宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(よくある、おうち時間編)

和泉茉樹

何気ない運び屋生活の一コマ (よくある、おうち時間編)

     ◆


 エクスプレス航路の待機ゾーンを抜ける時、管制官が「グッドラック」と言うのに、俺は、どうも、とだけ答えた。

 操縦席で、俺は力を込めて準光速航行のレバーを押し倒し、瞬間、目の前のスクリーンに映っていた宇宙空間は、時折、光の筋が流れる以外は、真っ暗闇になる。

 これで、三日間は外に出ることもできない。

 操縦席のベルトを外し、背伸びをして、それに合わせて思わず腰を叩いてしまうあたり、俺もだいぶ年寄りじみている。

 それでもまだ二十八歳だ。若いはずだが、まぁ、相応に年を取ってもいる。

 あまり自慢しても仕方ないが、これでも二十八歳にしては波乱万丈な日々を送っている自負はある。あっても、大概は話せないのがもどかしい。

 操縦室を出て短い通路を進んでリビングスペースの扉を開けると、唐突に煙が押し寄せてきて、火事かと瞬間的に考えたが、俺がしたことといえば、こわばった表情を一瞬で緩め、素早く渋面を作ることだった。

「へい、エルネスト、防火装置を切るなよ」

 煙を手でかき分けるようにすると、安物のソファからローテーブルに身を乗り出している相棒の広い背中がある。

 髪の毛は青で、短く刈り上げている。服の上からでも両腕や肩周りの筋肉の発達は目をみはるものがある。

 その男、俺の相棒たるエルネスト・カテゴリーが振り向くが、目元はサングラスで覆われている。

 強情そうな口元から、低い響きの声が流れてくる。

「切っておかなくちゃ、全てが水浸しだ」

「そうだろうな。できることなら、そういう作業は陸でやってくれ」

 エルネストの向かいにある一人がけのソファに腰を下ろし、奴の手元を見る。

 ツインスイッチャーという装置を部分的に分解し、小さな部品を簡易汎用コテでくっつけている。煙はそのコテが溶かしている軟性合金から立ち上っているのもよく見えた。

「船はこのまま三日でヴァルーナ星系にたどり着く。それまでは缶詰だよ」

「いつものことだな」

 手の動きは止めず、視線も上げず、エルネストが応じる。

 特に他に話すこともないので、俺はソファに体を預け、背もたれが受け止めるようにわずかに倒れる。

 すぐ横の戸棚に手を伸ばし、電子端末を取り出した。こういう時間にもやることは多くある。

 ウインドウを表示させ、ほとんど無意識に、真っ先に現時点での負債を確認してしまうのが、自分でも悲しい。

 この宇宙船、「サイレント・ヘルメス」を買う時の負債は、どうにか返した。しかしそれ以降、ありとあらゆるところを改造したので、とんでもない負債を背負いこんだのだった。

 もっとも、でかい仕事さえあれば、すぐに返せるはずなんだが。

 ヘルメスは足が速いし、運び屋としての一応の信頼もある。はずだ。

 船に信頼があっても、俺にはない、と言えるかもしれないが。

 投射されている表の負債額に、思わず顔をしかめ、しかしそれは忘れることにした。

 どれだけ悩んでも負債が減るわけではないし、月賦の支払期限もやってくる。

 今の仕事でとりあえず、直近の月賦は滞らずに済むのが、何よりもありがたい俺だった。

 次々と表を変えて、月賦の一覧もあれば、ヘルメスで必要になる消耗品や部品の一覧もあるのを、チェックしていく。

 俺は惑星ユークリッドの出身で、あの惑星は「哲学惑星」などと呼ばれる、銀河連邦の学術の拠点の一つだが、俺が金勘定に必死なのは、別にそれとは関係ない。

 俺が数字を気にするのは、エルネストがそういうことに全く無頓着だからだ。今も目の前で、俺を気にした様子もなく、部品をいじっている。たまに火花が散り、舌打ちしてたりするが、俺が煙で咳き込んでもチラともこちらを見なかった。

 表の一つ、日用品の仕入れと在庫の一覧を見たとき、気になるものを見つけた。

「おい、エルネスト、ここにある「保存食」っていうのはなんだ?」

 聞こえないように、エルネストはこちらを見ない。

「へい、相棒、聞こえないのか?」

「保存食だろ、そのままだよ」

 エルネストがコテを置いて、顔を上げる。俺はずり落ちそうになる古式ゆかしいメガネを指で押し上げ、視線を奴のサングラスに突き刺すイメージ。

「どういう保存食だ? 数は四箱で、しかし総額で四〇〇ユニオだと? 一箱で何食だ? 俺の知っている保存食は一般的なものなら一食分で一ユニオだぞ。軍の糧食なら一個で三食分の缶詰が五ユニオだな」

「気にするなよ。どうせ俺に感謝するようになる」

「感謝だと? 俺は四〇〇ユニオの保存食を返品して金に戻してくれたら、感謝するが、それ以外があるかな」

「ま、落ち着けよ」

 すっくとエルネストが立ち上がる。図体がでかいので、俺が座っているとはいえ、そびえ立っているような印象だ。

「なんだ、逃げるのか、傭兵崩れ」

「メシにしようぜ、学生崩れ。どうせ、三日は外に出れないんだ、逃げ場もない。そもそも俺は逃げるのは好きじゃない」

「噂では、摘発から逃げた結果、俺の船に乗っているはずだが?」

 肩をすくめて、エルネストはリビングスペースに併設のキッチンの方へ行ってしまった。俺もエルネストもまともに料理をしないため、片付いてはいるが、どことなく薄ら寂しいような感じを、そこを見る度に思う。

 俺は溜息を吐いて、もう一度、全ての物品の在庫と購入履歴、現時点での手持ちの現金と、予想される収入をチェックした。

 はっきり言って、自転車操業というより、火の車になりつつある。

 運び屋稼業なので、不安定が上にも不安定で、それは民間の運送業者ではなく、違法組織の密輸とかを取り扱うせいだが、これは今更、どうこうできない。

 最初に戻れば、闇カジノで大金を手に入れて船を買い、それを違法改造したのだから、どこからどう見ても最初から道を踏み外している。

 俺も思い切ったことをしたものだ。

「メシだぜ」

 声と同時に明かりが陰ったので、顔を上げると、何かが飛んできた。

 受け取ると、大昔からあるチョコレートバーに似ているが、似てるのは形だけだ。何より、ガチガチに硬い。

 俺が胡乱げにそれをよくよく観察している間に、また元の席にエルネストが戻り、サングラスをかけ直すと、コテを手に取り、部品をいじり始めた。その口では、今、俺の手にあるものの同じものが咥えられている。

「俺の知らない食物だが、なんだ、これ?」

 聞き取りづらい声で、エルネストが答える。

「惑星クルーンに生息している、オオイシサイの干した肉だ」

 全く知らない。

「栄養価は高いし、四年は保存可能だ。何より、長い間、しゃぶっていないととても食えない」

「もっと別のものはないのかよ」

「これ一つで一日、凌げるぜ。在庫はたっぷりある」

 まさか、とは思うが、これを大量に買って、それが四〇〇ユニオなんだろうか。そう思うと、だいぶ怒りがわき、もはや沸騰寸前なのだが、もしかしたらすごく美味いものかもしれない、とありもしない期待を必死に心の中に構築する俺だった。

 片手で端末を操作しながら、もう一方の手でつかんだ干し肉をかじろうとするが、歯が立たないところか、少しも歯が食い込まない。固すぎる。食物の硬さじゃない。

「最初はしゃぶれ。それで柔らかくなる」

 腹立たしいが、仕方なく言われるがまま、俺は肉を口に含んで、時折、舐めながら、のんびりと資料をチェックし続けた。

 また煙が室内に充満し始め、空調が自動で換気を始める。この煙だと、空気清浄フィルターの交換が予想より前倒しになるのは間違いない。本当に、陸でやって欲しい。

 数時間の後、やっと少しずつ干し肉が噛み切れるようになったが、俺はやることもなくなり、趣味の航路計算をして時間を潰していた。

 相棒が何をしているかと思えば、部品は二つ仕上がったようで、三つ目をいじっている。なかなかの集中力じゃないか。

 リビングスペースの壁にある時計が基本時間で夕方を示し、もっとも、宇宙船の中なので、形の上での時間だ。

「本当にこいつを一日一本なのか?」

 半分と少し、やっと干し肉を噛み砕い飲み込んでていた俺に対し、エルネストはすでに全部食べきっている。

 ちらっと顔を上げ、奴はわずかに顎を引いた。

「宇宙船の中なんだ、食事で贅沢を言っちゃいけないぜ、ハルカ。ついでに言えば、宇宙船の中の生活は、単調なもんだ」

「楽しみがないのも、考えものだな」

「そりゃ、お前が楽しみを駆逐しているからだ」

 どういう意味だよ、ともごもご答える俺に、ニヤッとエルネストが口元に笑みを浮かべる。

「お前を相手にボードゲームやカードゲームをするのは、お前を知っている奴は絶対に付き合わない、ってことだよ」

「そいつは負け惜しみだろ。勝負に手加減されて、嬉しいか?」

「勝負なんだから、まず勝ちたいと思うものだがね」

 結局、そんな会話をしたからか、エルネストは三つ目の部品を仕上げると、俺の誘いに乗ってカードゲームを一回だけ、相手した。

 エイティエイトと呼ばれる遊びで、八十八枚のカードの組み合わせを競うのだが、二人でやると単純になりすぎるし、俺の計算力をもってすれば、ゲームが進行する中でエルネストの手札も読める。

「惜しかったな」

 手札を開くとき、俺はそう言ってエルネストの手札より一つ強い組み合わせを示した。奴の手札は俺の予想通りだった。

「そういうことをするから、友達を失うんだぞ、アホめ」

 エルネストはそんなことを言って、部品を抱えてリビングスペースを出て行った。

 俺は一人でカードをシャッフルしながら、まだ煙が立ち込める空間を透かして、壁の時計を見た。

 二十時になろうとしている。

 寝るには早いが、退屈な時間は眠るのが一番、いいかもれない。

 ただもう少し、時間を有効活用して仕事に役立ちそうな航路を探すとしよう。

 カードの束をテーブルに置いて、俺は代わりに電子端末を持ち上げた。

 宇宙船内の生活も、あの干し肉みたいなものか。

 噛めば噛むほど味が出る。

 とにかく、楽しむことだ。

 どこにいるとしても。

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宇宙時代の何気ない運び屋生活の一コマ(よくある、おうち時間編) 和泉茉樹 @idumimaki

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