第6話 トラブル(裏)

 


 東京は狭い。

 が、初めて東京に来たあたしの第一印象。

 確かに、あたしの地元と比べたら都会なんだけど、人が多いせいか狭く感じるのよ。

 そんな東京の……ここは何て場所だっけ?を、護衛をする間住むことになった小吉の家へ向けて歩いているんだけど……。

 

 「壁を指差して、何しちょんじゃ?」

 「いや、なんでも」


 当の小吉が、急に壁をビシッと指差して固まってしまった。

 本当に何してんの?

 そんなところに誰かいるの?

 本当に見えない誰かがいるのなら、さすがの私でも少し怖いんだけど。

 だって、誰かがいるってことでしょ?

 だったらあまり考えたくないから……。


 「それにしても、これだけ歩くとさすがに暑いねぇ」

 「え、ええ、そうですね」


 話をそらそう。

 あたしがコートを脱いだ途端に、小吉が頭を抱えて前後に激しく振り始めちゃったけど、とにかく話はそらせた。

 ちなみにあたし……と言うか暮石の人間は、俗に幽霊と呼ばれてるモノが見える。

 あ、断っておくけど、別に幽霊は怖くも何ともない。なにかしらしてくる訳じゃないし、身体の内にはもっと醜いモノを飼ってるからね。

 そんな理由もあって、あたしでも見えないモノがいるなんて考えるだけでも怖いのよ……て、そんなに頭を振って大丈夫かい?

 もしかして……。


 「どうした?小吉。頭が痛いんか?」

 「いや……まあ」

 

 そうは言うけど、顔色が優れないよ?

 もしかして、あたしの言い方が悪かったから気分を害したのかしら。

 以前、猛おじ様に「頭痛いの?」と言った時と同じような顔してるから、もしかしたらそうなのかもしれない。

 ん?そうこうしてたら、小吉が平屋建ての前で足を止めた。

 じゃあ、もしかしなくてもここが目的地か。


 「へぇ、立派な家じゃねぇ。小吉の実家?」

 「いや、僕の持ち家だ。実家は浅草の方にあるよ」


 持ち家とな?

 それにしては大きいねぇ。

 だって、小吉は童貞でしょ?

 だったら独り身のはず。それなのにこの家は、一人で住むには大きすぎる。

 まるで土地が不自然に余らないように、それなりの大きさの家を無理して建てたような奇妙さを感じるわ。


 「数十年後にこの土地を売ったら、いくらくらいになるんだったっけ」

 「この土地は高く売れるんか?」

 「安くはないはずだよ。なんせ東京は将来、世界一土地の値段が高くなる都市だからね」


 まぁ~た訳のわからないことを言い出した。

 猛おじ様にしてもそうだけど、どうして先の事がわかるの?

 いや、わかると言うよりは知ってるって感じね……っと、誰かいる。

 小吉が独り暮らしをしているはずの家の庭に、人の気配がある。

 もしかして殺し屋かしら。

 でも、殺気の類いも血のにおいも感じない。

 もし殺し屋なら相当の手練てだれだけど、小吉の知り合いって線もある。

 なら、ここはとりあえず……。


 「アンタ、小吉の何ね」


 と、本人に聞いてみた。

 もちろん殺し屋だった場合のために、小吉から距離を置いてね。

 さて、この殺し屋(仮)は何て答えるだろう。

 警戒はしているようだけど、ほうきを両手で握りしめている様子を見る限りでは、素人の女。

 これは小吉の知り合いって可能性が高いわ……ん?女?どうして独り身である小吉の家に女が?

 もしかして、奥さん?

 でも、小吉は童貞だって言ってたし……。

 う~ん、あたしが考えたところでわかりはしないから……。


 「ああ、小吉。アンタ、結婚しちょったん?童貞って言うてなかったか?」


 追い付いた小吉に聞いてみた。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うからね。


 「してないよ?」

 「なら、この人は?アンタの女房じゃないんか?」

 「違うよ!?」


 じゃあ何よ。

 女房でもないのに、女を家に住まわせてるの?

 小吉の行動はあたしには理解できない事が多いんだから、ちゃんと説明してちょうだい。


 「坊っちゃん。こちらの礼儀知らずのお嬢さんは、どちら様ですか?」

 「え~と、この子はその……」


 坊っちゃんとな?

 あ~……なるほど、その台詞で謎が解けたわ。

 つまり小吉は、その見た目通り金持ちのボンボン。そしてこの女は、小吉が雇っている家政婦ってわけだ。

 じゃあ、護衛をする間はあたしもここに住むんだから、あたしもこの女の世話になることになる。

 だったら、相応に挨拶しとかなきゃ。


 「今日から小吉さんと一緒に暮らすことになった、暮石 ナナと申します。先ほどは失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ございません。独り者だと聞いていたのに、女性の方がいらしたのでつい……」

 「あら、そうだったの?やだよぉ、この子ったら。私と坊っちゃんじゃあ、歳が離れすぎですよ。変なこと言わないでください」


 変?何が変だったんだろう。

 あたしが無表情だから?それとも、声に抑揚がないからかしら。

 小吉が変な顔をして驚いてるのはたぶん、ずっと方言丸出しで喋ってたあたしが標準語で話したからだろうけど。

 

 「まあ、それはさて置き。坊っちゃんも隅におけませんね。いつの間に、こんなベッピンさんを手篭てごめにしたんですか?」

 「してない。それより、中に入りませんか?」

 「おっと、それもそうですね。ささ、お嬢さんもお入りなさい。あ、坊っちゃんは風呂釜に火を点けてくださいね。水は張ってありますから」

 「はい」


 どうしてあたしが小吉に手篭めにされた云々って話になったのかはわかんないけど、あたしは女に案内されて空き部屋に通された。

 広さは30畳ほどかな。

 使ってなかったらしく、家具の類いは全くないけど掃除は行き届いてる。

 どうやら、ここを使えってことらしい。


 「長旅で疲れたでしょう?そろそろお風呂も沸いてるでしょうから、遠慮なく旅の垢を落とすと良いわ」

 「はい。では、遠慮なく」


 べつに一日や二日入らなくても気持ち悪いってほどじゃないから、明日入ったんでも良いんだけどなぁ。

 でもまあ、有無を言わさず風呂場まで引っ張って来られちゃったし、入れって言うんだから入っときますか。


 「ふぅ……。湯船に浸かるのなんて、いつぶりだろう」


 うちにも風呂くらいはあるけど、父様も兄様もあたしも、基本的に入らない。

 精々、濡らした布で身体を拭く程度よ。

 まあ夏場とかは、汗を流すために湯船にお湯を張るくらいはするけどね。

 それでも、浸かることはまれ

 掛け流しくらいしかしないわ。

 風呂がない家がほとんどなのに、あるのに入らないなんてある意味贅沢よね。


 「ああでも、食事は……」

 

 他と変わらないくらい貧相だったわ。

 いや、金はあるのよ?

 それなのに、戦争前ですらまともな食事はしたことがない。

 普通の家庭は白米に麦を交ぜた物を炊いて食べてるそうだけど、うちは麦だけ。

 それに生野菜と塩ね。

 たまに、父様が暇潰しに地元の猟師と一緒に狩って来た猪とか、釣ってきた川魚なんかも食べることはあったけど、うちの食卓には麦飯と生野菜しかなかった。


 「料理なんて、うちのもんは誰もできんしねぇ」

 

 ついつい愚痴ってしまったけど、暮石家に料理ができる人間なんていない。

 かか様が生きてた頃は作ってたそうなんだけど、あたしは母様の料理を食べたことがない。

 あたしが味を覚えられる歳になる前に、母様は死んじゃったから。

 

 「儀式のためたぁ言え、父様に思うところはなかったんかねぇ」


 母様は父様に殺された。

 あたしと兄様の目の前で、暮石家に代々伝わる刀で滅多刺しにされて死んだ。

 苦しかったと思う。

 痛かったと思う。

 でもそれは、暮石の人間にとっては必要な儀式。

 愛する者を目の前で惨殺した者を憎むことで、暮石の人間は術を扱うことができるようになるの。

 そして術を練り、心の奥底に宿された鬼を育てることに生涯をついやす。

 暮石家の悲願を、成就させるために。


 「あ、誰か入ってきた。小吉かな?」

 

 だったら湯船を譲らなゃ。

 なんせ、小吉はここの家主だからね。

 なかば無理矢理だったとは言え、あたしはその小吉よりも先に風呂に入っちゃったんだ。

 家主が来たなら譲るのが礼儀ってもの……だと思う。


 「信じてたのに……」

 「あ、やっぱり小吉じゃったか」


 あたしが湯船から出ようとしたら、引戸ひきどを開けるなりガッカリした小吉と鉢合わせた。

 一番風呂をあたしが取っちゃったから、ガッカリしたのかしら。

 だったら、謝っておかないと。


 「先に貰ぉてすまんかったねぇ。あん人が「長旅で疲れたでしょう?遠慮せず入りなさい」って言うてくれたけぇ。先に頂いた」

 「あ、そうですか」


 あれ?

 どうでもよさそうな返事が来たね。

 一番風呂をあたしが取っちゃったからガッカリしたんじゃないの?それとも、別の理由?

 まあ、どっちにしてもこのままじゃあ湯冷めしちゃうから……。


 「小吉。そこにおられたら出れんのじゃ……けど?」

 「あ、ああ!ごめ……!」


 湯船を譲る代わりに入り口を譲ってもらおうと思ったら、妙な気配を小吉の股間から感じたから見てみた。

 そこには……え?これ、何?

 あ、ああ~……アレか。

 うん、アレね。

 女のアソコにナニするためのアレね。

 昔、まだ幼かった頃に父様と兄様のを見たことがあるから知ってるわ。

 でも、形は似てるけど太さと長さ、さらに角度が段違いね。

 あ、そう言えば、男のアレは興奮すると大きくなるって父様から聞いた覚えがある。

 と、言うことは、いつもは小さいのね。

 でも、そうだとしても……。


 「顔に似合わず、凶悪な物をぶら下げちょるんじゃね」

 「ち、違っ……これは!」


 いや、違わないでしょ。

 小吉のソレって、あたしが猛おじ様から貰った短刀より太いし、長さも同じくらいじゃない。

 そんなのでナニされたら、少なくともあたしは死んじゃうと思うわ……は、置いといて。

 少し寒くなってきたから……


 「小吉?」

 「あ、ごめん!さあ、どうぞ!」


 入り口を譲るよう催促した。

 しかし、小吉も引戸に背を預けて入り口を譲ってくれてるんだけど……アレが邪魔。

 入り口の半分くらいを、小吉の下半身が塞いでるわ。

 あの状態で出るには、かがむか飛び越える。もしくは……。


 「……リンボーダンスでもしろと?」


 しかないと思い、そう言ったら、小吉は脱衣場の隅で顔を両手でおおってうずくまってしまった。

 相変わらず、変な人。

 会ってからまだ半日ほどしか経っていないのに、この人には驚かされっぱなしだわ。


 「あら、もう上がったんですか?坊っちゃんが行きませんでした?」

 「来ましたが……それが何か?」

 「はぁ……。あのヘタレ坊っちゃんめ。せっかくの機会を無駄にするなんて……」

 

 機会って、何の機会?

 あたしの入浴中に小吉が来たあの状況が、小吉にとっては好機だったとでも言うの?

 いや、待て。

 以前父様が、「男は女の胸を見たい、揉みたい、吸い付きたいと言う欲求を抑え付けて日々生活する哀れな生き物だ」と、言っていた。

 それとこの女の台詞をあわせて考えると、小吉は父様が言った欲求を発散する好機を逃したと考えられる。

 つまり小吉は、あたしの胸を見たものの、揉んだり吸ったりもできた機会を逃したと解釈できる。

 こんな贅肉ぜいにくを見たいだの揉みたいだの吸い付きたいだのと言った、男特有の欲求はあたしにはサッパリ理解できないけど、今度機会があったらさせてやろう。

 依頼人とは言え一緒に住むんだから、友好的にしておかないと仕事に支障がでるかも知れないから……ん?この匂いは何?

 嗅いだ覚えはあるのに、何の匂いかわからない。


 「きょ、今日は肉じゃがですか」

 「ええ、坊っちゃんの大好物の肉じゃがです」

 「わ、わぁ~、嬉しいなぁ。じゃあさっそく、頂きましょう」


 その匂いの正体は、食卓に並べられた料理の数々だった。

 各々おのおのが座る場所に用意された茶碗には……白米?交ぜ物無しの白米?これ。と、茶色い木製のおわんには……味噌汁ね。

 うん、実物を見るのは初めてだけど、きっとそうよ。

 そして真ん中には、他より大きめの器に盛られた……煮物?煮物だと思うんだけど……。


 「ねえ、小吉。これは何?」

 「何って、肉じゃがだけど……」

 「へぇ……これが肉じゃが」

 「つかぬことを聞きますが、実家での食事は……」

 「実家でのめし?麦飯と生野菜に塩付けて齧るくらいかねぇ。たまに、魚や猪も食ったりもするけど」


 と、返せたけど、肉じゃがから目が離せない。

 これが料理。

 普通の人たちが当たり前に食べる、食材を調理したもの。

 そんな普通を、知識でしか知らなかったあたしが体験するなんて、仕事に就く前は思いもしなかったな。


 「食べてみてよ。松さんが作る料理は、本当に美味しいんだ」


 小吉にそう言われたあたしは、口には出さずに済んだけど、心の中で「良いの?」と返してしまった。

 そんなあたしを優しい瞳で見つめる小吉が、「良いんだよ」と言ってる気がした。

 だからあたしは、恐る恐る肉じゃがを口に運んだ。

 この味を、何て言ったら良いんだろう。

 肉の味がする。

 じゃがいもの味がする。

 玉ねぎの味がする。

 初めて食べるけど、これはたぶんこんにゃくの味。

 でも、そのどれとも違う。

 強いて言うなら、肉じゃがの味がする。

 そんな貧相な感想しか思い浮かばないあたしでも、これだけは言えた。


 「美味しい……」


 と、初めて味わった当たり前をしっかりと噛み締め、初めて料理を食べさせてくれた二人に感謝を込めて、あたしは美味しいと言えた。


 


  

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