キノコっこ

水野 精

第1話

キノコッこ



1 キノコは不思議がいっぱい



「行ってきまあす」

「行ってらっしゃい、気をつけるのよ。あまり遅くならないようにね」

「はあい」


わたしは森野 紗知。高校二年生の十七歳。ごく普通の家庭で、ごくふつうに育った、どこにでもいるようなごく普通の女の子。

 

 わたしは今リュックを背負って近くの裏山に登っている。休みの日は、台風や嵐でないかぎり、たいてい山に登っている。

 裏山と言っても馬鹿にしないでね。稜線沿いにずっと歩いて行けば、山脈へと道は続いているのだから。わたしが住んでいる九州で言えば、九州山脈の尾根尾根へとつながる道なのであります。


 それで、何のために登っているかというと、とにかく山と森が大好きだからだ。他の女の子と少しだけ違う(人からはかなり違うと言われるが)のは、この趣味の点だ。


 山の空気、朽ち葉の匂い、鳥の声┅┅。春の新緑、夏の草いきれ、秋の紅葉、冬の静寂┅┅

山はいつ行ってもわたしの心を満たしてくれる。

 そして、山にはもう一つの楽しみがある。それは、キノコとの出会いだ。


 わたしは山登りが好きだった父に連れられて、五才頃から一緒に山に登っていた。最初はきついばかりで、よく滑って転んだり、転んだところに大きな青ミミズがいて悲鳴を上げたり、とにかく楽しいという気持ちはなかった。


 でも、そのうち山の持つ様々なすばらしさ、奥深さを知るようになり、どんどん魅了されていった。特にわたしが魅了されたのは、〝キノコ〟という不思議な生物だった。


 菌類に属するキノコが、あのカビの仲間だと言うと、嫌な顔をする人が多い。でもカビだって人の役にたっているものは多いんだよ。


 例えば有名な抗生物質のペニシリンは青カビから作られるし、チーズやヨーグルト、納豆、お酒、味噌、醤油、お漬け物、みんなカビと同じ菌類の働きによって作られているのだから。


 キノコはそんな菌類の中でも大きく異なっている点があるの。それが、子実体(しじったい)や担子嚢(たんしのう)という、誰もがイメージするあのキノコ独特の姿形をした〝花〟を咲かせることなんだ。


 え?あれが花だなんて信じられない?そうだね、普通の植物の花とはちょっと違うから、信じられないのもしかたない。でも、生物的な役割から考えると、あれは花と呼んでも間違いじゃないんだよ。


 普通花にはおしべとめしべがあって、風や虫などの手助けで受粉し種ができる。それが地面に落ちて発芽して、子孫が増えていく。


 実はキノコにも種があるの。それが胞子と呼ばれるものなんだけど、おなじみのキノコだったら、傘の裏のひだひだの間にたくさん作られるの。しかも、その胞子が雄や雌の遺伝子を持っていて、有性生殖をするキノコもいるんだよ。カビよりすごく進化していることが分かるでしょう?


 さて、難しい話はこれくらいにして、実際のキノコを見ていきながら、もっとキノコの魅力や不思議な点をお話していこうと思うのであります。



2 木とキノコ



 ふう、ずいぶん高い所まで登ってきたね。

 この辺りの木々を見てみるよ。


 まず、一番多いのがカシの木だね。常緑樹、照葉樹ともいう種類の木だよ。秋から冬にかけても落葉はしない。古い葉が落ちて新しい葉と入れ替わるだけなの。材質が固く、昔は木炭の材料に多く使われていた。


 次に多いのがシイとクヌギかな。シイはカシと同じ照葉樹だよ。子供の頃は、よく近所の子供達とシイの実を拾って食べていたな。

クヌギは落葉広葉樹。樹液が昆虫たちに大人気で、よくクワガタやカブトムシ、それにムカデやスズメバチなんかもこの木に集まってくるよ。


 関西から九州・四国の里山で、スギやヒノキ以外に多く見られるのが、今紹介した三種類の木だね。


 なぜ、木の種類を紹介したかというと、実はキノコは「木の子」と名付けられたくらい、木と密接な関係があるんだよ。


 キノコは生育環境から見ると、大きく三つの種類に分けられる。


 まず、腐った木や葉、動物の糞などから養分を得て菌糸(きんし:実はこれがキノコの本体)を繁殖させる腐朽菌。二つ目は生きた木の根に菌糸の塊を作り、木から必要な養分を得て、木に自分が作った養分を与える、つまり共生関係を持った菌根菌。三つ目は昆虫の生体や死骸に寄生して養分を得る冬虫夏草菌。


 スーパーで売られている「シイタケ」「ヒラタケ」「ブナシメジ」「エノキタケ」「マイタケ」「マッシュルーム」などは、すべて腐朽菌のキノコ。人工栽培しやすいんだ。


 それに対して、希少価値の高い「マツタケ」「ホンシメジ」「コウタケ」などは、菌根菌で、特定の木としか共生関係を作らないから、その木がないとなかなか実物にはお目にかかれないんだ。当然、人工栽培は難しく、今のところ実現していないの。


 さて、この辺りにキノコはあるかな。

 今は梅雨の時期だから、中部や関東以北のいわゆるキノコ王国では、この時期のキノコはあまり注目されないかもしれないね。でも、わたしが住んでいる九州では、里山の秋キノコが少ないので、この時期に発生するキノコは貴重なんだ。


 あっ、ほらあった。

 これは「イロガワリ」というキノコ。傘の裏を見て。ほら、ひだが無いでしょう?その代わり小さな孔がたくさんあって、スポンジみたいになっているの。サルノコシカケ科やイグチ科のキノコの特徴で、「管孔」って言うんだ。


 もう一つ、このキノコの面白いところを紹介しておくね。

ほら、こうやって傘や管孔の部分を爪なんかで傷をつけると、あら不思議、青く変色しちゃった。これが「イロガワリ」という名前の由来なんだ。


 ちなみに、傷つけると変色するのはこのキノコだけじゃなく、幾つかあるんだよ。有名なところでは、汁物に入れると抜群に美味しい「ハツタケ」も、傷が付くと美しい青緑色に変化するよ。


 じゃあ、もう少し奥山に入ってみようか。



3 照葉樹の森



 前回お話した照葉樹は、一般的に葉が丈夫で腐蝕しにくいので、地面に落ちても積もるばかりでなかなか腐葉土にならないの。そのため苔も生えにくく、水持ちが悪いという特徴があるのよ。集中豪雨なんかが襲うと、土砂崩れや鉄砲水が起こりやすいわね。


 だから、照葉樹の森には湿気の多い梅雨の時期に多くのキノコが発生し、秋にはあまり地上生のキノコは発生しないの。

 

 あっ、「ドクベニタケ」みっけ。

 このシイの森には、ベニタケ科のキノコがよく生えるのよ。「ドクベニタケ」と言っても、これは毒キノコじゃないよ。赤い傘の色がいかにも毒々しいので、こんな不本意な名前をつけられちゃったんだ。


 ちなみに、傘の色が赤いキノコで、毒を持っているのは北国特産の「ベニテングタケ」くらいで、後は無毒のキノコがほとんどなんだ。

特にクヌギなどのブナ科の木の森によく発生する「タマゴタケ」は、鮮やかな赤や黄色の傘だけど、汁物や鍋、炒め物などで食べると、それはそれは美味しいキノコだよ。


 照葉樹の森で、ベニタケ科以外に多く見られるのはイグチ科のキノコ。「ヤマドリタケ」や「ヌメリイグチ」など、有名なイグチの仲間は見られないけど、名前も知らないような大型のイグチ類が時々大発生したりするの。


 あとは、ハラタケ属のキノコもけっこう多いね。これはたぶん小動物の糞が関係していると思う。ハラタケの仲間は落とし物が大好きなんだ、というか落とし物にしか発生しない。有名なマッシュルームは、もともと馬糞に自然発生していたものなんだよ。



 言っておくけど、糞に発生するから汚いと思わないでね。野菜に鶏糞なんかを肥料にするのと同じで、あくまで糞から養分を摂っているだけなんだ。


 ああ、この辺りはスギやヒノキばかりだね。早く通り抜けよう。


 木材として優秀なスギやヒノキを悪く言うつもりは全くないけど、ことキノコや他の生き物にとって、スギやヒノキの森ほど住みにくい環境は無いと言っていいと思う。


 スギやヒノキの葉は腐りにくく腐葉土ができにくい上に、雨のたびに表面の土が流されていく。しかも根からは他の木が生えないように毒素のようなものをだしているらしい。だから、スギやヒノキの森には、下草や低木もほとんど育たないし、 餌が無いので鳥や小動物も住まない。

 大げさに例えるなら、「死の森」かな。


 マツやコナラ、ブナなどの貴重な森が、経済的な理由だけでスギやヒノキの森に変わっていくのを見ると、本当に辛くて絶望的な気持ちになるよ。


 我が家の近くにも、毎年「ハツタケ」や「ホンシメジ」が発生していたマツ林があったんだけど、わたしが小学五年生頃、突然無くなってスギとヒノキが植えられていた。


 一度無くなったキノコの発生環境は、壊せばもう二度と元に戻ることはない。永遠に森の妖精たちは帰ってこないんだ。(ため息)


 おお、この辺りで一番高い峠の頂上に着いたよ。遠くに国見岳をはじめとする九州山脈の峰々がよく見える。

 近くの山々を見ると、雑木林はわずかで、あとはほとんどスギやヒノキの森ばかり。


 近年の豪雨で土石流や崖崩れが頻発しているのは、温暖化の影響ばかりではないと、わたしは思っているんだ。

 保水力が無いスギやヒノキの森が増えたから、災害も増えたんだと思うよ。


 さて、愚痴ばっかり言ってもしかたがないね。

 この先に、毎年この時期に「アイタケ」が見つかる雑木林があるんだよ。

 元気を出して行ってみよう。



4 森の妖精たち



 小学生のころ、わたしの愛読書の一つに「原色日本植物図鑑」というのがあった。全5巻で、その第5巻が「隠花植物亜網」、監修者はあの牧野富太郎博士だった。

理科の教師だった祖父が若い頃購入したもので、父の手を経てわたしの本棚に引っ越してきたのだ。


そこには、カラーと白黒両方で、たくさんのキノコが紹介されていた。キノコについての知識はほとんどその図鑑から学んだ。でも、キノコの分類や毒性の有無などは時代とともに大きく変化し、今では図鑑の知識も時代遅れのものになった。


でも、その図鑑のキノコの絵や解説を見ながら、夢想した森の景色は今でも古ぼけることなく、鮮やかに蘇ってくる。


「ヤマドリタケ」(ヨーロッパではポルチーニとかセープ、シュタインピルツなどという名で呼ばれる高級キノコ。日本にも近縁種のヤマドリタケモドキが自生する)の解説には、「ケヤキ林を好んで発生し┅┅」と書いてあった。


ケヤキは、当時通っていた小学校の校庭にある大木がイメージとしてあった。あんな美しい大木がたくさんそそり立っている森┅┅。同じ時期によく見ていた西洋絵画の図鑑に出てくるコローやフラゴナールの絵の中の美しい森と重なって、なんともロマンチックなイメージが頭の中に出来上がってしまった。


そんな神秘的な森の中で、地面から生えているヤマドリタケ┅┅。近くには美しい妖精たちが遊び、動物たちが戯れている。夜は月の光の中で、小人たちがたき火をして踊っているキノコの森┅┅。


また、「コウタケ」については、「成長するとロート状になり」「秋、広葉樹の林に発生する」と書いてあった。しかも「乾燥したものは香気高く、市場で高価に取引される」という。


広葉樹なら、近くの山にもたくさんある。よおし、絶対見つけてやるぞ、と何度意気込んで秋の裏山に登ったことか。


最近になって知ったのだけれど、コウタケは主にブナの森に、しかも冬には雪が積もるような北、あるいは高所奥山の森にしか発生しないということ。


インターネットで「コウタケ」や「ヤマドリタケモドキ」、あるいは「ショウゲンジ」など、憧れのキノコを無造作に採っている人のビデオ映像を見ると、ぬいぐるみのクマの頭を噛み破るほど悔しくて、羨ましくて仕方がない。(キーッ)


さあ、着いたよ。

ここは、クヌギやカシ、マツが混生している雑木林。

やっぱり、マツがあると、キノコの期待値はぐっと上がるわね。森の空気もなんだかすがすがしいような感じがする。


ベニタケの仲間がたくさん生えているわ。これはアイタケが見つかる期待も┅┅。

あった!ああ、近くに何本も┅┅。今年も姿を見せてくれたのね、ありがとう。


図鑑で初めて見たとき、こんな色や柄、あり得ないって思った。だって、緑色の亀甲柄だよ?しかも食用って┅┅。これを最初に食べた人って、ナマコを最初に食べた人の次に尊敬するわ。


ん?これは、もしかして「ハタケシメジ」なのでは?

やったあ、間違いない。この束生株、匂い、傘の裏が乳白色、弾力のある柄┅┅。絶対イッポンシメジ属じゃないよね?ないよね?よし、ないって言った。

 

ほうら、またあった。これがシメジのシメジ(占地)たるゆえん。1本見つかれば、必ず周囲にも生えている。

ああ、でもハタケシメジの場合は、地中の腐蝕物頼みだから、他のシメジ属に比べると一株だけっていう可能性も高いけどね。


ようし、今日はけっこうな収穫だったぞ。そろそろ帰るとしようかな。


おお、木々の間から差し込む西日がきれいだねえ。



5 仲間とキノコ鍋 その1



わたしは公立高校の普通科に通っている。一応進学校で、同級生もほとんどが大学進学を希望している。

クラスの皆とは普通に話をするし、親しい友人も何人かいる。でも、自分の趣味のことはほとんど話したことはない。普通に人付き合いする上で、別に話す必要も無いからだ。

それに┅┅まあ、自分でもキノコが趣味なんて言ったら、たいてい変な顔されるのを自覚しているからね。


でも、一人だけ、中学の時からの友人のエリナには、わたしの趣味を知られている。しかも、最近はわたしに影響されてきたのか、一緒に山登りに連れて行けとうるさい。

わたしは断然「一人で楽しみたい派」なので、毎回付いてこられては、はっきり言ってうざったい。

 

「サッチーっ、ねえ、見て見て、これ、すごくない?」

 噂をすれば何とやら、これが親友のエリナ。

 わたしと違って容姿端麗で社交的、おまけに成績も優秀。女子にも男子にも人気がある。


ときどき、何でわたしなんかと親しくしてくれるのか、疑問に思うことがある。周囲の人たちも当然わたしと同じ疑問を持っていると思う。

それで、あるとき直接聞いてみたことがあったの。


それは、今年の春、クラス替えがあった翌日のことだ。

昼休みが終わろうとする頃、エリナが涙を浮かべながら、初めて見るような怒った顔でわたしの所へやってきた。


彼女が言うには、彼女が属しているSNSの会話グループの中でわたしのことが話題に出たらしい。まあ、だいたいどんな内容か、想像はつくけどね。


「┅┅で、あたし、頭にきてさぁ、サチのこと何にも知らないくせに、好き勝手言って┅┅あんまり悔しかったから、ありったけの悪口雑言浴びせて、グループ脱退してきた」(ぷんすか)


(うわぁ┅┅悪口雑言って、想像したくないわぁ)

「ああ、その、それは大変だったね。でも、いいの?そのグループって、同じ学年の人たちなんでしょう?エリナの立場が悪くならない?」


「はんっ」

(おっと、鼻であしらった)

「やれるもんなら、やってみるがいいわ。返り討ちにしてくれる」

(この子だけは敵に回したらあかん┅┅)


「あ、あのさ┅┅怒らないで欲しいんだけど┅┅」

「ん、何?」

「その┅┅わたしと友だちでいてくれるのは、とっても嬉しいんだけど┅┅エリナには何かメリットはあるの?わたし、エリナのお荷物にはなりたくないっていうか┅┅その┅┅」


(ああ、言っちゃった┅┅エリナ、驚いてる┅┅そりゃそうだよね、こんなこと真顔で言われたら、誰でも引くわ)


「サッチ┅┅あなた自分の面白さに気づいてないの?」

「へっ?わ、わたしの面白さ?わたしって何か面白い?おかしいならわかるけど┅┅たぶん変な所がいっぱいあるし┅┅」

「ははん」

(えっ、なんでドヤ顔?)


「まあ、いいわ。とにかく、あたしは中学の時からサッチの親友で、これからも親友だってこと。何より、サッチといると楽しいもん。ふふん、オーケー?」

「い、いや、そこはちゃんと教えてよ」

「教えなーい。だって、サッチがそれ知ったら、皆にアピールするようになるかもしれないじゃん。そしたら、皆の人気者になって、もう、あたしだけのサッチじゃなくなっちゃうかもしれないじゃん、そんなの嫌だから、教えなーい」

(いや、だだっ子か┅┅)


 と、まあそんなわけで、理由はいまだに不明なんだけど、エリナは親友である。


で、話は元に戻る。

エリナがスマホで見せてくれたのは、インターネット上に配信された動画で、あるチューバーがキノコ狩りに行って、その山でキノコ鍋を作って食べているものだった。


「おお、いいねえ、キノコ鍋かぁ」

「ねえ、ねえ、美味しそうだよね、いいなあ、あたしも食べたーい」

(はいはい、それとなくアピールね。でもねエリナ嬢、現実は厳しいのだよ)


「ああ、エリナ殿、夢を壊すみたいで申し訳ないんだけど┅┅これは、長野とか山梨とか、そこら辺の山でキノコがバカスカ採れる所でしかできないの。この辺りの山じゃ、無理なのでございますよ」

「えーっ┅┅」

(いや、そんな汚物を見るような目でにらまれても、無理なものは無理で┅┅)


「んん┅┅スーパーでキノコや鶏肉や野菜を買って作れば、できないことはないかな」

「うん、それいいね。山に持っていって作れば同じ事じゃん。あはは┅┅」

(いや、わざわざ山に行かなくても、家で食べようぜ)


「じゃあ、決まりだね。中間テストが終わった次の休み、キノコ鍋パーティだあ」

「い、いや、あのさ┅┅」

 わたしの脳に、そのとき不意にある考えが浮かんだ。


「ねえ、エリナ、やっぱりさ、栽培キノコより天然のキノコを使った鍋の方が、断然美味しいに決まってるよね?」

「えっ、う、うん、でも、この辺の山には無いんでしょう?」

「いや、ありそうな場所はある。でも、そこへ行くまでの道のりは遠く険しいのだよ」


「どこ、どこなの?」

「九州山脈のふところに抱かれし秘境、五家の荘」


「ゴカノショ?ドコデスカ?」

「なんで、片言?┅┅んっとね、ちょっと待って┅┅」

 わたしはスマホを取り出して、マップ画面を開いた。


「ほら、ここ」

「わお、けっこう遠いね。チャリで行ける?」

「無理。標高七百メートルぐらいあるから。ふもとの町まではバスでいけるのよ。その後、やる気があれば、歩いて登れないことはない。どうする?」


 エリナはあごに手をやって、じっと考え込んでいたが、やがてこう言った。

「車なら行けるんだよね?あたし、兄ちゃんに聞いてみるよ」

(えっ┅┅ま、待て、待てエリナ、カズヤさんに頼むの?ええええっ)


 結局、カズヤさんは喜んでオーケーしてくれたと、その夜エリナから連絡があった。

 こうして、わたしたちは次の週の土曜日、キノコ狩りに出かけたのだった。



 6 仲間とキノコ鍋 その2



 その日は文字通り秋晴れで、山に登るには最高の天気だった。が、わたしは市街地から出て、緑川沿いの道を走り始めるまで、緊張のため車酔いしそうな気分だった。

(何なの、この美男美女兄妹は?遺伝子って怖い┅┅カズヤさん、美しすぎるう)


「ねえ、サッチ、何で五家の荘なの?」

 ようやく緊張もほぐれてきた頃、チョコクッキーをもぐもぐしながらエリナが尋ねた。


「うん、良い質問だ。それはだね、五家の荘一帯には、九州でも数少ないブナの原生林が残っているからなのだよ」

「ブナ?」

「そう、ブナの森こそ、キノコの聖地と言っても過言ではない。ありとあらゆるキノコがブナの森をすみかにしているのだ。わたしの考えでは、恐らくキノコは太古の昔、ブナの森で発生し、ブナの森とともに世界へ広がっていったのだ。分かったかね?エリナ君」

「うーん、分かんない」

「ぷっ┅┅くく┅┅あははは┅┅」


 突然、運転していたカズヤさんが笑い出した。わたしはまた緊張と恥ずかしさのため、最悪の気分になりかけた。


「サッちゃんはほんと面白いな。普段は無口でおとなしいのに、山やキノコのことになると人が変わったみたいに饒舌になるんだもんな」

「カズ兄、笑うなんて失礼よ。サッチーは心が繊細なんだから、傷つくじゃない」

「い、いや、いいよ、エリナ┅┅自分の変さは自分がよく分かってるから┅┅」

「ほおら、こじらせちゃった、もう、バカ兄貴」


「ああ、その、ごめんね、サッちゃん。決して馬鹿にして笑ったんじゃないから┅┅むしろ、もっとサッちゃんの話を聞きたいっていうか、楽しかったんで、つい┅┅ほんと、申し訳ない」

「え、いえ、そんな┅┅もう、気にしてませんから┅┅」

(わ、わたしの話をもっと聞きたい?楽しかったって┅┅ほんとですか?カズヤさん)


 なんだかんだで、わたしたちは十時を少し回った頃、五家の荘の入り口、二本杉広場の駐車場に到着した。


「へえ、山の上にこんな場所があるんだ。途中はこのまま行方不明のニュースになるかと心配だったよ」

「いや、こんな楽な山登りって無いからね┅┅」

「あ、ねえねえ、あれっておみやげ屋さん?」

「ああ、食事のお店で、ついでに民芸品を売ってる感じ、かな」

 エリナはさっそく広場の脇にあるお店に走っていった。


「エリナのおもりは大変だろう?いつもありがとうね」

「い、いえ、わたしもお世話になってますから。宿題なんか特に┅┅」

(やばい、カズヤさんと並んで歩いてる┅┅あわわ)


「二人とも、早くう、お蕎麦が美味しいんだって」

「ええっ、ちょっと、エリナ、キノコ鍋の前にお蕎麦食べるの?」

「大丈夫だって。お蕎麦は別腹、別腹~」


 結局、エリナに付き合って山菜蕎麦を食べ、お土産のストラップホルダーを買う羽目になった。


 ようやく、準備を済ませ、狩俣山登山道に入ったのは、もう十一時半を過ぎた頃だった。

「ふああ┅┅聞いてない、聞いてないぞお、サッチー、こんな急な登り、きついー」

「まだ、こんなの序の口だよ。ほら、見てよ、エリナ、この辺全部ブナだよ。これがブナなんだよ。きれいでしょう?」


 わたしは立ち止まって、ブナの大木に頬ずりしながら言った。

「へえ、ブナって、なんか金色なんだ、豪華~」

「あ、それはシャラの木ね。こっちがブナ」


「ねえ、サッちゃん、これってキノコだよね」

 カズヤさんが頭上の倒木を見上げながら尋ねた。

 そのブナの倒木には、おびただしい数の大きな半円形のキノコが生えていた。


「あ、はい、キノコですね。カズヤさん、一つもいで、真ん中から二つに割ってみてください」

「うん、わかった。しかし、なんか迫力あるなあ、これなんかエリナの顔ぐらいあるぞ」

 カズヤさんはそんなことを言いながら、半円形の大きなキノコを一つもぎ取って、真ん中から二つに割った。


「根元の部分を見てください。黒いシミはありませんか?」

「あ、ほんとだ、あるよ。何なのこれ?」

「ツキヨタケの特徴なんです。ツキヨタケは毒キノコで、ムキタケっていう食用のキノコとよく間違えて食べてしまい、中毒を起こす人が多いんです」

「へえ、そうなんだ。いかにも食べられそうな見た目だよな」


「ツキヨタケって、月夜に生えるの?」

「違うよ。あのね、このキノコは月の光を受けると、ひだが青白く光るんだよ」

「へえ、なんか見て見たいかも」

「ふふ┅┅じゃあ、後でレジ袋に入れて持って帰ろうか?」


 しばらくして、わたしたちは小さな沢がある場所に着いた。


「この辺りが食事をするのにはいいかも。平らだし、水もあるし」

「いいねえ、んん、空気がおいしい」

「じゃあ、キノコ狩り開始ね。時間は三十分。とにかく、キノコだと思ったら採ってきて。

後でわたしが選別するから」

「了解しました、隊長」

「ようし、大物ゲットするぞ」


 わたしたちは荷物を置くと、軍手に竹かごや保冷バッグだけを持って思い思いの方向へ散っていった。


「おお、なんという幸運。天然のあなたに、こんなに早く会えるなんて」

 わたしは沢伝いに少し下った所で、ブナの倒木をびっしりと埋め尽くした黄金色のキノコの群れを発見した。

 表面が濡れて光っており、触るとヌルヌルした粘液だと分かる。天然のナメコだ。

保存用のビニールパックに夢中になって詰め込んだ。

根元から削らない限り、あと何年かは発生し続けるはずだ。


わたしの幸運は続いた。

沢から上がって、ブナやコナラの木が生えている斜面を登っていくと、タマゴタケの群生に出くわしたのだ。わたしのテンションはマックスだった。

「んもう、あなたって、本当に美人さん」

 端から見ている人がいたら、気持ち悪くてきっとどん引きしただろうね。

 

わたしは特に食べ頃な大きさのものだけ20本ほど採り、少し早かったけど集合場所へ戻っていった。


「おーい、サッチー、戻ったどー」

 わたしが荷物から卓上コンロと土鍋を取り出し、野菜を適当な大きさに切っているところへ、エリナが帰ってきた。

「どうだった?何か採れた?」

「ふふん、見て驚くなよ。ジャ~ン」


 エリナの保冷バッグの中には、種々雑多なキノコがかなりの量入っていた。

「おお、たくさん採れたねえ、偉い偉い」

「うふふん、もっとほめて、ほめて」


「じゃあ、選別するよ。まず、これね。これはキハダタケ、毒はないけど、かたくてちょっと食べられないかな。次はこれ、コテングタケモドキ、今のところ食毒不明だけど、猛毒っていう情報もあるから食べない方がいいね。それから┅┅」

 わたしはまず食べられないキノコから先に選別していった。

 エリナの顔がだんだん叱られた子犬のようになっていく。


「あ、それ、白くてきれいでしょう?それ、絶対美味しいキノコだよね、ね?」

 わたしはあらためて軍手を着用してから、真っ白な数本のキノコを取り出した。


「エリナ君、ようく心して聞きたまえ。これはね、その名も恐ろしい〝猛毒三銃士〟の一人、ドクツルタケ、その人なのだよ」

「えええっ、も、猛毒三銃士~っ!」

「そう、我が国で絶対食べてはいけない猛毒キノコは二十種ほどあるけれど、その中でも中毒例が多く、しかも致命的な三種類のキノコがある。タマゴテングタケ、シロタマゴテングタケ、そして、このドクツルタケなのだ」


「はああ~、あたし、毒キノコばっかり採ってきたんだ┅┅しょぼん」

「いいや、そんなことはないよ。残りのキノコは全部食べられるから┅┅ええっと、これはニガキアミアシイグチかな、うん、そうだね。それと、タマゴタケ、きれいでしょう?」

 エリナはようやく機嫌が直って、食用きのこをザルに入れると、水洗いするために沢へ下りていった。


「ただいまー。おっ、もう鍋の準備ができてるようだね」

 カズヤさんが戻ってきた。

「は、はい、あとはキノコを入れるだけです」

「うん、楽しみだな。ほい、一応目に付くキノコは全部採ってきた」


 カズヤさんはそう言うと、保冷バッグのふたを開いた。

「わあっ、こ、これ、どこにあったんですか?」

 一番上にあったキノコを見て、わたしは思わず叫んでいた。


「ああ、これ?ええっと、帰りに倒れた木の下をくぐろうとして偶然見つけたんだ。何ていうキノコなの?」

「これ、ムキタケです。朝見たツキヨタケに似ているでしょう?でも、ほら、ムキタケは根元に黒いシミがなくて、ひだの間隔がツキヨタケより狭く、傘の表面や根元に小さな毛が生えているなどの違いがあります。色も比較的薄いですよね」


「なるほどね。おもしろいなあ┅┅俺もキノコに興味が出てきたよ。サッちゃん先生、これからもいろいろ教えてください」

「い、いえ、そんな、わたしなんか┅┅」


「サッチー、そこは〝はい〟って言っとけばいいんだよ」

 キノコを洗って戻ってきたきたエリナが、わたしの肩をぽんと叩く。

 顔が赤くなっているのが自分でも分かる。

(ああ、カズヤさん、そんなまぶしい笑顔で見つめないでえ~)


 その日の豪華なキノコ鍋の味は、一生忘れないだろう。

 エリナもカズヤさんも、その美味しさに驚いていたし、満足してくれたようだった。

 水を入れた土鍋にネギ、ニンジン、ゴボウ、ハクサイに油揚げと鶏もも肉を入れ、酒、醤油、砂糖と味噌を少々加えてしばらく煮込む。

 具材に火が通ったら、いよいよ今日収穫したキノコを適当に裂いて豪快にぶち込む。後は、吹きこぼれないように注意しながら五分ほど煮込めば完成だ。

あ、キノコは煮過ぎると美味しくなくなるので注意だよ。



 7 思い出のキノコたち



 わたしが山登りをするようになってから、もう十年以上が過ぎた。記憶のアルバムにはたくさんの思い出が刻まれている。


 山や森を旅していると、不思議なことにもたくさん出会う。これについては、また別の機会にお話ししようと思う。ここでは、この十年の間に出会ったたくさんのキノコたちの中で、特に印象に残っている幾つかのキノコについて述べてみたい。


  アミガサタケ


 小学3年生くらいの頃だった。朝登校中の道のかたわらに、その奇妙なものが何本か地面からニョキッと立っていた。


 クリーム色の胴体に、灰色と茶色を混ぜたような色の大きなとんがり頭がのっかっていた。しかも、その頭には網目状に穴があった。不気味で恐怖を感じた。


 その頃、わたしは「原色日本植物図鑑」の第5巻を読み始めたばかりだった。その中に確かにこれと同じようなキノコがあったと思い出した。名前は「アミガサタケ」、「有毒と思われる」と書いてあった。


 毒キノコなら退治してやる、と怖さをごまかすように、近くにあった棒きれで叩いて壊してしまった。


 アミガサタケが食用で、ヨーロッパではモレルと呼ばれ、「春の使者」として親しまれていることを知ったのは、二年前のことだ。

なんとも可哀想なことをした。ほんとに「無知は罪」である。


その時以来、アミガサタケには再会していない。嫌われたのかもしれない。

どうか許して、もう一度姿を見せてくれないだろうか。


  ルリハツタケ


 祖母の生家の裏山にあるシイの林は、子供の頃のお気に入りの場所だった。

 シイの大木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く、地面はいつも湿っていた。

 なだらかな斜面を、道がくねくねと左右に大きく曲がりながら上へ続いている。

 

 特に梅雨の時期には、ここにはたくさんのキノコが見られた。ベニタケ科のキノコが多かったが、初めてホウキタケを見つけたのもこの林だった。


 それは小学5年生の秋のことだった。

 いつものように学校から帰るとすぐに、長靴をはいてシイ林に向かった。その日は頑張って頂上付近にあるマツ林まで登っていく予定だった。


 もうすぐシイの林が終わるという所まで登ったとき、一息入れて休んだわたしの足下に、見慣れないキノコが生えていた。

 形状や傘の渦巻き模様は、ハツタケにそっくりだった。でも、全体が不気味な青紫色だった。試しに傷を付けてみたが、ハツタケのように色は変化せず、なにか黄土色の汁のようなものがにじみでてきた。


 これが、珍しい「ルリハツタケ」だったと知ったのは、つい最近ことだ。

「キイロキヌガサタケにルリハツタケ、へえ、わたしってけっこうマニアックなキノコに出会ってたんだね」

 インターネットの画面を見ながら、一人で悦に入っている今日この頃である。


 謎のイグチの大群


 中学生になってから、わたしの行動範囲はずいぶん広くなった。それに伴って危険な目に遭うことも増えた。


 一番厄介だったのは、小学生の終わり頃から中学2年生頃まで、近くの山に野良犬が群れていたことだ。

 わたしは幸い遭遇しなかったが、何度か遠吠えを聞いたり、近くに気配を感じたことはあった。

中学3年生になる頃には、自然に死んだのか、駆除されたのかは分からないが、いなくなっていたと思う。


 ちょうどその頃のことだ。

 十月の初め、わたしはいつも登っている裏山の道をどんどん遠くまで進んでいった。そして初めての森に足を踏み入れた。

 そこはカシとクヌギ、そしてマツが入り混じっている混生林。下草もあまりなく、キノコにとっては発生しやすい場所だった。


 わたしは期待しながら、辺りを丁寧に見ていった。すると、クヌギが多く生えている場所一帯の落ち葉がこんもりと盛り上がっている。

 何だろうと思い、落ちていた木の枝で手前の落ち葉を上に持ち上げてみた。


 そのとたん、ぶわーっと茶色い粉が空中に舞い上がった。

 落ち葉の下に現れたのは、巨大なイグチの老成体だった。茶色の粉は胞子だったのだ。

(ま、まさか、そんなことない、よね)


 わたしは恐る恐る他の所の落ち葉も払いのけていった。予想通り、そこには大小合わせて百体は下らない、イグチの大群が発生していた。


 一つだけだったら、どんなに大きなキノコでも平気だが、これだけの数の群生を目の前にすると、人は恐怖を感じるのだと、その時初めて知った。


 どんな種類のイグチか、採集しようという気持ちの前に、わたしは悲鳴を上げてその場から逃げ去っていた。


 今考えると、まだまだ未熟だったなあ。


 その森は今でもよくキノコ探しに行っている。でも、もうあんなイグチの大発生には巡り合っていない。

 ただ、西日の差し込む落ち葉の地面に、いかにも「森の精霊」ですよ、といった姿で勢ぞろいした彼らの姿は、今でも昨日のことのように鮮やかに脳裏によみがえってくるのである。

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キノコっこ 水野 精 @mizunosei

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