巣籠もり魔術師

綿野 明

巣籠もり魔術師



「いいこと、ヨール。魔術師にとって、おうちは聖域なの……」

「その『おうち』って言うのやめません? 子供じゃないんですから」


 ヨールはそう言ってみたが、先生はそれを聞いているのかいないのか、ぽそぽそと小さな声で話し続ける。


「おうち……それは顔を隠し、名を隠して生きる私たち魔術師が唯一自分でいられる場所……」

「それって、もう千年も前にすたれた慣習ですよね? 今どき顔を隠してるのなんて先生くらいですよ」


 そう言って目から下を覆い隠している布をぴらっとめくろうとすると、先生はと素早く後ろにけ反って弟子の魔手から逃げた。


 そんな彼女の頭には、室内にも関わらず脱ごうとしない大きなとんがり帽子。加えてずるずる床を引きずる長さのローブのせいで、どんなにが優雅に動いてもその動作はもさもさして見える。


 因みに布が覆い隠しているのは目から下だけだが、長い前髪が垂れ下がっていて目元も見えない。目が悪くなるからやめさせたいのだが、そんなヨールの努力は今のところ実を結んでいない。


「月の塔の魔術師達だって、本名じゃなく魔法名を名乗っているわ……」


 先生が、いつも言い訳する時の口調で言った。「月の塔」とは世界最高峰の魔術師達が集まる塔の名であり、またそこに所属する魔術師達を表すこともある。つまりこの大樹の下の小さな家に籠りきりの先生とは違う、学会や何かでとても活躍している人達のことだ。


「それだって別に、本名を隠してるわけじゃありません。認めたらどうですか、恥ずかしいだけだって」

「はずかしくなんてない……」


 先生がゆるりと首を振った。長い黒髪がふわふわ揺れる。姿と声だけならばとても神秘的な感じだが、言っている内容がこれなので格好はついていない。


「先生……いくら家が好きだからって、全く外に出ないのはダメですよ。ほら、僕と一緒に夕食の買い出しに行きましょう」


 ヨールはそう言ってクッションの山の中に座り込んでいる先生に手を差し出した。けれど彼女は静かに首を振る。


「まだ……日が高いもの。魔術師というのは、夜に生きるものよ……さあ、お茶を淹れましょう。おうちでいただくお茶ほど香り高いものはないわ……」

「日に当たる気がないなら、なんで帽子なんて被ってるんです? それと、魔術師が夜に生きるものっていうのは初めて聞きました」

「あなただって……帽子を被っているじゃない」

「僕はこれから買い物に行くんですよ」

「……集中力を増す、特別な香草茶の調合を教えてあげるわ」

「本当ですか! じゃあ新鮮な香草を摘みに行きましょう!」


 粘る師に言い返すのも慣れたものだ。ヨールが笑顔でもう一度手を差し出すと、先生は更に一段階体を後ろに引いてわなわな震えた。ほとんどクッションの山に埋もれている。


「おうち……おうちは聖域。魔術師の真価は、聖域でこそ発揮される……」

「本当にキノコが生えますよ!!」


 大きな声を出すと、先生がビクッと震えてクッションの山が崩れた。埋もれてしまったのを助け出してやる。


「窓を開けるのも嫌とおっしゃるから、すっかり家の中もじめじめじゃないですか。カビが生えるのも時間の問題です。それで、先生にも近いうちキノコが生えます」

「キノコはいや……」


 おっ、手応えがあった。この機会を逃してなるものかとヨールは畳み掛ける。


「嫌なら、薬草摘みに出かけましょう。春の森は気持ちいいですよ。金色の木漏れ日、小鳥のさえずり、清らかな泉、木立の先の花畑」

「……花畑なら、窓からでも見えるわ。今日は、窓を開けてもいい……」

「それじゃ日に当たれないじゃないですか、この家、木陰に建ってるんだから」


 顔をしかめると、先生は「ヨール、怒っているの……? 心の落ち着くお茶を淹れましょう……」と言った。それを見下ろして、ヨールは腕を組む。これは──かなり前に思いついたもののあんまりだと思って封じていた、禁断の作戦に出るしかないようだな。


「先生、僕は今からクッションと、おふとんを干します」

「……え?」


 先生が小首をかしげる。帽子がもさっと動く。


「花畑の端っこにクッションを並べて、その上に羽布団を乗せます。その間に、挟まりたくありませんか?」

「えっ……」


 ちょっと興味を惹かれた声。


「うららかな春の日差しでほかほかに温まって、花の香りのするやわらかい風が吹いています。僕はそこに花畑で摘んだばかりのラベンダーのお茶を持っていって、そして横笛を吹きます。クッションと羽布団に挟まって、お茶を飲んで、笛の音を聞きながら日向ぼっこです」

「……お菓子は」

「食べかすを落とさないよう気をつけるなら、特別にバターのビスケットを食べてもいいです」

「用意を始めなさい」


 いつになくキリッとした声で先生が言った。ついにやってしまったと思って、ヨールは深くため息をつく。先生は特別気に入っている大きな白いクッションを胸に抱いて、早く早くという目で弟子を見ている。そう、喜びのあまり綺麗な緑色の瞳が露わになってしまっているのにも気づいていない。


 きちんとしていれば誰より美人で、誰より腕のいい魔術師なのに……。


 ヨールはそう考えてまたため息をつきたくなったが、しかしとりあえず師を日向に干すことには成功しそうだと微笑みを浮かべて、花畑に続いている玄関の扉を開けた。




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