two

 テレビ画面がピンクときらきらで埋め尽くされると、重苦しかった私の胸でさえ、自動的に踊った。


 シリーズは十何年経っても未だに形を変えながら続いている。その度に作画もキャラクターも洗練されていくけど、シリーズ初代の存在感は、また別の輝きを放っていた。懐かしいオープニングを聴いていると、記憶が刺激されて、隣で愛も一緒に見ている気がする。時を遡って、幼い私たちがいまここにいる、そういう妄想。そういうオカルティックな妄想さえ許されるような、少女的な時間に思えた。


 小学生になっても、中学生になっても、愛が死ぬまで、一緒にブレマジを視聴する習慣は無くならなかった。ただ純粋にアニメを追うだけじゃなくて、歳を取るにつれて批評的な色を帯びて、このシリーズはあんまりだね、とか、このシリーズは傑作だね、みたいに言い合うようにもなったけれど、それはそれで楽しかった。


 愛は雪で作られた人形みたいな女の子で、触れれば消えてしまいそうなくらい弱々しかったが、でも実際は快活で元気な子だった。ブレマジの話になれば誰よりも熱くなった。私は意見が違っても、それを聞いているのが好きだった。


 きらびやかなオープニングが終わる。私の目はじっとテレビ画面を、眉をしかめて見つめている。こだわりの強い子だった。好きなキャラができれば、そのキャラのシーンの出てくるのが何分何秒かを記憶して、スロー再生で好きな子のシーンを追っているみたいな。


 初代でごっこ遊びをする時は、私が黒い子の役で、彼女が白い子の役なのが常。そんなふうに遊んでいた子供が、いよいよこのヒロインたちの年齢に追いついてしまった。アイキャッチが入ると、ごく普通の女子高生キャラが画面に映し出される。彼女はこれから、変なマスコットにその才能を見初められ、魔法の世界に連れて行かれて修行する羽目になる。もうひとり同じ境遇の女の子がいるけれど、それは次の回での初登場だった。


 魔法界での修行を終え、無事マジシャンガールの称号を得た少女は、元の日本に戻される。けれど、そこはすっかり変わってしまっていた。宇宙で暴虐を尽くす悪の帝国が、地球に攻撃を開始していたのだ。地球と鏡写しの世界にある魔法界が、その対策のためにマスコットを少女の元に送り、修行をさせた、というのが後に判明する一話の背景だった。


 全国のあらゆるところで悪行をする悪魔の総督たちをひとりひとり倒していかなければならない。そう伝えられ、戦いの中に少女は身を投じるのだった。――というところで一話が終わり、まだ登場していないキャラとともに、曲に合わせてダンスを踊る。


 一話の再生が終わると、テレビの電源を力任せに切った。不意に訪れる静寂に耳鳴りが誘発されて、そのせいで孤独感が増す。感想を言い合う相手もいない。カラオケなんか行きたくない。だからといって、一緒にアニメ観ようよ、なんて誘えない。誘いたいわけでもなかった。愛の代わりなんて欲しくはないから。


 初代ブレマジは、ずっと明るかった主人公が、最終回が近づくにつれて戦うことを嫌がるようになる。何人も何人も倒したのに終わりは見えないし、それどころか悪の総督たちにもそれなりの事情があることが明かされたりするからだった。もう一人のヒロインが励ましても、戦意はもはや無に等しく、身も心もぼろぼろにしながら戦い続け、ようやく組織のボスの元に辿り着く。少女アニメにしては暗い展開だが、画面の中のその様子は、なんだか私たちの色んな状況に似ている気がして、自分を見出しながら応援していた。それに、ぼろぼろの女の子、というのも、かっこよく見えていた。


 彼女は最後の戦いで、組織の事情を知る。彼ら以上に強大な帝国が彼らの故郷を滅ぼし、帝国はこの地球に逃げてきていたのだ。そういう事情もヒロインを蝕み、結局世界が悪いのね、と言って、魔法界で覚えた禁呪を使ってしまう。


 彼女の心の叫びを、魔法としてぶつけたのだ。


『ル・シアー・シ』


 消えてしまえ、こんな世界。アニメ内の言語を気合いで解読したファンが見出した魔法のほんとの意味は、そういうものだった。


 いつの間にか、私は寝転がって、サンタに貰った初代ブレマジの魔法のステッキを掲げて、そう、声を殺して叫んでいた。気が遠くなるような感覚がする。世界が消えるとは、どういうことなんだろう。地面は崩れて、ビルも壊れて、人は腐ったみたいに土に還っていく。木々は燃え、雨が降っているのに、太陽が出ているから虹がかかっている。自分のいる場所もがらがらと崩れていく。足元から崩れていく、でも、もう最初から壊れてた気もする。


 毎日毎日、一日ずつ一日ずつ歩んでいる気がしていた。でも実際は死に向かっているだけだった。辿り着く先が見えなければもう少しまともにやれたかもしれないけど、私たちの向かうところは終わりの入り口で、逃げようとするとより悪いことになる。あの子が車に轢かれて死ぬまでは、自分はこんなじゃなかった気もするけど、もうあんまり思い出せなかった。自分のことが、自分でももう分からなくなっていた。


 生きている意味も失い、そしてできあがったのは偽りの人物だった。誰にも気づかれないように巧妙に本当の自分を隠していても、自分を隠しているということ自体は自分でよく分かってる。そういう自らの倒錯が薄気味悪かった。


 いつまでこうしていたらいいのだろう。いつまで嘘を吐き続けて、いつまで世を冷たく見つめていたら。


 死んでしまった愛に会いたい。それができないならこんな世界消えてしまったっていい。ううん、消えてしまえ、こんな世界。ル、シアー、シ。




 ――――……


 ――……


「――――の、あの!」

 耳元で叫ぶような呼び声が聞こえて、なにを大袈裟に、起こすならもっと静かに起こしてよ、といつも言ってるのに、と母親に何か言ってやろうと思う矢先、頭がごつごつとした何かに触れていて、それ以上に空気とか匂いとかが、いつもと全然違うことに気が付いて、耳元で聞こえる懐かしい心地の声音と、それから向こうで囀る鳥の声、木々の揺れるこっそりとした音が耳を同時に刺激していて、あれ? なんかおかしくね? ということに気付くのに十秒くらいを要したけど、おかしいと気付けばその瞬間に目を開くのが寝起きゆえの怠さでめちゃくちゃに嫌になって、ああ、もういっそ殺してくれ、と思った。知らない経験は嫌だな。知らない経験だから。トートロジー。トートロジーという単語に、どことなくナマケモノ的な雰囲気を感じています。


「あの、大丈夫ですか!?」

「うっさい!」

「えっ!?」


 突然叫んだ私に困惑した声の主が、それだけでオロオロしたことが分かった。そしてその声の心地がやっぱり懐かしいことが、私のことも強く困惑させた。聞いたこと、ある。目を強く閉じる。起きまい、起きまい、とする。


「倒れてたので、一応声を掛けたのですが、お昼寝中でしたか?」


 こんな、外で寝るわけ、ないでしょ。どんな間抜けが私の顔を覗き込んでるのかと思って、苛立ちからついに目を開いてしまったのが終わりの始まりだった。まず目に飛び込んできたのは、聳え立つ巨大な木々。普通の松の木をそのまま何倍にもしたみたいな巨木は、付ける葉さえ目線のずーっと先にあって、そういう巨大な樹が、私を囲っている。そういう異様な森の中にいた。


 どうしてこんな所に。近所にこんな場所はなかったはずだし、こんな巨木が目の前にあるということも非現実的だった。千年杉ってやつ? とも考えたけど、記憶にある杉の木とは違っている。枝はずーっと先までないし、幹はツルツルとしているから、やっぱり松の木っぽかった、となると本当に見当が付かない。お手上げ。心の中で両手を上げて、声の主を探して、左に目をやると、ワンピースの裾から、健康的な白い脚が地べたにぺたんと座り込んでいた。藍色のワンピースをゆっくり上に目で追っていって、私は息も付かぬうちに起き上がった。顔を見たからだった。


 私の手は無意識のうちにおずおずと、その顔に伸びていく。


 そこで私の顔を覗き込んでいたのは、死んだ幼馴染だった。


 出す言葉も思い付かなくて、口を震わせることしかできない。驚きで目は開きっぱなしなのに、乾くのも忘れている。


「愛……?」

「へ、あの、えと」


 けれど、私の伸ばす手を、彼女は遠慮がちに避けた。触れられなかった私の指は、行き場を失って地面に落ちる。どうして避けるの? せっかく会えたのに。


 まだ話したいこともたくさんあったのに、交差点で突然、ハンドル操作を誤った車に愛は轢かれて、次の言葉を発しようとしていた私の口からは、結局小さな悲鳴だけが漏れて、その瞬間、その数秒に、幼馴染はいつ事切れたのか、車がぶつかった瞬間だったんだろうか、というのがずっと気になっていた。私の悲鳴は聞こえてしまったんだろうか。せめて楽しい笑い声を、それだけを抱いて死んでいってほしかったから、その疑問を聞くチャンスを得て、救われた気になったのに。愛が夢に出てくることは珍しくなかったけど、愛が出る夢の中で、私は愛が死んだということを知りはしていなかった。


 いま抱いている感覚が、現実であることを否定することをさせない。夢かどうかは考えた。この重力とか、思考の明瞭さは、夢じゃない。紛れもない現実。紛れもない現実に、あの愛が現れたんだ。だったらやっぱり触れさせて欲しかった。私のすべてに。


 私の手を避けたくせに、自分のその行動でバツが悪そうにしている幼馴染を、私はなお愛しく思っている。


「愛、どうして、どうして避けるの?」


 だから、切なかったけど、声は穏やかだった。でも次の言葉を聞いて、頭の中では食器の落ちる音が響いた。


「すみません、あの。どなたかと、勘違いしていませんか」

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