第24話 きっと明日は

「っていうことがあってね」


 私の話に、ニコは生返事で答える。


「聞いてる?」


「聞いてるよ。校外に彼氏がいるお前は勝ち組って話だろ」


 間違ってはいないけど、要点はそこじゃなくてさ。

 ニコは全てお見通しとでも言いたげなすまし顔で、野菜炒めを口に運ぶ。


「ま、先方の言い分も間違っちゃいないかもな」


「盗撮までしてるのに?」


「やり方は別としてだ。例えば、お前が俺から金でも受け取っていたら問題だろ?」


 たしかにそうだけど。


「ニコは何とも思わないの? 勝手に写真まで撮られてさ」


 自炊生活の長いニコの料理はなかなかに美味である。でもレパートリーには乏しい。彼は今月何度目かの野菜炒めをもぐもぐしながら。


「見られて困るわけじゃないからな。悪用されてもない」


 口の中の物をお茶と一緒に嚥下するニコ。


「それよりも俺の思うところは別にあってだな」


 ニコの切れ長の瞳が私を見据える。見つめられていることと、何を言われるのだろうという二つの理由で、私の胸がどきどきし始めた。

 ニコはすっと目を細め、こころもち沈んだ声を出す。


「俺達はいつまで親戚なんだ?」


 その言葉にはっとして、私は思わず目をそむけた。


「それは」


「俺達もうすぐ一年だろ。これ以上は……辛いぞ」


 何も言えなかった。

 私達が付き合っていることを隠しているのにはいくつかの訳がある。その中で最も重大な理由が、私の容姿だ。十代前半にしか見えない私の容姿では、ニコとは釣り合わない。二十歳相応の外見のニコが私みたいな女の子と付き合っているなんて知れたら、世間はどう思うだろうか。想像に難くない。

 ニコは構わないと言ってくれる。むしろ、公言したいと。しかし私は、自分が原因でニコに迷惑をかけると思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。それにだ。もし公言して、周囲の私達を見る目が変われば、そのせいで二人の関係によくない影響があるかもしれない。


「ごめんなさい」


 だから私は、謝ることしかできない。私がもう少し成長していたら、こんなことにはならなかったんだろう。全て私が悪いんだ。もう少し、もう少しだけ背が伸びれば、私も自信を持ってニコの恋人だと叫ぶことができるだろう。だからそれまでは、待っていて欲しい。

 私が謝ると、ニコはいつも困ったように顔を潜め、そして苦笑しながら「わかった」と言う。この一年間、ずっとそうだった。

 でも、


「だめだ」


 確かな否定の言葉だった。


「お前は自分の見た目に負い目を感じているんだろうが、俺からすれば些細なことだよ。俺はお前の容姿に惚れたわけじゃないんだからな」


「けど周りからどう思われるか」


「どうでもいい」


「世間の目は厳しいよ?」


「それでもいい」


 淡々としたニコの声は、いつもより語気が強かった。ほんの少しの違いだけれど、彼の真摯な想いを表すには十分すぎるほどだ。

 私の心配は杞憂なんだろうか。案ずるより産むが易しとも言う。周囲に知られても、からかわれる程度で終わるんじゃないだろうか。実際私は今年で十六歳になるし――ニコは二十歳だけど――ひと昔前なら結婚だってできた年齢だ。

 いっそのこと、公言すべきなのかもしれない。そうすれば今までのわだかまりが嘘のように消えてくれるはず。

 けど、本当にそう?

 自分の都合の良いように考えているんじゃないか。ニコの言葉に影響されて、甘い考えになっているだけかもしれない。

 私みたいな童顔のチビが女として見られる訳ないじゃない。


「きゃっ」


 視界が流れる。背中には制服越しに畳の感触。


「なに一人で難しい顔してる」


 いつの間にか押し倒されていた私は、息がかかるほどに近いニコの顔にどきりとする。


「似合わないな」


 頬を撫でられ、ニコの唇が首筋を這う。吐息が触れる度、私の呼吸は乱される。その乱れた息を求めるように、ニコは私の唇を奪った。

 なんだろう。ニコにいつもみたいな余裕が感じられない。付き合い始めた時にも感じなかった感覚だ。がむしゃらに私を求めてくることが嬉しくて、そんな彼が堪らなく愛しくて。

 私は、ニコをぎゅっと抱きしめた。





 携帯の着信音が鳴った時、私はニコの腕の中で薄いまどろみの中にあった。流行りの曲が部屋に響く。緩慢な動きでニコの腕から這い出し机上の携帯を取る。発信元はミサキちゃんだった。


「もしもし」


 目をこすり、私は欠伸混じりの声。自分でも少しみっともないと思った。


『綴? あたしだけど……あのさ、ちょっと、大変なことになっちゃって』


「どうしたの?」


 徐々に覚醒する頭で、ミサキちゃんが平静でないことを理解した。どうしたのだろう。ミサキちゃんらしくもない焦りと不安の声。それでいてどこか期待しているような調子だ。


『今ちょっとテンパってて。ああもう、どうしたら――』


 そこでピンと来た。ミサキちゃんがここまで狼狽するなんて、一つしか考えられない。


「津々井君と何かあったの?」


『何かあったっていうか、これから何かあるかもっていうか』


「へぇ?」


 私は首を傾げた。


「ミサキちゃん、とりあえず落ち着いて。順を追って話してよ」


 ここまで慌てるなんて、きっと何か発展があったに違いない。私は自然に吊り上がる口角を弄りつつ、ミサキちゃんに説明を促す。

 ミサキちゃんの話はいまいち要領を得ないものだったけど、なんとなく事のあらましは理解できた。


『まさかマサアキの方がうちに来るなんて。こんなの想定外だわ』


 気弱そうに見えて、津々井君もやっぱり男の子だなぁ。感心感心。

 ミサキちゃんはミサキちゃんで、典型的な恋する乙女でなにより。


「それで、どうして私に電話したの?」


『や、その、あたし男の子を部屋にあげるなんて初めてだからさ……どうしたらいいのかなって。何か準備とか、用意しておくものとか』


 うーむ。私もニコを自室に招いたことはない。いつも訪ねるのは私の方だし。


「お茶とお茶受けとー、あと何がいるかなぁ。あ」


 私の手から携帯電話が消える。いつの間にか隣で聞き耳を立てていたニコが、何食わぬ顔で電話を耳につける。


「もしもし、ミサキちゃんか? 俺だ」


『に、ニコさん? いたんですか?』


 私も耳を近づける。急にニコに替わったことに、ミサキちゃんが驚いている様子だ。


『もしかしてあたし、お邪魔しちゃいましたか?』


「いや、いい。もう済んだところだったからな」


『あー……そうですか』


 ミサキちゃんにしては素直な謝罪だった。多少の揶揄も含んでいたつもりだろうけど、ニコは全く動じない。


「それよりだ」


『はい?』


「男が部屋に来るって?」


『え、ええ。そうなんです』


 小さくなっていくミサキちゃんの声。やはり恥ずかしいのだろう。この二人は面識がないわけじゃないけど、数回顔を合わせただけだし。ニコはデリカシーがないなぁ。

 ニコは仏頂面ながらも悪戯をする子供のように、シャワーを浴びろだの露出の高い服を着ろだろとアドバイスをしている。私の親友になんてことを。まあ、色仕掛けは常套手段だとは思うけど。なんだか釈然としない。電話の向こうで甲斐甲斐しくメモを取るミサキちゃんの姿が目に浮かんで、私は笑みを漏らす。


「とにかく、いつもとは違う自分を見せつけろ。ミサキちゃんくらい美人なら、大概の男は理性を失うさ」


『はい! ありがとうございます!』


 え、そこありがとうでいいの?

 私はニコから電話を取り返す。


「もしもしミサキちゃん? 応援してるからね。きっとうまくいく」


『うん!』


「明日、結果を楽しみにしてるよ」


『が、頑張ってみるわ』


 ありゃ、プレッシャーかけちゃったかな。


「それじゃ、また明日」


『うん、また明日。ありがとね』


 通話終了。健闘を祈る。

 一息吐き、私はニコにもたれかかる。湿った肌の感触で、二人とも生まれたままの姿であることを思い出した。ニコが私を抱き寄せ、どちらからともなく軽く唇を重ねる。


「ねぇニコ。私の家に来る?」


「どうした? いきなり」


 私に恋人がいることは家族にも話していない。だからニコは、私が家に招くことを不思議に思っている。けど、ミサキちゃんが津々井君を家に呼んだのなら、私も負けてられないからね。


「ニコのこと、両親にちゃんと紹介したいから」


 ニコの腕に抱きしめられながら、私は俯いた。これはちょっと、いやかなり照れる。

 部屋に沈黙が訪れる。ニコは何も言わない。何も言わず、ただ腕に力を込める。それが返事だった。

 もう、二人の関係を偽るのはやめよう。そんなの、いたずらに不安を煽るだけだ。周りの目ばかり気にしていた自分が恥ずかしい。ニコはいつでも、私だけを見ていてくれたのに。

 私達がどんな風に見られようと関係ない。私とニコの絆は、そんなもので揺るいだりしないのだ。

 陳腐な言い回しかもしれないけれど。

 二人ならどんな苦難も乗り越えて行ける。

 それが、愛というものだと思うから。


「えへへ」


 大好きな人の腕に抱かれながら、私はまた、心地よいまどろみに身を委ねていった。

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真夏に咲いた恋の花 朝食ダンゴ @breakfast_dango

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