしくなっていた。あの日食堂でおれにAV業界のことを熱く語った人間と同じとは思えない。恐らく賢者モードなのであろう。

 おれはそんな相手にも容赦なく罵詈雑言をあびせた。これはAVじゃないとか、お前の腰振りが気持ち悪いとか、ラブドールを屍姦するなとか、もう色々である。ちなみにラブドールは50万したらしい。どこで工面したんだよそんな金。

 最後におれが「そもそも屍姦モノは屍姦に至るまでの過程も必要だろうが」と言い放ったら、なんて言ったと思う?


「え、それは普通に解釈違い」


 おれは志津の腹にまた膝を喰らわせた。

 

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