うちの居心地

ブリル・バーナード

うちの居心地


「おかえりなさい」


 記憶の中よりも少し老けた母さんが変わらず出迎えてくれた。子供の時から変わらない笑みと声で。


「……うっす。ただいま」


 答えたのは変わりに変わった俺。気恥ずかしくて声が小さくなった。

 それが更に恥ずかしく感じた。

 顔を逸らした俺を見て、ふふっと母さんが笑う気配がした。


「早く入りなさい。今日は寒かったでしょう? 遠かったから疲れてない?」

「んっ。大丈夫」

「荷物持とうか?」

「大丈夫だってば!」


 荒い口調になってしまった。それでも母さんは優しく微笑むだけ。

 実家に帰ってくるのは何年ぶりだろうか? 六年? 七年ぶり?

 部屋の内装や立てかけられた写真、家具の配置が記憶と違う。

 でも、この匂いと暖かさは同じだ。懐かしい。

 リビングでは父さんがテレビを観ていた。


「……ただいま。父さん」

「……ん。おかえり」


 チラリと一瞥してぶっきらぼうに呟いただけ。

 なんかこう緊張するというかとても気まずい。

 部屋の中が父さんと母さんだけの物で溢れており、俺だけが場違いのような雰囲気だ。異物感がする。

 家を出たのならそうなるか……。


「あらあら。お父さんったら恥ずかしがっちゃって! さっきまでこの人、お喋りだったのよ」

「か、母さん!?」

「いつ帰ってくるんだ? 遅くないか? って心配していたのはどなたかしら?」

「べ、別に心配などしておらん!」


 父さんのツンデレなんて見たくなかった。

 自分が三十歳近くになって初めて見た父の姿。どう反応すればいいと思う?


「ほらほら座って座って」

「……うっす」


 促されるまま椅子に座り、目の前にいつの間にか準備されていたお茶を飲む。

 ふと気づくと、この席は昔から何時も俺が座っていた席だった。

 何となく決まっていた席順。父さんも母さんも座る場所は変わっていないようだ。


「最近どう? 元気にしてた?」

「……まぁまぁ」

「ちっとも連絡してこないんだもの。お仕事の調子はどう?」

「……まぁまぁかな」


 あれ? 俺って母さんとどんな風に喋ってたっけ?

 昔は父さんとも顔を合わせてよく話していたのに。

 俺ってどんな顔をしていたっけ?

 顔が強張っているのが自分でもわかる。


「その……実はさ、ウチの上司が……」


 ニコニコ笑顔でじーっと見つめてくる母さんの眼差しを直視できず、でも何とか喋ろうとぽつりぽつりと喋り始めたのは上司に対する愚痴。

 すると言葉が出てくる出てくる。

 日頃溜まった鬱憤が口からどんどん飛び出して、もう夢中になって愚痴を言っていた。

 母さんは『うんうん。そうなの』と相槌を打つだけ。聞き上手だ。


「――それでさ、尻拭いするのはこっちなんだぞって言いたかったよ」

「それは上司が悪いな」

「そうね。それは貴方は悪くないわ」

「そうだろそうだろ! 上司のバカヤロー!」


 ドンッとテーブルにを勢いよく置く。

 ……んっ? 缶ビール?

 気付いたら握っていたのは缶ビールで、テーブルには空き缶が二つ。

 対面の母さんの手には赤ワインが入ったワイングラスで、いつの間にか斜め前に座っていた父さんが飲んでいるのは梅酒だ。


「あれ? 一体いつから酒盛りが始まったんだ?」

「結構前からよ」

「試しに酒を置いてみたらグイグイ飲んでいたから、わかって飲んでいると思ってたぞ。サンキュってお礼を言ったのも覚えていないのか?」

「あんれー?」


 全く記憶にございません!

 両親はすっかり出来上がっていた。もちろん俺もほろ酔い気分。

 まだ夜じゃないというのにイケナイ家だなぁ。

 まあ、休日だしいいか!


「つーか、父さんは昔から梅酒ばかり飲んでるよな」

「……悪いか。甘いのが好きなんだ」

「へぇー」

「お母さんは断然ワイン派ね!」

「母さんが飲んでいる姿はほとんど見たことなかったけど」

「貴方が寝た後に飲んでたのよ。お父さんと晩酌にちょっと」

「知らなかった。晩酌とかしてたのか」


 衝撃の事実! いや、衝撃って程でもないけれど。


「――いつか家族で酒を飲みたいと思っていた……」


 ぽつりと述べたのは父さんだった。

 そう言えば、父さんや母さんと飲むの初めてか。

 大学から就職して今までほとんど家に帰らず、顔も合わせていなかったから。

 なんか、こういうのっていいな。

 俺たち三人は静かに酒を飲み交わす。


「ところで、彼女さんはいないの?」


 お酒を飲んでいるからか、センシティブな話題にグイグイ踏み込んできた母さん。ちょっとご機嫌。

 期待顔でキラッキラした眼差しと、興味深そうにじーっと見つめてくる眼差し。

 あぁ、まあ、その、なんだ……


「……いる」

「きゃー!」


 いやいや、その乙女のような反応はなんだ。年を考えろ。

 何度か深呼吸をして、今回帰ってきた本題を告げる。


「父さん、母さん。今度、彼女を連れてきてもいいか?」

「もしかして? もしかしてっ!?」

「……そういうことだ」

「きゃー!」


 くっ! 顔が熱い! 身体が熱い!

 これを言うまでに何度も何度もシミュレーションをして、何度も何度も練習していたんだ。あぁー、めっちゃ緊張した!

 いや、本番はまた次回だけど。


「お父さんお父さん! あのセリフを言わなくちゃ!」

「息子はやらん! ってやつだったか?」

「いやいや。それは子供が娘の場合に言うやつだろ! 言うなよ! 絶対に言うなよ!」

「「 それはフリ? 」」

「フリじゃねぇーよ!」


 この仲良し夫婦が!


「ねぇねぇ! お相手はどんな子? 義理の娘になるその子はどんな子なの!? 写真を見せて、馴れ初めと惚気話を聞かせなさーい!」


 酔っぱらってテンションMaxになった母さん。興味津々で身を乗り出す父さん。

 こんな二人を初めて見た。

 そう言えば、いつの間にか異物だった俺は家に溶け込んでいるなぁ。

 父さんと母さんとも普通に喋っているし。安心感が物凄い。

 これが実家ってやつか。

 大人になって両親と酒を飲むという新たな家族の時間。

 恥ずかしさを感じながらも、俺は彼女との馴れ初めを話し始めるのだった。



 <終わり>

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