第9話 人喰い鬼

「さて、と。上手く案内してくれよ……」


 ぼくは視認可能な距離を置いて、銑鉄弾を撃ち込んだ瀕死の人喰い鬼オークを追っていた。

 逃げて行く方向に魔力で“探知サーチ”を掛けながら、脅威になりそうな魔物だけを回避で避ける。いまのぼくはレベルリセット直後の無防備状態。回復しつつあるけど身体能力でいえば向上など誤差程度だ。いちいち戦闘していたら自分の身がもたない。

 目的はダンジョンの魔物を一掃することではない。ここで苦難に喘いでいるひとたちの救出だ。そうすることで結果的には、ぼくも相手も幸せになれるはず。


 仔猫ちゃんたちが隠れている開けた場所から四百メートル四半ミレほど進んだ先に、オークの母集団と思われる大型の魔物が複数体いるのを探知した。固まっていて数は判然としないが、おそらく、あれが巣だろう。


 問題は、ここからだ。


 本来、“守護者”はパーティの後方支援が本業で、交戦するのは“みまもり”対象の役目だ。ぼく個人の戦闘能力は、レベルリセット前でも、さほどない。武器術も体術も、戦闘職としてみればお粗末なものだった。

 戦闘向きの特殊技術もないし攻撃魔法も知らないから、中距離の攻撃には投石器スリングクロスボウを使っている。近距離では短刀や分銅入り革帯スラッパー。目立たず音を立てず、必要ならやじりや刃先に毒を仕込む。戦闘技術的としては、“暗殺者アサシン”に近いか。

 魔力量自体はあったので空間魔法の“収納ストレージ”だけは驚異的な容量だったけど、それは“優秀な荷運び”であって魔導師を名乗るような能力ではない。

 そもそも、身に付けている魔法の種類が極端に少ない。あまり使わないものも含めて全部で二十もなかったのだ。初級魔導師だって、冒険者ならもう少し引き出しが多い。

 だから、ぼくの戦闘はいつも我が身を守ることが最優先。次に、“みまもり”対象をいかに守り導き、危機を乗り越えさせるかだ。その順番を間違えると共倒れする。


 ましてリセット後のど底辺ステータスでは自殺行為だと、わかってはいる。なのに、なぜ単身で敵の巣に向かっているかというと、まず他に選択肢がないから。

 そして……


「だ、だれ、か……」


 こうなることが予想できていたからだ。“探知サーチ”に引っ掛かった人喰い鬼オークの巣は、周囲に小さな反応が七、八体。少し離れたバラバラの場所に十体ほど散らばっていた。どれも消えかけているような弱さで、まったく動かない。気絶しているか、死にかけているか。いずれにせよ危機的状況だ。


 いま最も近くにあるひとつも、恐ろしく反応が弱い。目視できるくらいに接近して、それが人狼かコボルトか犬系獣人の女性だとわかった。


「……ぁ、あ」

「しッ、静かに。動かないで」


 素早く身体を調べると、全身の骨が砕かれ腕が千切れかけている。棍棒で殴られたか、岩か何かに叩きつけられたか。虫の息というくらいの衰弱ぶりだけど、必死で意識を保っている。彼女の後方には、身体を引きずった跡と血痕が延々続いていた。


「……ぉ、おい、なかま、あっ……」


 このひと、逃げてきたんじゃない。んだ。いるかどうかもわからない誰かを求めて。


「無茶なことを。なんで、そんな身体で。いつ死んでもおかしくないのに」

「……だって、どうせ……ぬ、か……」


 朦朧とした目と呂律の回らない口で伝えてきたのは、“どうせ死ぬなら、仲間を助けたい”という意思だった。いま隠れている仲間は、動けばそれだけ襲われる危険がある。でも自分は隠れてても死ぬんだから同じことだと。


「変わってるな、君は」


 事態は一刻を争う。“浄化クリーン”で無理やり汚れを剥ぎ取り、目につく限りの傷を消毒した。必要な箇所に最低限の“治癒ヒール”と“回復キュア”を掛ける。どんどん出てく血と生命力を止めるのが先決、治療は後だ。損傷を受けた内臓を手探りでひとつずつ治癒と回復を掛ける。最もひどい状態の腕は、折れた骨を無理やり繋いで布で固定し、重点的にヒールを掛ける。

 このままだと歪みが出るかも、と思って固定を解いた。


「……?」

「ごめんね、痛むよ」


 くっ付きかけた腕を思い切り引っ張りながら仕上げの治癒・回復の混合魔法を血の流れに沿って通す。回復しかけで神経過敏になっているから、これがムチャクチャ痛いのだ。

 スマン、名も知らぬ女性。


「わたしの、代わり……に、家族、に、い……いいいいだだだだだッ!」

「それは回復痛だ。我慢して」

「ちょっとじゃない! 死ぬほど痛い……!」

「それは良かった」


 キッて涙目で見られたから、笑顔で頭を撫でておく。無理やり“浄化”したから毛はちょっとゴワゴワになってる。でもまあ、そんなの生きてさえいればどうにでもなる。


「地上の冒険者たちは、そう信じてるんだよ。“痛いうちは死なない”って。慰めだけどね」

「……なぐ、さめ?」

「死ぬときは感覚がなくなるって、よく彼らはいう。けど、ぼくが見てきた限りじゃ、苦しみ抜いて死ぬ方が多いかな」


 死にかけている本人を前に何でそんな酷い話をするのか、と獣人女性は責めるような目で見る。


「遺言でも託すつもりだったんだろうけど、そんなもの受け取るもんか」

「……そんな、ものって……ひどい」

「いいたいことがあったら、自分の口でいうんだ。やりたいことがあれば、可能な限り手を貸すよ」

「え」

「もう治ったよ。痛みはしばらく続くけど、君は死なない」


 彼女はキョトンとした顔で、自分の身体を見る。服はボロボロで血塗れのまま。でも汚れは落ちてるし痛みも消えて、手足も動くようになっているはずだ。尻尾もプンプンと振れている。まだ少し不安げに、ゆっくりとだけど。

 元気になってきたようで、何よりだ。


「ぼくはアイクヒル。君の名前は?」

「……イーフル」

「よし、イーフル。干し肉をあげよう。待ってる間、ゆっくり噛んで食べな」


 革袋に入った水と、束ねた干し肉を手渡す。ぼくみたいに軟弱な人間だと煮込まないと食えないくらい硬くて分厚い。ゆっくり噛んでるとしばらく空腹をしのげるし、血肉になるので長期遠征には欠かせない。


「そこに入って。頭を下げて、そう」


 イーフルを岩陰に隠して、ぼくは先に進む。さっき彼女のいってた、“なかま”や“家族”を助けるために。


「待って、アイクヒル。わたしも」

「ダメだ」


 ついてこようとするのを、ぼくは強い言葉で断る。


「せっかく助けたんだから、無駄死にするのはやめてくれ。ぼくは、君を守りながら戦えるほど強くない。仮に出来たとしても意味がない。率直にいうと、足手まといだ」

「やっぱり、ひどい」


 実際には、彼女が死にかねないからだ。傷を塞ぎ腕を繋いだとはいえ、流れた血液は補充されていない。動けはしても戦えないのだ。本調子じゃないだけでも、ダンジョンでは格段に死が近付く。


「すぐ戻るから、ここにいて」


 帰りには必ず拾うと約束したら、イーフルは不承不承という感じで頷いてくれた。

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