第24話 みまもられるもの

 音も気配も殺して接近してきていたレギオンエイプが、三方向から一斉に襲いかかってきた。正面の一体は、けたたましく叫び声を上げながら跳躍して長剣を振り回してくる。目立つ動きと咆哮は、こちらの注意を引くおとりのようだ。


「ネル」

「大丈夫、見えてる」


 落ち着いた声で囁くと、ネルは軽く振りかぶって石を投げた。矢のように飛んで行った拳大の石は、左から襲ってきた猿の胴体を貫いて弾き飛ばす。


「ぎゅ、ぶッ」


 投擲した勢いのまま半回転したネルは猫手メイスを振るい、逆側の猿を横殴りに薙ぐ。重ねた小楯で半身を固めた大柄な猿は獲物の攻撃を封じる役なのだろう。華奢に見えるネルの打撃を、嘲笑いながら受け止めようと腰を落とし身構えた。


「ギャァアアァ、ッぷひゅ」


 勝ち誇った吠え声が途絶えて盾ごと上半身が吹き飛んだ。速度重視で振り抜かれた鈍器は甲高い音とともに巨漢猿を呆気なく屠る。


「ギャギャギャギャギャギャ……ッ!」


 周囲で警戒音が上がる。目の前に打ち返された仲間の身体で視界を塞がれた後続は、怯んで動きを止めてしまった。速度と連携が強みの群猿にとって、それは致命傷となる。

 ひょいと指差すように向けられたメイスは猿たちの反射神経を超える勢いで伸び、先端が猿の頭を水平に掻き斬る。

 を手元でながら先端に握り替えたんだ。あんな一瞬で。


 ネルは本当に三体を倒してしまった。そのまま勢いを止めず三体目の死体が持っていた短刀を投げつけ、奥にいた猿の胸板を貫いた。ぼくもクロスボウで一体を仕留め、残るは二体。

 その間も警告の甲高い鳴き声が響く。呼応する声があちこちから聞こえてきている。


「困ったな」


 ネルがまったく困ってない声でいう。


「生き残りの森林軍猿さるが仲間を呼んでる。向こうの返答の咆哮こえ、二十近くいるかも」


 最低でも、三つの群れか。魔物が複数の群れで連携して襲ってくる? そんなこと、聞いたことがない。


「でも、へんなの」

「……ん? なにが?」


 ネルは汗ひとつ浮かべず息も乱さず周囲を見る。


「何日か前に来たときは、こんなにしつこく向かってこなかったのに」


 そうか。そうだよね。魔物は動くものの魔力M P……というか、正確には“魔圧M C”(魔力圧縮率)の強さで脅威を判断する。魔力は“量”なので、たとえば微量の魔力しか持たない小虫の群れが数十万いても高くはなる。対して魔圧は“質”だ。魔物にとっては脅威であれ餌であれ狙うときの指針になる。

 つまり、いまのネルは魔物を狂わす美味しい匂いを振り撒き過ぎて、ぼくが掛けた初級魔法の“隠遁ステルス”なんて微塵も効果がない状態なのだ。


「ごめんネル」

「なにが?」

「いまの君は魔力と魔圧が高過ぎて、どんどん魔物が集まってくるんだ。そうなったのは……いや、そうのは、ぼくだ」

「そっか」


 なんでかひどく嬉しそうに満面の笑みで振り返る。猫手メイスを肩に掛けて、全身の筋肉をしなやかに収縮させる。


「思った通り。感じてた通りだ。この力は、アイクがくれたんだ!」

「いや、なんで喜んでるの」

「あなたにもらったものが、あたしを変えたの。嬉しいに決まってる」


 それ自体は結構、だけど現在それが大問題を引き起こしている件については……


「ほら」


 ひょいと伸ばしたネルの手の先でメイスが風を切り、何かが立て続けにクシャッと軽い音を立てる。いつの間にか忍び寄っていた森林軍猿レギオンエイプが、首をへし折られて倒れ込む。切り返してもう一体。一瞬で間合いを詰めると、隙を伺っていた二体の首を搔き切る。


「ね?」

「いや、なにが“ね?”なのか、さっぱり……」

「待ってれば、あいつらは向かってくるの。あたしは、待ち構えているだけでいい。見てて、アイク」


 梢から襲ってきた三頭の猿たちが、ネルのひと薙ぎで首なしになって転がる。


「……ここが、あたしの見せ場」


 いまのは、開いた猫の手みたいな形になっている打撃部位ヘッドを水平に使って、爪の先で引っ掛けた……のか? もう彼女の動きは早過ぎて視認できず、高度過ぎて理解できない。


「逃がさないよ」


 躊躇して向かってこなくなった生き残りの猿を、ネルは自ら狩りに行く。音もなく気配もなく、虎獣人の少女は縦横無尽に駆け回り軍猿を翻弄する。

 首を斬られた猿が血飛沫を噴き上げる。降り掛かる場所にはもうネルはいない。次々と身悶え血溜まりに沈む猿たち。それに気を取られた者は、視線を切ったことで殺戮者を見失い、生き延びる機会を失う。


 錆びた剣を構えるもの、石や手槍を投げようとするもの、指先にいくつも小刀を握り込んで鉤爪のように振り回すもの。盾を構えて押さえ込みに掛かろうとするもの。

 みんな、無駄な足掻きだった。ネルのメイスが一閃するたびに、頭を砕かれ首を斬られ、あるいは半身を千切り取られた死体になって転がる。

 逃げようとしたものや樹上に隠れたものは、ぼくがクロスボウ投石器スリングで射殺した。


「ネル、これで全部?」

「うん。もう近くに魔物の気配はないよ」


 転がった死体は大小合わせて二十九体。加えて大岩熊ロックベアが一体だ。ぼくが倒したのは小さめの猿が三体だけ。ほぼネルの戦果だ。


「すごいな、ネル。これだけの群れなんて、王国軍でも二百人規模討伐中隊で勝てるかどうか……」

「まだ。あたしは、もっと強くなる。もう仲間を危ない目には遭わせないし、アイクにも安心してもらえるように、なるの」


 アーシュネルは柔らかく微笑む。その視線だけは、燃えるように熱い。


「みてて、絶対に、そうなってみせるから」

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