相棒から見る、宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(宇宙の超常現象編)

     ◆


 俺は寝室の自分のベッドで横になっていた。

 ブランクブルーの中継基地で話をした名前も知らないイプン人のことを考えていたのだ。

 俺の家族も親戚も、友人も、ほとんどが傭兵になって、銀河の各地で戦っている。もしかしたらテクトロン同士で戦っていることもあるかもしれない。

 そんなことを憂いても仕方がない。

 生き方、生き様は人それぞれだ。

 ぼんやりとそういうことを考えている時、唐突に船が揺れた。

 こういう時、大抵は船内の明かりが赤に変わるが、今回は完全に電源が落ちた。

 ただ事じゃないが、しかし振動は続かない。もっとも、わずかな感覚で船が漂流しているようだったともわかった。

 立ち上がって部屋の端末を操縦室につなぐ。音声だけの方が都合がいいだろうと気をきかせるはずが、何らかの障害で音声のみしかやりとりできなかった。

「へい、ユークリッド人、何が起こった?」

 雑音しか返ってこない。

「おい、相棒? ハルカ? 聞こえるか?」

 かすかに声がするが、ノイズが酷い。

 思わず端末を二度ほど、軽く殴りつけた。

 ノイズが一層、ひどくなった後、不意に途絶えた。

「聞こえるか? 返事しろ」

「助けて」

 さすがに俺も言葉を飲み込んだ。

 あのユークリッド人の声ではない。

 少女か少年の、高くて澄んだ声だ。

 聞き間違いではない。はっきりと聞こえた。

 サイレント・ヘルメスに乗っているのは俺と相棒だけだ。

 なら、何かの通信の混信か? そうでなければ、どこかの間抜けが違法出力で放送でもしているか。

 船は小惑星帯を抜けると聞いている。今もその最中だろう。

 そんなところで違法通信?

「悪ふざけはやめろよ、船はどうなっている?」

 返事はない。

 ないが、がくんと船が揺れる。これは何かが衝突したわけではないらしいと考えたのは、明かりが回復したからだ。主機関が動いているようではないから、緊急時のバッテリーか。

「とにかく俺は、貨物室を見てくる。一応は危険物だからな、あまり揺らすなよ」

 まだ沈黙を続ける端末のことは忘れることにして、俺は通路へ出た。

 どこかひんやりとしている。さっきまで空調が切れていたせいだろう。もしバッテリーが干上がって、主機関が機能不全を続けると、俺も相棒も酸欠で緩慢に死にそうだ。

 どこか空気が湿っている気もするが、構わずに俺は貨物室に入った。

 明かりをつけると、金属製の一抱えほどのコンテナが六つ、そこにはある。

 積み重ねると荷崩れが起きるので、三個ずつ二列で、きっちりと並んでいる。

 床の固定器具とも接続されているし、ワイヤーでも固定されている。

 それでも一つ一つ、確認していった。

 また船が揺れる。留め具が軋み、ワイヤーがかすかに鳴った気がした。

 六つ目のコンテナが動かないのをチェックして、俺は貨物室を出ようとした。

 出ようとしたが、ドアが開かない。

 何も考えずにすぐ脇の端末を見ると、隔壁が閉じられている。貨物室と通路の境界がそのまま隔壁なので、どうやら俺は閉じ込められたらしい。

 しかし隔壁が閉じるとは、何か重大な事故か?

 小惑星にぶつけるかしてどこかが致命的に壊れたか。ハルカはあれで繊細な操縦をするし、注意力もある。なら、衝突事故はないか。

 何らかのソフト面での障害で、隔壁を閉じる事態だろうか。

 空気の浄化システムの問題、がありそうなものだが、さっきの感じでは喫緊ではない。

 電力消費を抑えるのも、違うようだ。

 訳がわからない。

 もし隔壁が操縦室の方なら、覗き窓があるのだが、こちらにはない。

 貨物室には荷物の積み下ろしの関係で、外部に通じる隔壁があった。ただ、滅多に使われなかったし、ヘルメスを改造したメカニックが、開けたら閉じないだろう、と言っていた。

 それだけヘルメスはオンボロで、ついでに違法改造を受けているわけだが、もっと安全を意識しても悪くはないか。

 仮に俺が外への隔壁を開けて宇宙空間へ出て、ヘルメスの中へ戻るとなると、通路の床に通じている本来のハッチを抜けることになる。

 隔壁が閉じていることを考えれば、結局は操縦室方面への隔壁は開かないと意味がない。

 結局、隔壁なのだ。

 貨物室の方から、隔壁を開放する操作はできる。

 しかし、もし何らかの理由で、通路の床にあるハッチが開放されていたりすると、貨物室の空気がそこから抜けていって、その勢いはどれほどになるのか、考えないわけにはいかない。

 踏ん張っていればどうにかなりそうだが、空気も行動もまったく無駄になる。

 そう、ハッチが開放されてしまい、だから隔壁を閉じている、が最も現実的で、ならハッチが閉じているか、確認しよう。

 壁の端末で見ると、ハッチの状態は「不明」だった。

 やれやれ、このオンボロ船も相当なものだ。

 貨物室にいる、という状態は、俺が今、役に立つ場面はないという意味しかなかった。

 仕方ない、と諦めて、俺は振り返ったが、思わず悲鳴が漏れたのは、そこに人影があったからだ。

 子ども。

 少年か少女か、すぐにはわからない。

 年齢もわからない。

 服装は、特に特徴のない、銀河のどこかの初等学校の制服のように見える。

 前髪が降りていて、視線が見え隠れする。

 その視線を見た瞬間、体が硬直した。

 金縛りなんて、都市伝説だと思っていた。

 俺とその人影はしばらく、視線をぶつけ合っていた。

 助けて。

 どこかでそんな声がした。

 何かがおかしい。

 俺がやったことといえば、まず拳を握ることだった。緩慢に拳が出来上がる。

 これはテクトロンにいた頃、戦場で気を飲まれた時、その状態を抜け出す方法として、教えられたことだ。

 こんなところでやることになるとは。

 拳を握り、親指の爪の端が人差し指に当たる。

 ぐっと力を込めると痛みが走った。爪の端に小爪のようなものを作っておいたのは、幼い頃からの習慣以外の何物でもない。

 小爪が刺さる痛みで、金縛りは解けた。

 それどころか、目の前にいたはずの小さな人影も消えている。

 俺がやったことは、呼吸をできるだけしないようにして、外に通じる扉がある関係で貨物室にもある船外活動用の作業着があるところへ近づくことだ。それも、できるだけ荷物のコンテナに近寄らず。

 ラックを引っ張り出し、服を脱いで手早く着替えた。

 それだけでだいぶ楽になる。

 貨物室の壁の端末の前に戻り、副船長の権限で貨物室の空気を一度、船外に放出させた。

 同時に、俺は端末からキーボードを展開させ、セキュリティソフトの状態を再確認する。

 貨物室が真空になる頃、結果が出た。

 積み込んだコンテナに関する情報に、ちょっとしたウイルスが仕込んである。あのユークリッド人め、ギャンブルに勝って油断したな。

 それを排除するようにコンピュータに入力してから、改めて貨物室の気密を作り直し、空気を注入する。

 呼吸できるようになったので、作業着を脱いで、服を着なおした。その頃には元どおりだ。さっきまで、どこか頭がぼんやりしていたと今ならわかる。

 ブランクブルーの奴らは俺たちを事故として殺すつもりだったらしい。

 コンテナの中の幾つかには、銃器と一緒に幻覚を見るガスが注入されていて、それが少しずつ船の中の空気に染み出していたのだ。

 この手のガスは多くの種類があり、決定的に人体を壊すものもあれば、ちょっとしたお遊びで済むこともある。

 あの指定組織は少し手ぬるいと言えるだろう。

 壁の端末ではコンピュータ上のウイルスの除去が完了し、船内の空気の状態も正式に検知できるように回復した。船内の空気は、異常なし。

 隔壁が軋む音がした。どうやら、ハルカの奴も正常に戻ったらしい。

 隔壁が空くのを待っていると、ハルカが腰を引いた姿勢で通路の床を見ているのが、開いていく扉の隙間から見えた。

 奴に幻覚のことを話すのはやめにしたが、どうやら相当、愉快な幻覚を見ていたらしい。

 操縦室に戻り、俺は副操縦士席に座る。

 ヘルメスが再起動し、小惑星を離れた時、初めてそれが見えた。

 ぐしゃぐしゃに壊れて、小惑星に張り付いている貨物船だ。

 ガスで見た幻覚のこともあるからか、ここが墓場などと呼ばれて忌避されるのも、あながち妄想とも思えない、悲惨な光景だ。

 何か間違えたら、ヘルメスがああなったかもしれない。

 もっとも、そんな想像よりも相棒が悲鳴をあげたのが可笑しい。どんな惨状を目にしても、その可笑しさは変わらない。

 笑うしかない俺に、どこか青い顔をして、怨みがましい視線を向ける相棒も、また面白いものだ。

 ヘルメスは無事に小惑星帯を抜けたが、奴はずっと緊張し、頻繁に船の状態をチェックしていた。

「俺は先に寝るぜ」

 やっと安全な宙域に出て、そのまま準光速航行を始めていた。

 俺が席を立とうとすると、相棒は苦り切った顔で「二度とあそこに行くのはごめんだな」と低い声で言った。

 俺は通路に出て、その時、初めてそれに気づいた。

 床の一部が焦げているのだ。これでまた修繕費がかかる。

 そのことで文句を言ってやろうと、操縦室へ戻ると、ぎょっとした顔でハルカがこちらを見る。まるで俺が幽霊みたいな視線の向け方だった。さすがにそろそろ、真実を教えるべきかもしれない。

 ただ、もうちょっと弄ってやろう。

「通路の床に焦げ跡があるんだが、あれはどうした?」

 いよいよ相棒が顔面蒼白になるので、笑いを堪えるのに努力が必要だった。

「あれは、その……」

「その?」

「お前の幻が、光を放って……」

 そこまで聞いたところで、限界だった。

 俺は相棒に、ガスのことと、コンピュータに侵入したウイルスのことを話した。

 ハルカは神妙な顔でそれを聞き、怒りを見せ、次に困惑した。

「じゃあ、今さっき、お前が言った焦げ跡はどうなるんだ?」

 そう言われて、さすがに俺も黙るしかなかった。

 ガスが何かと反応した、ということにするのが穏当だが、そんなことがあるだろうか。

「何が通路に焦げ跡をつけた?」

 眼鏡の奥のユークリッド人の瞳には、困惑と恐怖が半々だった。

 きっとサングラスの奥の俺の瞳も、そんな光り方をしていただろう。

 俺が何も言わないでいるので、相棒も何も言わない。

 いったい、何が起こったんだ?

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