第5話

  ■3月29日  04:20  トロイア号 スカイデッキ


 ごおごおと、船の進みに合わせて風が吹き付ける。

 だが、そんなスカイデッキに、夜半の嵐よはのあらしにも小揺るぎもしない大木のような巨漢が、腕を組み立っていた。


「さて、きぬ。二人はは来ると思うかい?」


 隣に立つ女性に話しかける。

 魔女めいた服装の女性は、一人和風わふの中に立って髪をかき上げる。


「来てますよ……、モス。現に船に乗り込んで動き始めてからは一直線」


 衣は懐中時計を取り出し、時間を確認。


「少し遅刻してるみたいですけど……」

「はは、まあ急なお誘いだ。少しくらいのゲストの不調法には目をつぶらないとな」

「そうね……。それに時間の遅れは私たちの味方ですし」


 そんなスカイデッキから人影が見えた……。


「おっと、どうやら到着したみたいだ。エスコートの準備をしないと」


 モーストが数歩、衣の前に出る。


「前はよろしくね」


 反対に衣は一歩、後ろに下がった。





 息せき切ってスカイデッキへの階段を駆け上るキャスパリーグ。そんな彼に肩のパリュが話しかける。


「にっ。わかってると言った割に結構時間がかかってるじゃないか。もう遅刻だよ」

「この船がこんなに広いなんて思わなかったんだよ。電気系統が使えたらもっと早く来られたんだけどな」

「仕方ないさね。あちはこの船にアクセスできないんだから」

「わかってるよ。でも、これで到着だ」


 最後の一歩を駆け上がったキャスパリーグ。眼前に広がるのはスカイデッキ。

 そこで大柄な男が、両手を広げて待っていた。


「ようこそ、快盗キャスパリーグ君。お待ちしてたよ。……船に乗り込んでからはここまで一直線だったようじゃないか。よくこの場所で待ってるってわかったね」


 ……ふん。キャスパリーグは鼻で笑う。


「しっかりヒントを出しておいてよくいうよ」

「ヒントかい?」

「ああ。俺への挑戦状、あれはダイヤのジャックに書かれていた。トランプの絵札にはそれぞれのモチーフがある。そしてダイヤのジャックのモチーフはヘクトール。トロイアの王子、兜煌めくヘクトール。だからこそのこの船。そして――」


 キャスパリーグは指さした。その先にあるのはスカイデッキのさらに上、トロイア号の後部マスト灯。


「――この船で一番高く輝くあそこにあるんでしょう? モスさん」

「にぃっ」


 肩に乗っていたパリュが警戒の声を上げ飛び降りる。


「モスさん……? もしかして君は僕を知っているのかな?」


 モーストの疑問に、キャスパリーグは白面の奥で苦虫を潰す。


「いや、まあその点はいいか。実のところ頭脳労働は苦手でね……。君の言ってることが的を射ってるかどうかはわからない。でも……」


 モーストが後ろを見やる。

 影からにじみ出るように現れた衣は、その言葉に頷く。


「ええ、正解」

「だ、そうだ」

 モーストは肩をすくめる。

「キャスパリーグ君。君、快盗なんかやめて探偵になった方がいいんじゃないかい? 多分そっちの方が向いてるよ。もしその気があるならうちで雇ってあげよう。うち、以外とそう言う仕事があるんだよね」


 おどけて言うモーストに、キャスパリーグは首を横に振って答える。


「結構だ。俺には目的がある。そのためにも【夜明けのヘカテ】をもらい受ける」

「そう……、残念ね」


 衣のつぶやいたその言葉には、本当に実感がこもっていた。そうして彼女は地面に何かをばらまく。


「ここにはあなたたちと私たち、4人しかいない。安心して、カメラも何もないから……。だから快盗法のことも忘れて本気を出しなさい。私たちも本気でお相手するわ」

「ま、そういうことだ。悪く思うなよ」


 ガッとモーストがキャスパリーグに駆け寄る。

 キャスパリーグがワイヤーを使って飛びすさるが、それをも予期していたのかモーストは追いすがり、その胴に蹴りをたたき込んだ。

 キャスパリーグはもの勢いで階段そばまで転がっていく。


「……軽いな。おい、大してダメージないんだろ。起きな」


 モーストの言葉にキャスパリーグはゆっくりと立ち上がる。

 確かに、蹴りの勢いとは裏腹にたいしたダメージはなさそうだ。


「ほうほう……。身体能力はそこそこあるみたいだな。ただまあ、それに関しちゃオレも自信がある。オレは頭使うのが苦手な分、そっちに全振りだからな。だからキャスパリーグ、おまえも出し惜しみはしない方がいいぜ……」


 少しの沈黙。


「……確かにそうだな」

 キャスパリーグは切った口の血を拭い、その声に言の葉を乗せる。

「《狭霧よ、魔王の娘よ、ローランドと共に踊らん》」


 キャスパリーグが1人、2人、3人……、次々と数を増やしていく。


「よしよし、そうこなくちゃあな」


 モーストはサメのように笑った。

 一方衣は、キャスパリーグの魔法が気になるのか、小さな声で思案を巡らせる。


「なに、あの魔法……。ゲーテの詩をなぞらえただけ? ローランドは? でも効果はある。それは魔王の弟子だから?」


 その間にも舞台は巡る。

 幾人ものキャスパリーグが駆け出す。ある者はモーストへ、ある者は衣へ、そしてある者はマスト灯へ……。


 モーストも疾風はしる。

 だが、それは思いもよらぬ方向だった。

 自分に寄ってくるキャスパリーグも、衣に向かうキャスパリーグも、すべてを無視してモーストは船舷へと走る。


「おまえみたいなのとは昔やり合ったことがあってな……、相手するの、わりかし得意なんだよ」


 何もない場所に突き出されたモーストの拳。その握りしめた拳の先に徐々に浮かび上がったのは――。


「さて、捕まえたぜ」


 ――キャスパリーグだった。

 だがキャスパリーグも捉えられたままに動揺は見せない。


「不本意ながら、肩をつかまれるのは慣れてるんだよ。なんだかんだでいつも吉柳のおっちゃんに捕まるから……。でもこっから先はおっちゃん相手と違って容赦はしないぜ、《火雷ほのいかづちよ》」

「――なっ」


 轟音と共に爆雷がはしる。

 くゆる煙の先に肩をつかんでいた拳はない。


「死にはしないまでも、これでリタイアだろう……」


 きびすを返しマスト灯に向かおうとワイヤーをかけるキャスパリーグに、後ろから声がかかった。


「おおう怖え。ホントに本気でやってくるとはね。これでもこっちはまだ手加減してるんだが。いやいや、死ぬかと思った」


 驚き振り向くキャスパリーグ

 煙の晴れたその先には、無傷のモーストがいた。

 その眼前には空中に描き出された奇妙な魔方陣と共に、半透明の盾が浮かび上がっている。


「――ちっ」


 すぐさまワイヤーを巻き取り、空へと飛ぶキャスパリーグ。

 だがモーストの手から放たれたナイフが、そのワイヤーを断ち切った。

 宙に投げ出されたキャスパリーグは、体勢を立て直しつつ言の葉を紡ぐ。


「《咎人が履くは、赤き鉄の靴――》」


 モーストの足下を中心に、ごおと火が猛る。

 だが先ほどとは別の魔方陣が浮かび上がる。そして水が渦を巻き、炎を絡め取り消えていく。


「《――その罪に天の裁きが落ちてこん》」


 走る幾条もの雷光。

 魔方陣と共に現れたのは、宙にうかぶ鉄球。すべての雷はそれに吸い込まれ消えていく。


「なかなかの魔法ね」


 唖然とするキャスパリーグに話しかけたのは衣。彼女は一歩も動かず、悠然と立っていた。


「でも私もだてに【現代の魔女】なんて呼ばれてないの。あなたみたいなぽっと出の魔法使いには負けないわ」


 衣はさっと手を振るった。すると衣がばらまいた立体投影装置が次々と起動していく。現れるのはいくつもの魔方陣。


「さ、そろそろ本気を出さないと、痛いだけじゃすまないわよ」


 衣の周りにある魔方陣。そのすべてが光り輝く。

 ――放たれる閃光。


 キャスパリーグは迫り来る衝撃に身を固くする。

 ……が、それは一向に訪れなかった。


 薄く目を開くキャスパリーグの目の前。そこには、彼をかばうようにして紫黒の髪の女性が立っていた。


「……パリュ」


 キャスパリーグは呆然とつぶやく。


「あちの弟子に対してずいぶん無体なことをするじゃあないか。この子はまだひよっこなんだ。少しは手加減してやりなよ」


 そんなパリュの言葉を、衣は無視し鋭くにらみつける。


「やっと現れたわね、魔王。いや、魔王の残りかす」





「さて、こっからはあちの出番だ。子供はさっさとお帰り」


 しっしとパリュはキャスパリーグを追いやる。


「何言ってるんだよ、俺もここにいる」


 パリュはやれやれと肩をすくめた。


「どうやらこの2人はあちにご執心のようだ。ぬしは邪魔だから帰ってなって言ってるんだよ。ぬしが帰る分にはあいつらも無理に追いはしないさね」


 パリュの言葉を裏付けるかのように、モーストと衣は言葉を発しない。


「な……。俺だって。それに……」


 キャスパリーグはチラリとマスト灯を、そこにある【夜明けのヘカテ】を見る。


「あれのことはもういいんだよ。ぬしには言ったろ? 優先順位を間違えるなって……。ぬしには、ぬしの望みを叶える力がもうあるんだ。さっさと帰りな」


 そう言ってパリュはキャスパリーグを船舷から突き落とした。

 キャスパリーグが放ったワイヤーすらも切って落とす。


 ざぷん……。

 海に落ちる音が響いた。


「おいおい、逃がすためとは言え、いくら何でもやり過ぎじゃないのか?」


 モーストが呆れたような声を出す。


「ふん、仮にも魔王の弟子なんだ。海を歩くくらい造作もないさね」

「何だよそれ、魔王の弟子なのに聖人の真似事とか。笑うわ」


 モーストは虚空に手を伸ばす。

 何もないそこから、ずるりと引き出されたのは無骨な大剣。

 抜き出したそれを、モーストはフォンタークに構える


「まあでもこれで、ようやくオレも本気を出せるってもんだ。さすがに子供相手にこれを振るいたくはなかったからな」

「――待って」


 衣がモーストを止めた


「その前に一つ聞きたいんだけど。あなた何者? いえ、電脳空間に逃げる際に捨てていった魔王の残りカスだろう事はわかる。でもならなんで、あの子の顔をしているの? それにあなたの使う魔法は一体何?」


 衣は冷たい言葉で問い詰める。


「さてね。現代の魔女が何を気にしているのか、あちにはさっぱりだね」

 パリュは韜晦する。

「ま、わかったとしても、教える気はさらさらないがね」

「そう……」


 パリュの言葉に衣は目を伏せる。


「それならそれでかまわない。あなたを叩き潰せば何の問題もないんだからっ」


 衣が振り下ろした手と同時に、モーストが剣を振り下ろす。

 その衝撃はデッキを破壊し、パリュに迫る。

 だがパリュも腕の一振りでそれをかき消した。


「魔王相手にたった2人で相手をしようだなんて、えらくなったものだねぇ」


 戦いが始まった。

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